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音楽は古典に載って

今朝は、早くから投票三昧でしたが、あいにくと5分前だったので、並んで待機しました。
と云っても前に一人、その後が私ですから、その会場の列は2名ということでした。
地元最寄り投票場、ですから、私の前が誰なのか、勝手知ったる人物でしたし、挨拶もそこそこに、井戸端会議・・・、はしなかったです。

いかんせん政治決定の場、ですから余計なことをいったら拙いとおもったからです。

開場して中に入ると役場職員役15名ほどが、定位置について、投票受付してました。まあ、考えてみればネット投票になったら、そんな手間も必要ないので、それは早急にやったほうがいい、とそれを観ておもいました。(それ以前のはなしですか、決めるべき政党政治家が見当たらない、裁判官国民審査選定の投票の選考など、ガラパゴス仕様健在ですから、すべて不問ということで~)

国内政治については、そんなことですから、どうしたって海の向こうの火事場硝煙が気になります。

なんですか、よかれと思ったイーロン・マスクのしたトランプ献金が裏目になったとか、ステージアジ論が不評だとか、メディアの餌食のようです。それだって投票数に影響与えるので、口から滑った一言二言が、1億円増えたり、株価が暴落したり、テスラ株が大高騰したとか、アメリカは単純明快で判り易いです。
その真逆が日本ですから、立候補するにしても10枚程度の申請書類提出に印鑑は必要です。

そんな話題ですから、特にトピックがあって記事にしている訳ではありません。

その中で、こんなのがありました。

近松門左衛門は「宮崎駿+三谷幸喜+秋元康」のような人
松井今朝子さん「一場の夢と消え」に描いた生涯 文楽の魅力、小説で「語る」 大島真寿美さん「渦 妹背山婦女庭訓魂結び」
「渦 妹背山婦女庭訓 魂結び」 虚実のみ込む創作のすごみ
歌舞伎俳優・中村壱太郎さんが好きな本・大島真寿美「渦 妹背山婦女庭訓 魂結び」

でした。それに気を引いた近松門左衛門ですが、それについては知識がありませんので、AI検索で調べました。

近松門左衛門 x  Grok 回答
近松門左衛門(1653年 - 1724年)は、日本の浮世絵師で、特に歌川派の浮世絵を代表する画家の一人です。彼は戯作家としても知られ、特に浄瑠璃(人形浄瑠璃)の脚本で有名です。以下に彼の代表作や特徴について簡単に触れます。
「心中天網島」 - これは心中物語の最初の例とされ、愛する者同士が社会的圧力から逃れるために自殺するというテーマを扱っています。
「桜姫東文章」 - 豪華な衣装や背景を持つ物語で、美の表現に優れています。

戯曲の進化: 近松は、人間の情念や社会の問題を深く掘り下げた作品を多く残しました。彼の作品は悲劇的なエンディングが多いですが、その中でも人間の感情や倫理観を描き出す技術に優れていました。
 彼の絵は、当時の風俗や風景をリアルに描き、庶民の生活や心情を反映しています。特に美人画や役者絵が有名で、彼の作品からは江戸時代の文化や娯楽がよく理解できます。

近松門左衛門は、日本文学や芸術における重要な人物であり、彼の作品は今日でも多くの研究者や愛好家によって読み継がれ、分析されています。彼の戯曲は現代の演劇や映画にも影響を与えています。

近松 門左衛門(承応2年〈1653年〉 - 享保9年11月22日〈1725年1月6日〉)とは、江戸時代前期から中期にかけての人形浄瑠璃および歌舞伎の作者。
元禄16年(1703年)、『曽根崎心中』を上演。宝永2年(1705年)に義太夫こと竹本筑後掾は座本の地位を初代竹田出雲に譲り、出雲は顔見世興行に『用明天王職人鑑』を出す。このとき近松は竹本座の座付作者となり、住居も大坂に移して浄瑠璃の執筆に専念した。正徳4年(1714年)に筑後掾は没するが、その後も近松は竹本座で浄瑠璃を書き続けた。正徳5年の『国性爺合戦』は初日から17ヶ月の続演となる大当りをとる。ウイキペディア

近松門左衛門は浄瑠璃、という通説があって、そのプロと勘違いしてましたが、それは一部であって、当時の舞台作家、いまでいうシナリオライター、クリターでした。
多分、ほかにも同じ作家はいたでしょうが、浮世絵作家のような、多彩なアーティトがないのは、どうなんでしようか。

そこに「義太夫」とありましたが、それも説明しないと判らない。

■義太夫節(ぎだゆうぶし)17世紀後半に大坂で竹本義太夫が語り始めた浄瑠璃(ドラマのストーリーやせりふを三味線の伴奏で語る音楽)。
2003年に世界文化遺産に登録された「人形浄瑠璃文楽」の音楽です。声を担当する「大夫」(たゆう)と、三味線弾きが対になってドラマを語りあげます。あらゆる三味線の中でも最も棹が太く(太棹)、重い胴、厚みのある撥に特色があり、ダイナミックな迫力のある響きが聴く人の心を打ちます。歌舞伎化された演目のなかで演じられる場合は「竹本」といい、演奏だけを行うことを「素浄瑠璃」(すじょうるり)といいます。 花伝舎引用

そんな説明でわかりましたか。

せいぜい江戸1725年代のことですが、いまの平均的社会層で、その古典は判らない部類に属する。

仮に古代音楽の「蕃楽」とか神仙、盤渉 平調 など書いてもごく一部の人しか判りません。
そうしたことが日本には多く残存していて、さらにそれが特別な勉強しないと理解できないという日本的インフラがあります。それがガラパゴス化たるゆえんです。

どうしてそうなったか、そのイントロにあった、「宮崎駿+三谷幸喜+秋元康」が見出しにあって、「秋元康」について記事検索したら、こんなのがありました。

■運転席がパン屑だらけです。そんなことを、まるで気にしないで、バゲットを食べているあゆさんって、素敵だなあと思った。
あれだけおしゃれな大人の女性が、おしゃれな車を運転しながら、パンくずをポロポロ落としているギャップが凄い。「ああ、これね」。
「昔、パリに行った時に、バッグが壊れちゃって、もっと頑丈なバッグはないかなと思って探してたら、たまたま見つけたから、買っただけ」と、かなり使い込んだルイ・ヴィトンのバッグを見せてくれたのです。
それって、作りもデザインも良かったから買ったの、たまたまそれ、ルイ・ヴィトンだったという話し。カッコよくない? 流行の最先端にいるのに、一過性の流行に流されることなく、いいものだけを見極めるセンスがあった人。 文春一部引用(名は伏せた一部編集)

ひとは(世間社会は)、そんな話に同調したがるでしょう。雲の上のひとが、実は人間臭くて、まるで赤裸々だった恥部をさらけ出す、高額バックにしても、拾ったような僥倖感覚で、ひけらかすことはしない。ひとはそれに感嘆する。

ですから、その『曽根崎心中』を書いたライターが近松門左衛門だったり、人形浄瑠璃文楽をやったのが義太夫節、だったとか、誰も教えてくれない。

それが、まったく境界なしに、ひょいと、令和時代に顔を出しても何の違和感はない。なぜか、昔の歴史にある生活様式の一つであり、また現代人はそれを語ることによって一つの現代ステイタスリテラシーを誇示することもある。

ですからガラパゴス化であっても、判らない項目があっても、手の平スマホだったら、簡単に解説されます。
他のニュースでは、イスラエルがイランに攻撃を行った、というニュースがありました。
それとコレの境、区別の根拠は在りません。ただそれを読んでニュース(真実性の担保はない)を社会が知ることです。

それは宗教的云々より前の、性(生)の欲望が人にあるからでしょう。あるSNSネット記事に書いてありました高齢者(父親82歳)の性の拘りで、オンナ二人との逢引証拠が発覚したニュースでした。それなくして種は保存されない、ただそれだけの理由なのでしょう。でも家族(社会性)は、尋常ならざる事態だと大騒ぎする。

ですから近松門左衛門は『曽根崎心中』をなぜ書いたのか気になります。

■醤油問屋で働く徳兵衛と遊女のお初は愛し合いますが、徳兵衛にはお初を請け出す金がなかった。徳兵衛は友人と思っていた九平次から金を騙し取られ、人前で恥をかかされる。徳兵衛は死んで身の潔白を晴らそうと決意し、お初のもとを訪れます。お初は徳兵衛を店の縁の下に忍び込ませ、独り言になぞらえて死の覚悟を問い、徳兵衛は応える、という筋書き。

そしてもう一方、人情物語「隅田川」。
六代目中村歌右衛門の「隅田川」で、息子の死を知らされた母が涙にむせぶ終幕。殺された我が子を見て母親が泣き崩れる場面を見て泣くのが、たまたまそれを見ていた劇場で「ジョン・レノン」、感極まり止めどもなく涙を流したという有名な逸話。

車内にパンくずが散らかっていたとしても、わたしたち中級国民クラスとしては、そのセブンイレブン8兆円買収額に見紛うことなく、低価なノンアルコールビールを選んで、一月の終始決算をするわけです。そうした人々が日本経済を支えているのです。

※昨今、そんなことを感じているので、これからの記事は、そうした日本の古典音楽についての話しをしたいと思うようになりました。また、いつもの定型句ですが、「少子高齢化」によってこの先の日本がどう変わっていくのか、気になります。
政治家の公約以前に、2030年リミット説以前に、毎年の人口動態「令和5年 1,575,936人」が死亡するという実体です。これを百年計算したら、いったい何人が日本に残るでしょうか。

よく云う、「そんな時代まで生きていないから」説は、他人事として、皆口にしますが、では自分の存命期間中、なにをしたのでしょうか。おそらくほとんどの人が、やりとげた達成観というのはないでしょう。
これを読んだnoteユーザー皆さん、どう思われましたか。

私の場合~ですか?

まったく「やり遂げてない」実感の塊りでしたから、歳よりの氷水で、これから、その日本的古典音楽伝承の仕上げ、をしたいと発起しました。その理由、今しかないからです。
人は生活環境が都市化、していて、どんどん都市集中化で高層化している。狭い土地密集地でも高層にすれば人口は建ペイ率内で多層化できます。それと入れ替えに、地方は無人化し比例して過疎化する。地方が衰退し、当然生まれるべき子供もいない。
その例が、この度の能登半島自然災害で、それが一挙に現実化したのです。それは一方的パラドックスではなく、何れも抗しがたい諸刃の剣です。
そうした中での地域文化は、そこで断絶です。よくあるダム建設のために村ごと湖底に埋没した遺跡的集落に、伝承音楽が引き継がれることもない。すなわち文化の衰退が人の衰退なのです。

そんな昔話しを伝承音楽に載せて記録したいなと、準備をしているところです。それが先日の「一寸法師」序曲でした。

今後、古典音楽(新作笛ひちりき ズルナ)を通じて動画とか、ライブ演奏とか、やりたいと思いますので、期待があったりなかったりお待ちください。

作日、昔造ったMD記録の整理しました。若いころ録音した神楽笛曲を探したいからです。ほぼ半日かかりました。目当ての曲はありました。MDですから劣化はありません。その当事自作で作った笛で吹いてました。今訊いても遜色ありません。どこが遜色ないかといったら、原曲に忠実でウソがない。まったくそれは音楽の基本です。

そこで再認識した自分に出会ったという意識です。若いころの写真が判りやすいですが、音楽では音色と技量がしかっり録音されてます。その延長が自分であり、今後も継続する遺伝子です。
それで判ってたのは物理法則「フカギャク」は過去に戻れない、ではなく過ぎた過去の進行形を見る自分だったのです。だから他人の指摘言葉とは別次元の相手として、語り合える無二の人間それが自分でした。それが唯一、皆さんに伝るべき一句だったのです。




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