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現代詩、「アラブの春」と、杜甫の「春望」との決定的な違い
「アラブの春」とは2011年初頭から中東・北アフリカ地域の各国で本格化した一連の民主化運動のことです。
この大変動によって、リビアでは政権が交代し、その他の国でも政府が民主化デモ側の要求を受け入れることになりました。「アラブの春」による中東・北アフリカ情勢とその動きに呼応した国際社会と日本の支援について紹介します。(外務省)
そのITインフラ世界の申し子、「アラブの春」は、その名の通り、アラブの国々に「春」が訪れる、という過大な期待とともに世界に大きなうねりをもたらした。
その結果は全地球の為政者全員が知っての通りの結果となったことは、明らかだった。
その2011年の変革と、757年に読まれた詩、を比較したところで誰も知らないし、興味もない。たまさかそれらがあったとして、似たような写真を検索して貼ってみたところで、それとコレがどう違うのか、殆ど判定されない。
ま、757年に書かれた「春望」の風景だったら少しは認識できるかもしれない。
『春望』唐の詩人・杜甫が安史の乱のさなかの757年(至徳二戴)春に長安で詠んだ五言律詩。
『春望』は「春の眺め」と解される。詩では、戦禍に翻弄される祖国・家族・自分の行く末に暗澹とする心情が、本来楽しかるべき春の陽光や花鳥とは裏腹に対比される形でうたわれている。戦乱で家族と離散した悲しみを核としつつ、官僚として国の存亡を憂うる社会性も備えた作品になっている。
<現代語訳> 春望 杜甫
都の長安は(安禄山の乱のために)破壊されたが、山や河は昔のまま
長安は春になり草木が生い茂る
時勢(のむごさ)を感じては、花を見ても涙を流し
(家族との)別れを恨めしく思っては、鳥の鳴き声にも驚かされる
戦いののろしは3か月にわたってあがって、
家族からの便りは大金と同じぐらい貴重だ
白髪頭を掻きむしると、髪はいっそう短くなって、
(かんざしのような)ピンで冠をとめようとしても、まったくとまりそうもないほどになっている。
<漢文> 春望 杜甫
国破山河在
城春草木深
感時花濺涙
恨別鳥驚心
烽火連三月
家書抵万金
白頭掻更短
渾欲不勝簪
漢文塾
動画 春望
https://youtu.be/JXpOVeVgkEQ?t=29
その「アラブの春」と二次元画像を比較して違うのはないにしても、そこで戦ったー「兵」は戦死する、という紛れもない現実は、昨日今日のウクライナ、ロシア×イスラエル、ガザ報道を観る、知れば、それ以上のリテラシーはいらない。
その運命悲哀をしたためたのが「春望」だった。そこには老兵(?)の歳も出身も国名も書かれていないが、もしかすると貧苦の中の生活費のための傭兵であったかもしれない。であるとすれば、名もなく望郷の念を抱いてい死んでいく切なさは、想像を絶する。
その「闘い」の本質は何かといったら、貧富の差であり、そこから生じる飢えは、そこで家族、妻幼子を犠牲にするとなれば傭兵でもなんでも日銭を稼ぐのが、先決であることは幼い子供だって判っている。
そんな簡単な数式で、歴史上の闘いを計ってみれば、すべてが同じ回答になるというのは、いまの紛争にもあてはまることだった。となると、このイザコザが、長期に連続するという明快な解を提示していた。
これをサイコロゲームのように、弄んでいるのはいったいどこの誰なのか?
この記事は初め、「平家物語」諸行無常、を書くつもりだったが、その歴史物語は、800年前の「つわもの」の話ではなく、いまリアルタイムで起きている、中東紛争のことだ、と改めて思い返して、アラブの春と、春望の説を、知ってもらうために書いたものである。
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星野 哲也 : 2013/09/26 6:00 ペンシルバニア州立大学博士課程
著者 https://toyokeizai.net/articles/-/18963
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無常の儚さと権力者への敵意
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
猛き者も遂にはほろびぬ
偏(ひとえ)に風の前の塵に同じ
日本文学史上、あまりに有名な『平家物語』の書き出しだ。
『平家物語』の正確な成立年は不詳だが、鎌倉時代前期には原型ができていたと考えられている。形式は二つあり、一つは「読み本系」、つまり書写された書物として残っているもの。もう一つは「語り本系」で、琵琶法師が琵琶を弾きながら語り継いできたもので、「語り」とは節を付けて歌うこと。これを書物化したのが「語り本系」である。私たちが目にする機会が多いのは、もっぱら「語り本系」だ。
(左)琵琶法師 /『職人歌合画本』、(右)慶長年間の平家物語「語り本」。「諸行無常」の文言が読める。(2点とも国立国会図書館所蔵
次号はこの記事を書く予定