朗読 浦島太郎.2
好評により、浦島太郎.2を書くことにいたしました。(.1)は最速PV獲得数となっており、日本伝承古典の伝承譚が、いかに人気が高いかを物語るものでした。
その結果を踏まえて一般的に当然「ヤナギのした~」を狙うのが筋ですから、その勢いで今書いてますが、昨晩熟慮したのですが、その資料があったとしても、せいぜい三日程度の賞味期限しかない、というのは経験的に判っておりますので、以後、古典伝承話は、解説とか、個人解釈は挟まないようにして、素のママで記述する、というスタイルにいたします。
今回は、浦島太郎伝説、の作られた時代など資料を集めましたので。それを公開いたします。
浦島太郎
浦島太郎の話は、一般には次のようなものとして知られている。浦島は助けた亀に案内されて竜宮を訪問。歓待を受けた浦島は三日後に帰郷するが、地上では三〇〇年の歳月が過ぎている。
開けるなといわれた玉匣(玉手箱)を開けると白煙が立ち上り、浦島は一瞬にして白髪の爺となり死ぬという内容で、動物報恩、竜宮訪問、時間の超自然的経過、禁止もしくは約束違反のモティーフを骨子とする。
奈良時代の『日本書紀』雄略二二年の条、『万葉集』巻九の高橋虫麻呂作といわれる「詠水江浦島子一首并短歌」、『丹後国風土記』、平安時代の漢文資料「浦島子伝」「続浦島子伝記」などにも記述がみえる。
これら古記録には亀の恩返しという動物報恩のモティーフはなく、『万葉集』を別として、丹後水江浦日下部氏の始祖伝説の形をとっているところに特徴がある。時代が下って室町時代の御伽草子『浦島太郎』になると、動物報恩の発端が登場し、浦島が鶴となって丹後国浦島明神にまつられるという形をとるようになる。
また、浦島に“太郎”の名が付与され、竜宮城の名称が現れるのもこのころである。江戸時代の赤本類ではさらに童話化が進み、太郎は亀の背に乗って地上と竜宮城を往復する話に変容していく。
浦島伝説を素材にした文学作品には近松門左衛門『浦島年代記』、明治時代に入ってからは、島崎藤村『浦島』(詩)、森鴎外『玉篋両浦嶼たまくしげふたりうらしま』(戯曲)、坪内逍遥『新曲うら島』(楽劇)などが知られている。
現在、浦島伝説を伝える地は、京都府与謝郡の宇良神社(浦島神社)、神奈川県横浜市の浦島の足洗い井戸・腰掛石、長野県木曾郡の寝覚ノ床などがあり、それぞれ独自の話を伝えている。
一方、昔話の「浦島太郎」は全国に分布し、内容的には、動物報恩のモティーフを発端とする一般型が多い。
東北地方では、竜宮訪問、時間の超自然的経過のモティーフが独立した話として語られ、香川・鳥取では太郎が鶴と化す御伽草子系の伝承がみられる。
奄美の沖永良部島では海彦・山彦説話と複合している。竜宮は海上彼方に楽土があるという常世とこよ思想の反映であろう。
女から課せられた約束を男が一方的に破るのは「蛇女房」「鶴女房」などの異類女房譚の特色であり、常に人間によって禁止事項が犯され、不幸な結果を招来することになる。
これは『古事記』の豊玉姫説話にも現れている古い説話モティーフといえよう。
浦島説話と同型の話は、朝鮮、台湾、中国、チベットなど東アジアや東南アジアの諸国にも分布している。
なかでも中国の洞庭湖周辺の伝承は、「竜女説話」と「仙郷淹留えんりゅう譚」の複合により成立したものとみられ、日本の浦島説話とも非常に似ているところから、浦島説話の原郷土を探るうえで重要な位置を占めている。
[大島 広志] 「ジャパンナレッジ」検索
(新版 日本架空伝承人名事典 より)