「玉前神社」秋季例大祭9月13日
「はだか祭り」三年ぶり秋季例大祭復活の気運
故事来歴 自由ヶ丘熊野神社「土師流神楽」と上総国玉前神社神楽「土師流神楽」
故事来歴、東京自由ヶ丘 熊野神社「土師流神楽」
土師流の伝統を継ぐ「里の神楽」
■「はだか祭り」三年ぶり秋例大祭復活詳細、については「玉前神社」HP参照 下記
東京自由ヶ丘 熊野神社
山の神が、熊野神社の例祭を祝し、氏子崇敬者の繁栄を祈念する祝福舞。
2015.9.5 熊野神社例大祭 土師流里神楽 山神の舞
検索 「桜乃一人静サイト」参考
土師氏 (検索ウイキペディア)
土師氏(はじうじ、はじし)は、「土師」を氏の名とする氏族。
天穂日命の末裔と伝わる野見宿禰が殉死者の代用品である埴輪を発明し、第11代天皇である垂仁天皇から「土師職(はじつかさ)」を、曾孫の身臣は仁徳天皇より改めて土師連姓を与えられたと言われている。古代豪族だった土師氏は技術に長じ、出雲、吉備、河内、大和の4世紀末から6世紀前期までの約150年間の間に築かれた古墳時代の、古墳造営や葬送儀礼に関った氏族である。大阪府藤井寺市、三ツ塚古墳を含めた道明寺一帯は、「土師の里」と呼ばれ、土師氏が本拠地としていた所で、その名がついた。道明寺天満宮の前身は土師神社であり、道明寺は土師氏氏寺である。
備前国邑久郡土師郷一帯は、飛鳥京跡出土の木簡では「大伯郡土師里」と呼ばれ、「土師寅」が米を送ったことが墨書されており、土師氏が本拠地としていた所でその名がついた。
土師氏は野見宿祢を祖先とする氏族で、野見宿祢については、『日本書紀』垂仁7年7月7日条にその伝承が見える。それによると、大和の当麻邑に力自慢の当麻蹶速という人物がおり、天皇は出雲国から野見宿祢を召し、当麻蹶速と相撲を取らせた。野見宿祢は当麻蹶速を殺して、その結果、天皇は当麻蹶速の土地を野見宿祢に与えた。そして、野見宿祢はそのままそこに留まって、天皇に仕えた、とある。野見宿祢の「野見」は、石材を加工する際に使われている道具である「ノミ」と関連があるとみられており、野見宿祢が石材とかかわっていたと言う推定がある。この伝承は、古墳の石室などに用いられた安山岩質の讃岐岩の石材を供給する二上山の支配権が、在地の当麻氏の手から、野見宿祢に移ったことを示唆する。
野見宿祢に関する2つ目の伝承として『日本書紀』垂仁32年7月6日条があり、垂仁天皇の皇后、日葉酢媛命が亡くなった。それまで垂仁天皇は、古墳に生きた人を埋める殉死を禁止していた為、群臣にその葬儀をいかにするかを相談したところ、野見宿祢が土部100人を出雲から呼び寄せ、人や馬など、いろんな形をした埴輪を造らせ、それを生きた人のかわりに埋めることを天皇に奏上し天皇はこれを非常に喜び、その功績を称えて「土師」の姓を野見宿祢に与えたとある。 当時も技術的には出雲が先進であったことを示唆する。
後に、土師猪手が周防国佐波に来目皇子の殯宮の造営や、天皇の詔によって吉備姫王の葬儀執行を担当した。また、土師氏は、河内国に古墳墓を増産し、隆盛を誇った。
続日本紀によれば、桓武天皇の母方の祖母・土師真妹は山城国乙訓郡大枝郷(大江郷)の土師氏出身である。その娘の高野新笠も、この土師氏の里で幼少期の桓武天皇を養育したと見られている。やがて土師氏の一族は、桓武天皇にカバネを与えられ、大江氏・菅原氏・秋篠氏に分かれていった。
(資料ウイキペディア)
土師流(伝)神楽 上総国一宮玉前神社 太々神楽、
または、上総神楽
県指定無形民俗文化財 指定日 昭和33年4月23日
長生郡一宮町一宮の玉前神社に伝わる神楽で、俗に上総神楽ともいう。
神楽の奉納記録としては、天保9年(1838)の「社用録」に、宝永7年(1710)に神楽殿を造り神楽を奉納したとあるのが初見である。
また、「伶人ハ江戸稲荷ノ祠官、小針和泉村木大和也。当社ヘ土師流ノ神楽伝授ス」ともあるように、もともと土師流の神楽を伝え受けたことがわかっている。
この神楽は、代々5軒の社家を中心に継承されることになっており、明治時代の記録では36演目からなっていたようだが、現在では
「加茂明神」「天狐乱舞」「八咫宝鏡」「種蒔」「両神和合」「龍神舞楽」「悪魔降伏」「磐戸小開」「蛭子」「猿田彦舞」「剣玉」「神剣貢」「風神安鎮」「戸隠」「千能里」「大山祇神」の十六座を伝えている。(一宮町史抜粋)
社殿に至る石畳み回廊を飾る左右の巨石金文揮毫
惟神祐一徳
惟神祐一徳(コレカミイットクヲタスク)
惟民帰一徳(コレカミイットク二キス)
令和5年9月13日 玉前神社秋季例大祭にあわせ、前日12日に宵宮祭が執り行
おこなわれ神楽が奉納された。
玉前神社home 2017-04-13 08:59:59 確認 | 記事
「惟神祐一徳」、古人から託された神からの遣い
「コレタミ イットク二 キス」(惟民一徳帰)は、玉前神社本殿を望む手前の階段から左右に配された石碑文のレリーフで、設置施工された年代不詳であり、それを詳しく説明できるものがいない。浅学で資料を漁ってみたが中国漢文のようで、その道の専門家に依頼して解読してもらった。
そのサイズが巨大で縦0.8メートル横5メートルの縁いっぱいに5文字が書かれてあり、見方によっては圧巻だが、「苔むした」セピア色に人々は、まったくといっていいほど感心がない。というより既成の景色として、それぞれの存在は認めるが主張はいらない、というゲンダイ的価値観の枠に、それはおさまる。
古代の神話とサイエンス
現代社会を組成するあらゆるインフラ、そのすべては古代歴史の叡智によって形成されている。
もっとも新しい情報技術のIT、そしてパソコンなど物理科学のメカニズムによって構成され量子力学の典型である半導体技術によって組み立てられている。その基本的な知識基盤はギリシアの自然科学より始まり、およそ2500年前に溯ります。したがって古代歴史を覗けば、現代のハイテク技術の根源を知ることができるのです。
世界の古代歴史は何と云ってもメソポタミア、ペルシア、ギリシアなどが筆頭に挙げられます。
特に紀元前5世紀頃のギリシア文明は、近隣古代国家の先史が数千年という時間をかけて結実した特異な国であり、また時間的にも2500年前に築かれた文明の第一黎明期であると推察されます。
現代社会にも多大な影響を与えているギリシア文明、その根幹は自然科学を機軸とした天文学・哲学・幾何学にあります。
天文学は古来より人間の営みに欠かせない「暦」という一年のサイクルを定義したのです。それは食糧生産に必須条件であったのです。
当時の政権執行者たちは四季折々の節季を観察し、播種のタイミングを計り、またその年の自然気象を「占い」という手段で予測し民たちに流布していたのです。それは世界中の古代文明を詳細に分析すれば明らかです。
その当時の天体観測など大雑把に自然学と評していますが、それは今で言う占星術であるという指摘をある本で読んでナルホドと納得したものです。それら紀元前の膨大な叡智は時間を経て現在の科学へと発展しました。
物理・科学の源は全宇宙の共通項であり、すべてのメカニズムはそこから発しています。それを探ろうとしたのがギリシアの自然学であり、現代においてようやく「量子力学」分野に端緒が着いたばかりです。
したがって物理科学はいまだ発展途上であり、人間が知らない宇宙的メカニズムは宇宙の彼方に埋没しているのです。
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むしろ敬遠される古代史、物理、科学ですが、今風ネット事情に媚びずインターネットの可能性を探ろうと思惟しております。パソコン一台あれば、あらゆるジャンルの創造制作が可能です。
「過去の歴史、古代史・物理・科学を今更なぞってどうするの~」という疑心暗鬼真理がミエミエのネット世界に、敢えて挑戦してみたいというヨコシマな邪心を文字と画像で表現してみたい。そんな感じのホームページですから訪問者も殆どおりません。かといって思うままの怠惰な日記風ではありません。さらに自己紹介もいたしません。難しく表現すれば学術的な内容になるかも知れません。学校で教えるような、また社会で一般常識と思われているような歴史の概念が本当に正しいのか、という疑問から独自の視点で歴史を検証してみようかと思いました。
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少し難解ですが古代の哲学・自然科学のことを語りながら、ときには音楽も聴いて、飽きたら画像を眺めて、とか退屈しないようなページにしました。
音楽の原点・・・
いま私が演奏している日本古典音楽「雅楽」、そのルーツを辿るとメソポタミアに辿り着く。それを理解したのは一冊の本紹介で「シルクロードの響き」(山川出版社)であり楽器のルーツを辿ると、それは文明のルーツを辿ることと同じです。その中にこんなことが書いてありました。
「紀元前1800年頃バビロニア時代に音楽が存在した。シュメール語の人間創造神話を刻した粘土板は音楽の一種と考えられている。紀元前1000年紀にはすでに音楽理論が整備されていた。当時の音組織は五度連鎖から得られる七音音階に基づいていたと推測される。楔形文字によって記された数学レベルの高さから弦の長さと音の高さとの対応関係は勿論、音律と音程と音階の比例関係も既に知られていた。」(古代オリエント博物館 山川出版社)
その本に書かれている内容は、はるか昔のメソポタミア文明に発生した現代の音楽基礎が、すでに作られていた、という考古学的検証でした。その足跡は即ち、世界歴史全容をも知ることであり、また世界四大文明を理解することでもあります。その端緒がギリシア神話であり、またピタゴラスの定理であったりアリストテレスの形而上学であったり、そしてデカルトの哲学原理にも波及するのです。
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ミノタウロスとクノッソスの物語
ゼウスとエウロペの息子ミノスは二人の兄弟とクレタ島の王位をめぐり争った。ミノスは神の寵愛の証として海神ポセイドンからすばらしい犠牲の牡牛を受け取り、ついにミノスの王位継承権が立証された。しかしミノス王は王位についてから、あまりその牡牛が立派だったので犠牲にすることを惜しんで別の牛を犠牲に供した。怒ったポセイドンはミノス王に罰を下す。
ミノス王の妻パシュパエがその牡牛に恋をするようにしむけた。パシュパエはポセイドンの予告通り牡牛に激しい恋情を抱いた。そして牡牛と交えて生んだ子は頭が牛、体が人間の「ミノタウロス」を産み落とした。 (「森を守る文明支配する文明」安田喜憲PHP 新書 参照 )
この神話物語は、日本における「古事記」の国譲り物語に良く似る。新しい政権が誕生するとき、旧政権を野に下し従服させた正統理由を神話に盛り込む。この場合海神ポセイドンの怒りをかったミノスが、その王妃パシュパエに天罰を与え、牡牛と交えて「ミノタウロス」を産む。地中海の孤島クレタ、そこに繁栄したクノッソス王朝を新興勢力ギリシアが征服したという筋書きが神話として書かれたのである。これは神話のスタイルをとっているが、その当時として、おそらく神話ではなく碑文伝記ではなかったか。世界各地に点在する古代遺跡類は過去の繁栄痕跡を残して地中に埋没し忘れ去られ歴史上から消える。微かにのこされた土着民の口述伝承。
(古いファイルを倉庫{usb}から出したものの記述~)
玉前神社神楽リンク
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解説動画 https://youtu.be/nxafk-zfHnU
waiado69@gmail.com
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