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日本経済の生命線「オイル」

角栄の一言が日本を救う

「米国が肩代わりしてくれるのか?」オイルショック、角栄の一言が日本を救った
2022/8/17(水) 11:01配信 幻冬舎ゴールドオンライン
「その原油、米国が肩代わりしてくれるのか?」
キッシンジャー国務長官は、表情を曇らせ黙り込む。第一次オイルショック、田中角栄の一言が日本を救った。日本経済新聞記者の前野雅弥氏が著書『田中角栄がいま、首相だったら』(プレジデント社)で解説します。
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日本中に点在?「アメリカ政府使用施設」
■ある米軍施設の風景
まるで映画のワンシーンのようだった。晩秋、横浜の「港の見える丘公園」をさらに上った先にあるアメリカ軍根岸住宅のあたりを訪れたときのことだ。
庭には手入れが行き届いた広い芝生。建物の造りは簡素だが、白いペンキを塗った瀟洒な2階建て住宅が高級住宅地の敷地を贅沢に使い、思い思いに点在している。その住宅地を雲の間から差し込んだ陽の光が、その一角だけを照らし出しているのだった。横浜市の中区、南区、磯子区にまたがる住宅地の広さは43ヘクタール。民間のデベロッパーに払い下げられれば、マンションを建設し、オール億ションとして売り出すだろう。
しかし、残念ながら、ここに日本人が許可なく入ることはできない。「アメリカ政府使用施設」という理由で、アメリカが管理、「立入禁止」なのだ。日本の中なのに日本人は許可なく入ることができない。
しかも、横浜の丘の上の一等地なのに、だ。敗戦から75年以上たつというのに、屈辱的な状態がいまだに放置されている。2016年10月に日本側に返還されることで合意がなされたものの、その返還時期はもちろん、返還方法などもまだ具体的には何も決まっていない。管理主体もアメリカ軍のままだ。
アメリカ軍根岸住宅の住民の大半は、横須賀の海軍施設に勤務する関係者だ。通称「横須賀基地」。2015年にアメリカ軍関係者は退去したが、横須賀基地は何一つ変えられず、市中にある。アメリカ軍関係者が「横須賀ベース」と呼ぶこの基地は、太平洋及びオセアニア諸国への前方展開拠点および修理・補給基地と位置づけられ、在日アメリカ海軍司令部や極東海軍施設部隊が置かれている。
第7艦隊に所属する原子力航空母艦ロナルド・レーガン、揚陸指揮艦ブルー・リッジ、イージスシステムを搭載したミサイル巡洋艦及びミサイル駆逐艦(イージス艦)といった軍艦が寄港、あるいは事実上の母港としている。アメリカ国外では唯一空母の母港として機能している軍事施設だ。
この施設で働くアメリカ軍関係者が、日本人が決して享受することができない特権的な待遇を与えられているのだった。しかし、横須賀基地は日本側が提供する恩典に見合うほどの恩恵を日本にもたらしているのだろうか。むしろ逆だ。
■首都圏に米軍施設があることのリスクこれほど重要で強大な軍事拠点が首都圏に存在することが、これまで疑問視されたことがないというのは、いかに日本人の感覚が麻痺しているかの証拠だ。羽田空港から直接距離でわずか30キロメートル圏内にアメリカ軍の空母が母港とする海軍基地が、東京の通勤圏内に存在するのである。
この横須賀基地が攻撃対象にならないという保証はない。アメリカ軍の横須賀基地だけをピンポイントで攻撃してくるため、日本は安全だとは言い切れない。仮に攻撃された場合、備えはあるのか。首都はどれだけの被害を受けるのか。アメリカとの同盟関係を考えれば、日本は常にこのリスクを考えておかなければならない。とりわけ日米地位協定の締結以降、日本とアメリカ軍の関係は緊密性を増しており、アメリカと第三国が戦争状態に突入した場合、日本はアメリカの属国とみなされ、巻き込まれる可能性は十分にある。
それだけのリスクを日本は首都圏に抱え込んでいる。いわば爆弾を埋め込まれているのだ。しかし、その自覚がない。アメリカの傘の下に入ることで安全を保障された気になっている。外から見れば独立国家の体をなしていない。これでは到底、自立したグローバル国家であるとは言えない。単なるアメリカへの隷属国家だ。偏りはそのまま経済に直結する。

日本のパスポートが「世界最強」の理由
「平和国家日本」の強みを活かした全方位外交をとれ財務省の貿易統計で見ると、2019年に日本が最も輸出した金額が多かったのがアメリカだ。全貿易量に占めるシェアは19.8%、第2位が中国で19.1%、次いで韓国、台湾、香港と続く。ベスト5までのシェアは56.4%で半分超を占める。
一方、輸入も状況は似ている。トップは中国で輸入総額に占める中国からの輸入額の割合は23.5%、第2位がアメリカの11.0%。以下、第3位オーストラリア、第4位韓国、第5位サウジアラビアで、トップ5のシェアは48.7%になる。
輸出入相手のトップ5に共通しているのは、大半の顔ぶれが親米国家だということだ。中国はアメリカとの次世代移動体通信システムである5G問題のように、イシューごとに利害が対立し、摩擦はあるものの、大きく見ればアメリカと中国が決定的に対立することはない。にもかかわらず、日本はアメリカの世界戦略にどっぷりと引き込まれてしまっている。グローバル国家を標榜しながら、日本はアメリカの窓からしか世界とつながっていないのだ。
しかし、世界は欧米のようなキリスト教国家だけではない。日本はそこをもっと意識すべきだ。現在、世界にある国の数は193(2021年7月現在の国連加盟国)だが、このうち日本人がビザ(査証)を取得しなくても行くことができる国・地域は192カ国(2022年1月時点)にも上る。
日本のパスポートが「世界最強」と言われる由縁である。日本が戦争を放棄した憲法第9条を持つ中立国である強みはここにある。本来、日本は世界中のほとんどの国と取引できる国なのだ。にもかかわらず。実態はそうなっていない。
この貿易相手国の偏りは、これからの日本の経済大国としての成長性に影を落とす。
世界のマーケットの3分の1を占めるイスラム圏アメリカの調査機関ピュー・リサーチ・センターが興味深い調査結果を公表している。2100年には世界のイスラム教徒の数がキリスト教徒の数を上回るというのだ。イスラム教徒は世界最大の勢力となる。
同センターによると、2010年時点で世界のキリスト教徒の数は約21億7000人。これに対して、イスラム教徒は約16億人である。それぞれ世界人口の31.4%と23.2%を占めている。
しかし、イスラム教徒が住むエリアの出生率が高いことなどから、2050年になると、イスラム教徒は27億6000人(29.7%)となり、キリスト教徒の29億2000万人(31.4%)に人数と比率で急接近、2070年には世界人口の32.3%ずつで拮抗し、2100年にはイスラム教徒が35%に達して、キリスト教徒を1ポイント上回るというのだ。
日本とイスラム社会との本格的な交流は、幕末から明治初期の頃に始まり、19世紀の末にはインド系ムスリム商人が神戸などに居住していた。以降、日本でも段階的にイスラム教徒の数は増え、現在ではモスクの数も100超となったが、主要な空港に礼拝所などが設けられている他国に比べると、日本ではまだまだイスラム教は身近な生活の中に入り込んできてはいない。いまだに遠い国々なのだ。
しかし、グローバルという点では、日本は欧米などキリスト教国に軸足を置きすぎている。人口の増加スピードはそのまま市場の拡大スピードであり、経済の成長力である。とりわけ少子高齢化が進む日本にしてみれば、イスラム諸国のマーケットを取りこぼすことは、世界のマーケットの3分の1を取りこぼしていることと同義なのだ。
田中角栄の一言が日本を救う■オイルショックへの対応にみる、田中角栄の構想力と行動力
今、田中角栄が生きていたなら、このような現状を見て、どう思うだろうか。
「日本の独立性はどこにいった」、こう言うに違いない。
それは石油危機(オイルショック)時の角栄の事態のさばき方を検証すれば、明らかだ。角栄はアメリカを相手に、日本として毅然として渡り合い、危機をギリギリのところで救ったのだった。
第一次オイルショックの幕が開けたのは、1973年10月6日だ。この日、イスラエルとエジプト、シリアがスエズ運河地帯とゴラン高原で激しい戦闘状態に突入し、第四次中東戦争が勃発した。
このとき、角栄は資源外交の真っただ中にいた。第四次中東戦争勃発の第一報を聞いたのは西ドイツを訪問中で、ソ連に向けて飛び立つ前日のことだった。

モスクワには共産党のブレジネフ書記長が待っており、外交儀礼上キャンセルは許されなかった。内心穏やかではなかっただろう。苛立つ気持ちを抑えつつ、ブレジネフと会談で日本との間に北方領土問題が存在することをきっちりと認めさせ、そのまま日本に飛んで帰り、休む間もなく情報収集に入った。
10月16日になると、事態はさらに悪化する。石油輸出国機構(OPEC)加盟のサウジアラビアやイランなどペルシャ湾岸6カ国が原油の「公示価格」を70%引き上げることを決め、中東戦争を背景に値上げを強行したのだ。そのうえで親アラブの「友好国」にはこれまでどおり石油を供給するが、イスラエルを支援する「反アラブ国」または中間の「非友好国」には、石油の供給を絞り込む措置を決定したのだった。
日本政府は騒然となる。果たして日本は親アラブ国なのだろうか――。仮に親アラブ国とみなされなければ、石油が止まり経済は止まる。すでに銀座のネオンは消え、スーパーマーケットからはトイレットペーパーを求める長蛇の列ができていた。本当に中東からの石油がストップすれば、日本が被るダメージは計り知れなかった。
そんなとき、アメリカから国務長官のヘンリー・キッシンジャーがやってくる。用件はただ1つ。中東問題だった。「アメリカは日本の立場をよく理解している。日本に対してアメリカと一緒になって『イスラエルの味方をしてくれ』とまでは言わない。けれどもアラブの友好国となり、アラブの味方をするのはやめてほしい」
つまり「『反アラブ国』になってほしいとまでは言わない。しかし『非アラブ国』として立ち振る舞ってほしい」という要請だった。
角栄としては、キッシンジャーの申し出を受け入れるわけにはいかなかった。日本が「非アラブ」の立場をとることは、そのまま中東からの石油が止まることを意味した。日本の経済を止めることと同じだった。
しかし、それを言えるのか。同盟国アメリカの国務長官からの要請である。日本は同盟国の要請を突っぱねることができるのか―。
角栄はひるむことはなかった。キッシンジャーに向かって、こう言ったのだった。
「日本は石油資源の99%を輸入している。しかもその80%を中東から輸入している。もしアメリカの言うとおりにして中東からの日本向けの原油の輸入がストップしたら、それをアメリカが肩代わりしてくれますか」
キッシンジャーが「うっ」という声を漏らした。両者のやりとりを側で見守っていた小長は、そのときのキッシンジャーの顔を今でも覚えているという。日本がアメリカの意に反することは「あり得ない」。そう言っていた。
しかし、角栄は続ける。
「日本はこの窮地を脱するため、アラブ側にある程度歩み寄った対応をせざるを得ない。日本の立場を説明するため、アラブ主要国に特使を派遣する準備を進めている」
そして11月22日。角栄は中東政策を転換することを閣議で正式に決定する。副総理の三木武夫を中東8カ国に差し向け、経済協力という切り札も切った。
以下記事省略

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