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ウォーターゲイトとトランプ

トランプの罪と罰は金で解決
トランプが無罪放免となる確率を、10分の3から10分の8に上げてみよう。その場合、いずれのケースでも、有罪判決を下され刑務所に入る確率はわずか20%だ。それでも計算すると醜悪な結果になる。0.8⁴=0.41、つまりトランプが刑務所を免れる確率は、きわめて有利で例外的な確率を適用しても41%しかない。最高に有利な計算をしても、まだ収監の可能性は覆らないのだ。

トランプ元大統領は77歳の肥満男性であり、実刑判決は死刑宣告に匹敵する収監を実現する権限を行使できる。さらに強力な説得要素は何か? それは生存の見込み、つまり獄中死の回避である。収監は、(司法取引した場合の)ゴルフや、取り巻き連中や、ポルノ女優たちとの生活と比較すると、誰よりも妄想まみれの精神に重くのしかかるものだ。部分引用

なんだかんだと、選挙の話にトランプは欠かせないし、本人もやる気まんまんのようだ。

だが、その記事を読む限りでは、形勢は良くないように取れる。そこでアメリカ大統領選挙は、ちまたある選挙と比較して、民主主義において公明正大なのか、過去の「ニクソン」の場合と比較してみることにした。

ペンタゴン・ペーパーズ漏洩 
1972年6月という時点は、この年2月のニクソン訪中で米中の間でかつての厳しい対立から実務的に対話ができて強固な米中関係に進むことで、ベトナム戦争の終わりが見えてきた時期である。
また5月のニクソン訪ソによってそれまでの米ソ協調体制がさらに順調に進み、ケネディ大統領の時代と異なる東西の緊張緩和(米ソデタント)を迎え、ニクソン外交が最も華やかに展開された時期でもある。
また内政では前年夏のニクソン・ショックで懸案であったドルの切り下げを各国間の通貨の同時調整で実施し、内政・外交とも成果を挙げた時期であった。
事件の発端は、1972年の大統領選挙戦のさなかに、何者かが当時のニクソン共和党政権にとって野党である民主党の本部のあったウォーターゲート・ビル(ワシントンD.C.)に盗聴器を仕掛けようとして侵入したが、警備員に発見され警察に逮捕されたことであった。

やがて犯人グループがニクソン大統領再選委員会(Committee to Re-elect the President, CREEPまたはCRP)の関係者であることが判明し、当初ニクソン大統領とホワイトハウスのスタッフは「侵入事件は政権には無関係」の立場をとったが、次第にワシントン・ポストなどの取材記事によりこの盗聴事件に政権内部が深く関与していることが暴露された。

さらに事件発覚時にホワイトハウスが捜査妨害ともみ消しに直接関わり、しかも大統領執務室でなされた会話全般のテープ録音が存在することを上院調査特別委員会が明らかにした。
この録音テープの議会提出の拒絶や、事件調査のために設けられた特別検察官を政権が解任するなど(それに抗議して司法長官と司法副長官は辞任した)明白な司法妨害がなされた。
このようなニクソン政権の不正な動きに対して世論は猛反発し、やがて憲法の規定に基づく議会の大統領弾劾の勢いに抗しきれなくなり、アメリカ合衆国で史上初めて大統領が辞任するに至り、2年2ヶ月にも及んだ政治の混乱は終息した。

日本人として唯一ウォーターゲート事件の一部始終を取材した記者に筑紫哲也が居る。筑紫哲也は当時、朝日新聞社のワシントン特派員として派遣されており、1979年に自身の著書の中で3年余のワシントン勤務の3分の2強を「ウォーターゲート」に振り回されたと述懐している。 引用記事

この一連の事件を映画にした動画配信を見た感想は、「選挙に勝つ」ことは党にとって当然必須項目であり、不正とか公務とか一切を捨てて、それにトライする姿勢はアメリカ的というか短い国の歴史というべきか、なんでもあり、はトランプがした例の議事堂襲撃も、さもありなん、であって、当人たちにしてみれば民主的自由表現手段ということになる。だからそれを悪とか善とか、判定するのが何か、という価値観の問題で、外から見た(日本)そのスケールは、仕様がまったく違うと考えるべきである。

スコット・ギャロウェイ「デジタル経済の先にあるもの」
トランプが「司法取引」で大統領選から撤退する数学的根拠 
クーリエジャポン スコット・ギャロウェイ 8min2023.9.2
Text by Scott Galloway From No Mercy No Malice
この記事は、ベストセラーとなった『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』の著者で、ニューヨーク大学スターン経営大学院の経営学者であるスコット・ギャロウェイによる連載「デジタル経済の先にあるもの」です。月に2回お届けしています。

私にも、誰にも、先のことはわからない。でも私には、ドナルド・トランプが司法取引に応じて大統領選から撤退する可能性が高まっているように思える。なぜか? 答えは計算すればわかる。

トランプは少なくとも3つの裁判管轄で起訴に直面しており、再選されない限り、裁判にかけられ、有罪判決を受け、収監される可能性が高い。そうはなるまいと私が考えるのは、司法取引をすれば全員の利益になるからだ。

トランプと検察側は、刑事訴訟の解決と引き換えに、トランプが公職に就くことを生涯禁止することで和解するにちがいないと私はにらんでいる。政治地図の実情が浮き彫りになるにつれて、トランプにとって司法取引が最善策として浮上してくるだろう。そして、元大統領の投獄がもたらす連鎖反応が現実味を帯びるにつれて、司法取引は米国にとっても最善の(あるいは最もマシな)結果となるはずだ。

トランプ側の計算
トランプ元大統領は77歳の肥満男性であり、実刑判決は死刑宣告に匹敵する収監を実現する権限を行使できる。さらに強力な説得要素は何か? それは生存の見込み、つまり獄中死の回避である。収監は、(司法取引した場合の)ゴルフや、取り巻き連中や、ポルノ女優たちとの生活と比較すると、誰よりも妄想まみれの精神に重くのしかかるものだ。

では、投獄の脅威はどれくらい差し迫っているのか? 

これを書いている時点で、トランプは3回起訴されている※1。口止め料の支払いをめぐる納税および報告義務違反でニューヨーク州大陪審によって、国家安全保障に関わる機密文書の不適切な取り扱いと捜査妨害の容疑でマイアミの連邦地裁によって、そして2020年の大統領選の結果を転覆させようとした容疑でワシントンの連邦地裁によって。

さらにはジョージア州で、選挙結果に不正介入した容疑で4件目の起訴が見込まれている(註:8月14日にトランプ前大統領を含む19人が起訴された)。だが、トランプが実際に刑務所送りになるおそれはどの程度あるのか? ありえないように聞こえるが、計算してみると、可能性は低くなさそうだ。

連邦検察官はめったに敗訴しない。2021年には、連邦重罪で起訴された被告の94%が有罪判決を受けている※2。州および地方検察官もやはり高確率で有罪判決を下しており、トランプを起訴する見込みのジョージア州大陪審は90%の有罪率を誇っている※3。

さらに、連邦検察官から有罪判決を受けた被告の74%が、懲役刑を下されている。とりわけ国家安全保障に関する文書の不正処理に関する事案では、司法省は常に数年に及ぶ実刑判決を勝ち取っている※4。

そして、前大統領に対する文書関連の事件は、トランプが自ら機密指定を解除していないと認める軍事機密を共有している場面の音声録音※5、文書の機密性、そしてトランプのあからさまな妨害行為といった、司法省と裁判所がかなり深刻に受け止めている証拠の重要性でも注目に値する。

トランプの運命を決定付けるのは単独の事件ではなく、複数の事件(起訴)の複合的なリスクである。通常、起訴された被告が収監を免れる確率は10分の3だ。勝訴する確率が30%で、それが4回連続となると、刑務所に入らずに済む確率は1%を下回る。

エコノミスト、トランプ
英誌が警鐘を鳴らす「2期目のトランプ政権が目論む『恐ろしき計画』」
そうは言っても、トランプはありきたりな被告ではないため、訴訟は一筋縄ではいかないだろう。彼には無尽蔵の資金力があり、億万長者として法廷弁護のあらゆる手段を行使できる。加えて、どの事件の陪審にも、有罪判決を拒否するトランプ支持者がいる可能性はゼロではない。おまけに、どの事件の起訴にもハードルがある。

ニューヨーク州のケースは全般的に根拠薄弱と見られており、いくらマンハッタン検事局に潤沢な予算があるとはいえ、司法省のようにはいかない。連邦文書のケースは、書類上は重大事件に見えて、裁くとなると容易ではない。公開裁判の中で政府の機密を扱うというロジスティクスを解決するだけでも、訴訟や上訴の応酬で数ヵ月はかかるだろう。選挙介入の容疑は複雑で、真新しい、あるいはめったに検証されない法的理論に基づいている。
だが、数字的にはトランプに不利な状況は変わらない。

それでも、トランプが無罪放免となる確率を、10分の3から10分の8に上げてみよう。その場合、いずれのケースでも、有罪判決を下され刑務所に入る確率はわずか20%だ。それでも計算すると醜悪な結果になる。0.8⁴=0.41、つまりトランプが刑務所を免れる確率は、きわめて有利で例外的な確率を適用しても41%しかない。最高に有利な計算をしても、まだ収監の可能性は覆らないのだ。

ニクソン「ウォーターゲート」事件1972年6月

事件発覚の発端となったウォーターゲート・ビル


ウイキペディア

ペンタゴン・ペーパーズ漏洩
盗聴・侵入の背景
1972年6月という時点は、この年2月のニクソン訪中で米中の間でかつての厳しい対立から実務的に対話ができて強固な米中関係に進むことで、ベトナム戦争の終わりが見えてきた時期である。
また5月のニクソン訪ソによってそれまでの米ソ協調体制がさらに順調に進み、ケネディ大統領の時代と異なる東西の緊張緩和(米ソデタント)を迎え、ニクソン外交が最も華やかに展開された時期でもある。また内政では前年夏のニクソン・ショックで懸案であったドルの切り下げを各国間の通貨の同時調整で実施し、内政・外交とも成果を挙げた時期であった。

しかも1972年大統領選挙は、予備選挙がほぼ終盤で、民主党の本命だったエドマンド・マスキー候補が失速、ジョージ・マクガヴァン候補が浮上して共和党にとってはまず順調に選挙戦が戦える見通しとなった時期である。ニクソンにとっては順風で1971年7月 - 8月のニクソン・ショックから1973年1月のベトナム和平協定成立まで、正に絶頂期を迎えた頃であり、民主党本部を盗聴する必要など全く無かった。これは事件発覚直後でも、ずっと後になって振り返る時でも誰もが考えることであった。

元々この7人が、民主党本部を盗聴するためのチームであったかと言えば、それは違うという結論になる。ニクソン政権になってから内部からの情報漏れによる報道によって外交政策や外交交渉に影響を受ける事態を苦々しく思ったホワイトハウスは1969年に特定の記者や国家安全保障関係者の電話盗聴を命じた。実施したのはFBIで1971年まで続いた。

機密解除
ニューヨーク・タイムズのスクープからちょうど40年後の2011年6月13日、「ペンタゴン・ペーパーズ」の機密指定が解除され、国立公文書記録管理局が全文を公式ウェブサイトで公開し、全7,000ページのうち、これまで明らかになっていなかった2,384ページも閲覧できるようになった。

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