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落花狼藉(らっかろうぜき、狼が眠った棲み跡)

物情騒然左顧右眄有耶無耶(ぶつじょうそうぜん-さこうべん-うやむや)など...世の中、不可解なことばかりという比喩ですが、そんなことを反映した今のネットニュースなんですね。

簡単な話し、「そんなの訊きたくね~えよ」ニュース多発で、なんとかなりませんか、という陳情意見も云いたくなるソーシャル社会の仕組み。

多額負債でネット金銭無心、とか、「いろんな評価があり難しいが事実ではないことがたくさん含まれている文書を実名含めてたくさん流布されたのでそれを勤務時間中に作成したことは職員として好ましくない行為だったという趣旨で伝えた」【掲載文引用】
とか、現況本意不明ですが、その「斎藤元彦」兵庫県知事発言がパワハラ正式見解だとしても「訊きたくね~えよ」の一つでしょう。

ままま、それが日本に対する「平和の証し」であるなら、甘受すべきなんでしょうが、それが連日連夜配信されるとなると食傷するのは当然な話しです。

70年前の若き、ウラシマ君

ピアノ演奏者 エタ・シュナイダー <エタ・ハーリッヒ=シュナイダー>
チェンバロ奏者であったエタ・ハーリッヒ=シュナイダー(Eta Harich-Schneider以下シュナイダー ) は、反ナチス主義者で1941年5月、演奏旅行を口実にドイツを去り日本を訪問する。ふたりの娘はベルリンに残し、その後は南米に行くつもりであった。彼女のことは2016年に NHK で放映された『ドラマ 東京裁判』で帝国ホテルのパーティーでピアノを弾き、オランダ判事のバイオリンにピアノの伴奏した女性として記憶にある方もいるかもしれない。 一部抜粋文

唐突な話で、判らないでしょうがそれが「1928年1月1日から1945年9月2日」東京裁判物語の一部の挿入シーンでした。

何故それか、というと、歴史回想話の中でも最も「いまさらそんなの訊きたくね~よ」の部類にあるからです。

断っておきますが、この超近現代史の中の重要歴史案件「極東国際軍事裁判」(東京裁判)は、もはや風前の灯の部類にあり、殆どというかまったく話題にも上がらないし、また若年層に至ってはまったく未知の世界、馬耳東風、馬の耳念仏のようでもあり、まっさら白紙状態のようです。なぜかって、その情報がメディアにまったくないし、そんな話し、どこの国の話し、というアリスの国状態と思われたからです。

ですから、それを知る、ことがまず端緒であるし、いい悪いは、それを知った上で個人が判断することだとおもいましたので、ここに掲載することにしました。

そのテーマ「訊きたくね~よ」の深層部分はなにかといったら、日本という国のアイデンティティーを探すには何を知るべきか、というエッセンスです。というのは、その「東京裁判」の時代と、近代ネット社会の時間差が、余りにも甚だしく、白が黒にすっかり変容してしまったからです。

一口に云ってみれば近代浦島太郎物語であり、開けてびっくり立ち昇る狼煙とともに、すべてが逆転してしまうという、映画小説ファンタジー仮想世界、そのものであるからです。

であっても、いま席捲しているSNSネット世界とは、真逆リアル世界ですから、知らない若年世代にとっては「未知との遭遇」であることは承知の上です。

1945年8月14日、ホワイトハウスにて日本の「ポツダム宣言」受諾を発表するハリー・S・トルーマン米国大統領
ポツダム宣言(ポツダムせんげん、英: Potsdam Declaration)は、1945年(昭和20年)7月26日にイギリス、 アメリカ合衆国、中華民国の政府首脳の連名において日本に対して発された全13か条で構成される宣言。正式名称は、日本への降伏要求の最終宣言(Proclamation Defining Terms for Japanese Surrender)宣言を発した各国の名をとって「米英支三国宣言(べいえいしさんごくせんげん)」ともいう。
ソビエト連邦 (現ロシア)は、後から加わり追認した。そして、日本政府は1945年8月14日にこの宣言を受諾し、9月2日に連合国への降伏文書調印・即時発効に至って第二次世界大戦・太平洋戦争(大東亜戦争)は終結した(日本の降伏)。

※極東国際軍事裁判とは、広田弘毅・東条英機元内閣総理大臣など日本の指導者28名が「1928年1月1日から1945年9月2日」にかけて「侵略戦争」を起こす共同謀議を行い 、「平和愛好諸国民の利益並びに日本国民自身の利益を毀損」したとして、平和に対する罪、通常の戦争犯罪及び人道に対する罪の容疑で裁いたものである。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

対立、差別、任務放棄…「東京裁判」個性派判事11人は「控室」でなにを揉めていたのか?
2020/8/8(土) 6:42配信 文春オンライン
「私はパトリック判事を演じるにあたって、彼のクランが何であるかを調べた。そしてそのクランに固有の伝統を考慮して、彼の心理を分析して演技に役立てたんだ」
 イギリスの名優、ポール・フリーマンがそう語るのを聞いたとき、私はあらためて『東京裁判』という歴史の事象の奥深さを実感させられた。

対立、差別、任務放棄…「東京裁判」個性派判事11人は「控室」でなにを揉めていたのか?
チーフ・プロデューサーが明かすNHKドラマ制作秘話 高木 徹 2020/08/08

「NHKスペシャル ドラマ東京裁判」 の撮影が2015年にクランクアップした際、原宿の東郷記念館で開かれた打ち上げ会で、このドラマで主役級の一人を演じたフリーマン氏が私に語った言葉である。私はこの番組を企画し、当時の担当部署での肩書としてはチーフ・プロデューサー、番組のクレジットでは“脚本”と“ディレクター”、そして英語版ではそれらに加えて”original story”と、つまりは作り手としてこの番組を制作していたのだ。

スコットランド人判事は、なぜ裁判後“廃人同然”になったか

「東京裁判」を考える時、インド代表パル判事の「全員無罪」の判決に賛否両論を唱えたり、あれはマッカーサーの台本通りに進んだ茶番劇だと俗説を聞いたり、「勝者の復讐」にすぎないと怒ってみたりすることはあっても、判事11人のうち、肝心のアメリカ代表判事は早々に任務を放棄して帰国してしまい、裁判長のオーストラリア代表判事も公式判決を書くのに参加すらできず、全員有罪、7人死刑の結論を導いたのはイギリス代表の、それもグレートブリテンの政治の中心であるイングランド人ではなく、遠く北に離れたスコットランド人の判事であり、その日本からは物理的にも心理的にも隔絶した出自ならではの思考様式が、彼の東京での行動に影響していた、といったことまでを知る人はほとんどいないだろう。

 だが、イギリスの公文書館に残されていた資料には、欧州にとって第一の重大事であったナチスを裁くニュルンベルク裁判にイングランドの名判事が派遣され裁判長となったあと、東京での戦争裁判への派遣に白羽の矢が立ったスコットランド人のパトリック判事にとって、それを受け、立派に果たすことがイングランドの後塵を拝し続けたスコットランド人として重要だったこと、その高揚感と責任感を伝える言葉の数々が記されていた。彼が法律を学んだ学生時代に過ごしたグラスゴーや、判事時代を過ごしたエジンバラでその足跡を訪ねると、もともと健康に問題があったパトリック判事が、東京でその全精力を使い果たし、帰国後は廃人同様に精彩を欠いて過ごしたこと、個人的には日本への敵意はなく、「敵」であり脅威を感じ続けたのはその生涯を通じてドイツだったこと、などが浮かび上がってくる。
 こうした取材の成果を凝縮させて私は脚本を執筆した。それでも上述のクランクアップの打ち上げの場で、パトリック判事を演じたフリーマン氏が言った、その「氏族」にまでは思いが至らなかった。その発想はスコットランドの研究者でもなければ、日本人の私には無理だった。この国際ドラマのイギリス人俳優だからこそ得られた視点だったろう。まさにチームワークの賜物だ。

初めて詳しく分析されたオーストラリア人裁判長・ウェッブ
 こうした俳優たちの役作りのリサーチまで含めて、あのドラマ、東京裁判の11人の判事たちの舞台裏の2年半を描いた作品は、徹底取材に基づいて11人ひとりひとりのキャラクターを描き、すべてのセリフの一つ一つの単語まで、一次資料で再現できるところは再現し、推定が必要なところもあらゆる角度から「こう言っていたとして全く不思議はない」という確信を持てるところまで突き詰めたものである。

 裁判長のオーストラリア人ウェッブも面白い。全四話シリーズの第二話の冒頭で、早々に帰国してしまった初代のアメリカ代表判事の後任として赴任してきたハーバード大学出身のクレイマー判事がウェッブ裁判長に着任の挨拶をするとき、「あなたも(ハーバード出身ですか)?」と問われ、「クイーンズランド州立大学」とウェッブ裁判長が口ごもりながら答え、その大学名を聞いたことがないクレイマーと傍らのマッカーサー司令官との間できまずい沈黙が流れてウェッブ裁判長も当惑、というシーンがある。この会話そのものは記録に残っているわけではないが、様々な資料やオーストラリアでの現地取材で得られたウェッブ裁判長の内面のプライドとその屈折を描くために入れたものだ。

 当時のオーストラリアの人々が、「宗主国」であるイギリスに対して持たざるを得なかった複雑な心情。そのイギリスをはじめアメリカや欧州各国の一流の法曹界の人材を前に、オーストラリアにおいてさえ、地方都市ブリスベンの判事に過ぎなかったウェッブ裁判長が、自らの経験と能力を遥かに超えた重責を担わされた混乱。その弱みを覆い隠そうとして傍若無人に振る舞い、孤立を深める悪循環。その母国での地方判事の地位を、内陸部の荒野の小さな町の孤児院からのし上がり得ていった政治的センスや出世術とブリスベンで出会っていたと思われるマッカーサーとの縁。さらには、一時は太平洋の覇者となった日本軍による上陸の脅威を感じ、市民の戦闘訓練も日常茶飯事だった戦争体験。熱心なカトリック教徒であり、東京では裁判の傍ら、空襲で焼けたミッションスクールへの援助に尽くしたという宗教的背景……。

 そういった複雑な要素が絡み合ったキャラクターが「ドラマ東京裁判」のウェッブ裁判長という人間くささあふれる存在だ。日本では、こうした多面的なウェッブ裁判長の人格や法曹人としての能力について、詳しく分析されたことはなかった。

 史実として、ウェッブ裁判長は、こうした内面の苦悩と戦いつつ、公式判決書を書いた多数派判事たちから疎外され、独自の長大な判決書を書き上げるが、最後の最後でそれを封印し、多数派の判決書を裁判の結論とすることを受け入れるという度量を見せる。

 しかし、その「お蔵入り」になったウェッブ裁判長の独自判決書に書かれた日本の戦前の歴史への理解は、「日本の戦略は終始一貫したものではなく、段階的に進行し、最後ははからずも世界を相手に戦うことになった」という主旨のもので、「最初から世界征服を目指した共同謀議があった」と考える多数派判事の判決よりも、説得力のあるものだった。

 こうした経緯も、今回のドラマでは余すところなく脚本に表現したし、それをオーストラリアにルーツを持つ俳優ジョナサン・ハイドは見事に演じきってくれた。

バングラデシュ取材で分かったパル判事の「内面」
 そして、判事を演じた俳優たちの中で最も国際的な知名度が高い一人がインド代表のパル判事を演じた名優イルファン・カーンだ。ハリウッド俳優として、アカデミー賞受賞の「スラムドック$ミリオネア」そして「ライフオブパイ/トラと漂流した227日」で重要な役柄を演じた。そして今年4月、残念なことに50代半ばの若さで亡くなったことは日本でもニュースとなった。

 パル判事と言えば、「被告全員無罪」の少数意見を出したことで日本では信奉者も多いキャラクターだが、日本軍の残虐行為は厳しく批判した一面もある。そして、インド人として欧米の植民地主義に対する怒りも秘めていた。盟友となった11人の中の最年少判事でオランダ代表のレーリンク判事と、第二話の中盤で座り込んで語り合うシーンのセリフに私はこの問題を凝縮させた。パル判事に影響され、この裁判は公平性を欠くのではないか、と感じ始めるレーリンク判事に、パル判事は「オランダもまた、植民地支配をする側なのではないか?」と問いかける。レーリンク判事は思わず、オランダ人として自国の立場を弁護する、だが、その内心では……というシーンだ。

 世界中で視聴されるこの国際ドラマで、私が世界の人に感じてもらいたかったことの一つがこの「植民地主義」の問題だ。確かに戦前・戦中の日本の帝国主義・植民地支配は断罪されて当然だ。だが、その発想のオリジナルは欧米の植民地主義にあった。遅れてやってきた模倣者がより悪いのだろうか? 先行した国々が内包するこの問題に、欧米のみなさんは向き合っていますか? という問いかけもまたこのドラマが持つ数多いテーマの一つである。

 さらに、パル判事には、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の宗教対立が激しかったベンガル地方の奥地の村の出身で、大都市コルカタで身を立てるうちに故郷がバングラデシュとしてイスラム教の国(自身はヒンドゥー教徒)になって分離独立してしまったという出自や、その波乱万丈の人生体験がもたらす強さ、東京に来てからも一人だけ当初帝国ホテルに部屋が用意されなかったという差別的な体験をしたエピソード、あるいは日本人被告に有利な判決書を書きながらも、彼らの命を救うため他の判事に働きかける動きは見られず、裁判を欠席してまでホテルの自室に閉じこもり一人その判決書を書き続けたという独善性など、今まで知られていたよりはるかに複雑なキャラクターが、取材を通じて明らかになった。私自身もそのバングラデシュ内陸部の出身地を訪ねたし、取材の成果をまとめた資料をイルファン・カーンに送り、それらをすべて昇華したうえで、静かで抑えた演技の中に、内面の怒りや並はずれた強い意志を秘めた新しいパル像を見事に演じてくれた。こうした彼の演技が今後はもう見られないということは極めて残念であり、この作品への出演が貴重な機会となった。

 各回およそ1時間の4回シリーズ、およそ4時間近くのこのドラマの俳優たちについて、あるいは個別のシーンに込められた意図の話をしているといくら字数があっても足りないので、実際に番組をご覧いただいて判断していただくほかない。私が知る限り日本の放送界でも空前絶後の、恐らくもう二度とない企画であり、制作の枠組みであることは間違いない。

NHKチーフ・プロデューサー高木 徹~ 記事一部抜粋


NHKアーカイブ



note 自著
















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