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消防団、いまどき江戸時代の「め組」がいたとは?

長生村、消防団再編へ なり手不足で50年ぶり 定数169→100 操法大会廃止 「持続可能な組織」目指す 2024年10月9日 05:00 | 千葉日報

 人口減や生活様式の変化で消防団員のなり手不足が深刻化する中、長生村の消防団が、組織の再編計画を進めている。半世紀にわたり維持してきた3分団15部制を3分団6部制とし、1部当たりの人数を10人から15人に増やす方針を掲げた。団員定数は169人から100人となる。今年4月に再編基本計画を策定し2026年度の新体制移行を見込む。 ・・・記事一部抜粋 画像 NHK 特集記事

この地域住民の家屋財産を守る「地元消防団」という組織を、よく知らない、という人のために書きました。

なぜかといったら、特に都市を除く地方住民の火災現場で消化活動にあたるのが、その地元消防団なのです。それは各、区、班の住民から若い人を任意勧誘するという「しきたり」があって、都府市町村単位で組織化されたものです。
えええ、じゃ消防車が待機している建屋はなに?、ということですが、それは公務員組織のプロで、国家的に仕事をしている人々で。

昨今、云われる少子高齢化、街角シャッター通り、旧来事業後継者不在倒産など、その全部を負っているのが地元の若者たち、です。その希少価値化石的若者を、知人縁故を理由に勧誘するという掟は、団塊世代では有効でしたが70年経過するともはやそれは昔日の出来事であって、無用理論です。
なぜかといったら、その昔話しを私が知っているからです。

その「操法訓練廃止」(多分ほとんどの人が理解できない)が廃止、という新聞記事に、もはやこれまで、と思ったので啓蒙の為に記事にしました。

消防団が江戸「め組」に由来する、そんな記事を読むとそれから「ガラパゴス」であることがよくわかります。

以下はその歴史ニュース

消防団の歴史は、江戸時代にさかのぼり、その起源は「いろは48組」の町火消制度と言われています。

消防団の歴史は、次のとおりです。
江戸時代:八代将軍徳川吉宗が、江戸南町奉行の大岡越前守に命じ、町組織としての火消組である「いろは48組」を設置させました。
明治時代:町火消は東京府に移管され、消防組と改組されました。また、明治7年には「消防章程」が制定され、消防人としてのあり方が示されました。
昭和時代(戦前):昭和5年に民間防空団体として「防護団」が結成され、昭和14年には消防組と防護団を合体させた「警防団」が発足しました。
昭和時代(戦後):昭和22年に「消防団令」が公布され、従来の警防団が廃止され、全国の市町村に消防団が組織されました。昭和23年に消防組織法の一部が改正され、消防団令が廃止されました。
消防団は、消防本部や消防署と同様、消防組織法に基づき、それぞれの市町村に設置される消防機関です。地域における消防防災のリーダーとして、平常時・非常時を問わず住民の安心と安全を守るという重要な役割を担っています。
消防団の歴史
 消防団の歴史は古く、江戸時代、八代将軍吉宗が、江戸南町奉行の大岡越前守に命じ、町組織としての火消組である店火消(たなびけし)を編成替えし、町火消「いろは四八組」を設置させたことが今日の消防団の前身であるといわれています。
 各火消組に「いろは」等の名前を付けたことにより、お互いの名誉にかけて競い合って働くという結果が生じ、消防の発展に多大な成果を得ることとなりました。町火消は町奉行の監督下にあったものの、純然たる自治組織であり、経費の一切が町負担で、組織、人員等も町役人の自由に委ねられていました。しかもその費用は、ほとんど器具設備等の購入に費やされ、組員は無報酬でした。そのころの村落部の消防については、駆付消防が主で城下町のような組織的なものはありませんでした。この駆付消防は、古くは「大化の改新」後の5戸制度を起源とする5人組と現在の青年部ともいうべき若者組が当たりました。

総務省消防庁 消防団の歴史
消防団の歴史 * 1718年 町火消 いろは48組と本所・深川16組の総称で町屋の火災に従事した火消のことです。“消防団”と、消防署にいる“消防職員”は何が違うのでしょうか。 消防本部に所属する専業の消防職員は、常勤の地方公務員です。 一方、消防団員は、非常勤の特別職地方公務員という立場で、地域密着型の組織です。
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1.江戸時代 消防団の歴史
 消防団の歴史は古く、江戸時代、八代将軍吉宗が、江戸南町奉行の大岡越前守に命じ、町組織としての火消組である店火消(たなびけし)を編成替えし、町火消「いろは四八組」を設置させたことが今日の消防団の前身であるといわれています。各火消組に「いろは」等の名前を付けたことにより、お互いの名誉にかけて競い合って働くという結果が生じ、消防の発展に多大な成果を得ることとなりました。町火消は町奉行の監督下にあったものの、純然たる自治組織であり、経費の一切が町負担で、組織、人員等も町役人の自由に委ねられていました。しかもその費用は、ほとんど器具設備等の購入に費やされ、組員は無報酬でした。
 そのころの村落部の消防については、駆付消防が主で城下町のような組織的なものはありませんでした。
 この駆付消防は、古くは「大化の改新」後の5戸制度を起源とする5人組と現在の青年部ともいうべき若者組が当たりました。 総務省

NHK  特集 記事

防団員が足りない! 存続の危機 変革迫られる消防団
2023年7月4日特集記事

火災や災害の現場で活躍する地域の消防団。
本業の仕事を持ちながら、ひとたび災害が発生するといち早く現場に駆けつけて消防署員とともに初動対応にあたる。しかしその担い手は減り続けるばかり…
どうすれば活動を維持できるのか?
(宇都宮局 村松美紗)
※記事の最後で動画をご覧になれます。
消防団員 仕事を持ちながら現場に駆けつける
消防団員は、火災や災害が起きると、自宅や職場から現場へ駆けつけ、消火や救助活動を行う。会社員や自営業といった仕事を持ちながらも、非常勤特別職の地方公務員として位置づけられている。
写真:整列する消防団員
報酬もあり、総務省消防庁の調査によると、1人あたり、災害に関する1回の出動に平均8000円程度、日常的な活動に伴い発生する実費として平均で年間5万円程度が市町村から支払われているという。
栃木県佐野市の消防団には地元住民約580人が所属している。
写真:三井広好さん
三井広好さんは、製造業の会社に勤めながら消防団員として活動している。
2019年の大規模災害の際は、佐野市内では次々に被害が発生し、三井さんたち消防団員が住民の救助にあたった。
救助のあとは、住宅の扉をたたいて避難を呼びかける活動も行った。
消防団員 三井広好さん
「アパート1階の住民が『助けてください』と言っていたので、はしごを下ろして団員が下りて助けに行きました。すでに胸の高さまで水が来ていました」
消防団員が足りない!
総務省消防庁によると、消防団員は減り続けている。昭和20年代には全国で200万人を越えていたが、減少し続け、平成2年度には100万人を割り込んだ。令和4年度は78万人余りとなっている。
その理由として、退団する人数が増えているものの、新たに入団する人が減少傾向にあることが挙げられるという。
佐野市では、必要な人数に対して現在約150人の定員割れとなっている。
写真:佐野消防の根岸消防団係長
佐野市消防本部 根岸康貴 消防団係長
「市内で災害が同時多発的に広範囲で発生した場合、消防本部の力だけでは限界があります。消防団員が減少することで、災害対応の遅れが一番の懸念です」

消防団員を確保するには
なんとか団員を確保したいと動き出した佐野市。
毎年恒例となっていた全国の消防団が消防技術を競う大会への出場を原則取りやめた。
「大会に向けての練習の負担が大きい」との声があがっていて、負担軽減を図ったのだ。
消防団の訓練
大会の代わりに、1日で集中して訓練する行事に切り替えた。

さらに、市内3000を超える事業所に、入団の協力を呼びかけるリーフレットも送付して、広報活動にも力を入れている。

ついに着手した消防団の統廃合
それでも、目先の団員確保だけでは、いずれ限界が来ると考え、佐野市は、消防団の仕組みそのものの根本的な見直しにも着手した。
消防団を統廃合する構想の検討を始めているのだ。
以下割愛



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