「SHOGUN」金字塔史上最多18部門
「日本の文化を世界に伝えるために」 エミー賞18部門獲得の『SHOGUN 将軍』真田広之が語る 永野正雄 ・文 2024.09.19 LIFESTYLE
米テレビ界のアカデミー賞といわれるエミー賞で、作品賞、主演男優賞を含む、史上最多の18部門を獲得した『SHOGUN 将軍』。
主演のみならず、キャリア初のプロデューサーも務めた真田広之、作品にこめた熱き思いを語ってもらった。【前篇】
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日本人が観て、納得できる作品を
近年、世界的な評価を受けるアジア系の俳優が増えてきたが、いまだハリウッドで活躍する日本人のスター俳優はひと握りしかいない。
そんな数少ない役者のひとりが真田広之だ。2003年にトム・クルーズ主演の『ラスト サムライ』に出演した真田は、その後、世界で勝負をかけるべくロサンゼルスに移住。
持ち前の身体能力を生かしながら数々のアクション大作に出演すると同時に、アンソニー・ホプキンスやコリン・ファースといったオスカー俳優との共演作でも見事な存在感を示し、現在の国際派俳優としての地位を築き上げたのである。
そんな俳優・真田広之にもうひとつの肩書が加わった。ハリウッド・プロデューサーである。今年2 月よりディズニープラスの「スター」で独占配信中のドラマシリーズ『SHOGUN 将軍』(全10話)に主演している彼は、本作で初めてプロデューサーも兼任。子役時代から培ってきた役者としてのキャリア、そして20年間にも及ぶ海外での経験のすべてを注入し、これまで見たことのない戦国スペクタクルをつくりあげたのである。
「僕がこの作品で演じているのは、徳川家康にインスパイアされた吉井虎永という戦国武将です。8年ほど前にオファーをいただいた時は、役者として出演するだけのはずでしたが、途中からプロデューサーも兼ねてほしいと言われました。かねてから日本を描く作品に携わる際は、日本人が観て、きちんと納得できるものをつくりたいという気持ちがありましたので、これはいいチャンスだとお引き受けしたんです。僕にとっては初めての体験でしたが、こうして作品が完成し、世界に発信できる日を迎えることができたのは本当に感慨深いですね」
作品の配信にあわせて、久しぶりに日本に帰国した真田広之。インタビューの当日は、軽やかなジャケットを羽織り、劇中の虎永のテーマ・カラーでもあるブラウンとゴールドでまとめたコーディネートで現れた。ちなみに『SHOGUN 将軍』では、登場する戦国武将たちの衣装に、それぞれ違う色が割り当てられていたという。
さて、この『SHOGUN 将軍』という作品だが、タイトルを聞いて1981年に日本でも放映された、アメリカNBC制作のドラマシリーズを思い出す読者も多いことだろう。原作は1975年に発表された、ジェームズ・クラベルによる大ベストセラー小説。1600年に日本に漂着した英国人航海士、ジョン・ブラックソーン(モデルとなったのは徳川家康の外交顧問として仕えたウィリアム・アダムス)の目を通し、太閤亡き後、次なる統治者の座を巡る、戦国武将たちの熾烈なる争いを描いている(ちなみに真田広之扮する虎永は、81年のドラマでは三船敏郎が演じていた)。
「前の作品では終始、ブラックソーンの目を通して物語が描かれていきましたが、本作はその点が大きく異なります。今回は彼の視点だけでなく日本人の視点も加えて、それぞれのキャラクターや背景にもっとレイヤーをつけるようにしたんです。当時の日本人から見た、イギリス人航海士やポルトガル宣教師などの姿です。そうやって両サイドの視点をバランスよく取り入れながら、ステレオタイプな表現や、トレンドな表現は極力、切り落としていくようにしました。一部の客層におもねるような表現をあえて排除することで、世界中の観客が理解し、共感できる作品にできると考えたんです。もちろん日本の時代劇ではありますが、政治的な戦略や家族、愛を描いた内容は、どの国や環境にも置き換えることのできる普遍的なものだと思っています」
撮影はカナダのバンクーバーで10カ月間かけて行われた。エグゼクティブ・プロデューサーとして大ヒット映画『トップガン マーヴェリック』の原案を手掛けたジャスティン・マークスが名を連ねる本作の規模はまさに桁違いで、撮影のために港や村を丸ごとつくり、登場する船も、実際に動かすことのできる実寸大のものを制作したという。だがそれ以上に驚くのが、オーセンティックなものづくりをとことん追求する真田広之のこだわりである。
「日本の時代劇通が観ても納得できる作品をつくることが、我々の大きな目標でした。それこそカツラから衣装、小道具、所作指導にいたるまで、日本全国から集めたチームを現地に呼び寄せたんです。特に若い俳優には、殺陣の稽古をつけ、細かな動きまで徹底的に指導しました。それは今までずっとやりたいと思っていながら、なかなか実現できなかったことでもありましたね」
後篇【『SHOGUN 将軍』真田広之が語る】
海外の映像作品において、日本の文化が間違った形で紹介されている。そんな現状を打破したいという思いが、ずっと真田の胸の内にはあったという。
日本で大スターとしての揺るぎない地位を築いていた彼が、海外で勝負をかけることにしたきっかけとは?
プロデューサーのタイトルを得たことで
「実は『ラスト サムライ』以降、日本を描いた海外の作品に携わる時は、僕が細部をチェックしたり、アドバイスをしたりしていたんです。それもすべてボランティアでやっていたことですが(笑)。ただ一俳優として言えることの限界は感じていましたし、西洋のクルーに押し切られたことも多々あります。
ですので今回プロデューサーとして作品に参加できたことは非常に有難かったですね。プロデューサーというタイトルを得たことで、周りのスタッフに気を遣いながら、遠慮がちに直す必要もなく、間違っているものは間違っていると、はっきり言うことができた。僕が海外の現場で見て、学んできたことを、今回はしっかり反映することができたんです。
今後、日本の文化を世界に発信していく際は、この作品のレベルを最低限のニュー・ノーマルにしていきたいし、これを布石にして、もっともっと先に行きたいと考えています」
またプロデューサーというタイトルを手に入れたことで、裏方の仕事も自分が選んだ日本のチームに安心して任せることができた。おかげでカメラの前ではあれこれ考える必要がなく、完璧にリラックスした無の状態で、虎永になり切ることができたという。それは本人にとって「ご褒美をもらったような、楽しい体験」でもあったそうだ。
以下割愛
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note らんぼう窯 見聞記 (2024/9/19)