ジャパンコペルニクス.a1
介錯(斬首)
正夢~悪夢~何れか判然としないそのユメ?
夕べは寝れなかった。特別ハードな仕事をしたわけでもなく、遅くまでテレビを見ていたわけでもない。
寝たのは確か午後11時を少し回っていたと思ったが時計を確認したわけでもない。
次の日(?)目が覚めた。時計を見ると1時45分(午前)だった。まだ早いなと、思い一旦布団に入ったが中々寝つけなかった。
起きていてもその夢の続きが展開していて、ユメの時間と真っ暗な部屋の現実時間の輪郭がはっきりしなかった。オレは今どちらにいるんだ、と。(最近、睡眠薬後遺症見たいなもので幻覚が出る)
夢のはじまりプロローグ
その夢の始まりは、江戸中期の旗本屋敷の中庭だった。切腹のシーンで介錯人もすでにスタンバイしている。その理由は判らない。
時代は江戸で社会的な情報源としては瓦版しかなく、「徳川幕府」政権(○○民主党)の悪事など八さん熊さんが知るはずもない。
不確かな風聞によれば、「小池に嵌ってさあ大変」といいふらした張本人でアルとかないとか~で、その罪は重く民衆扇動罪の重罪と聞いたが。
公儀介錯人の名は「拝一刀」(萬屋錦之助)と聞いたが、それはテレビの影響だろう。
参考までにその「公儀介錯人」の役職と社会的地位を説明しておこう。
【戸幕府の惣目付を務め、公儀介錯人・拝一刀 の一族が大五郎を除き全て殺害された際に、幕府の検視役として拝家を訪れる。しかし、その際に父・烈堂の命を受け自身が中心となって、拝が活躍した劇。狼一頭(おおかみいっとう)の捩り(もじり、俗曲などで)もとの表現を変えて滑稽(こっけい)または寓意(ぐうい)的にしたもの。】
※「御様御用」とは刀剣の試し斬り役で、処刑の際の首切りの役目(死刑執行人)も兼ねています。歴代当主は血の繋がりがなく、当主が実力で後継者を決め、代々「山田朝右衛門」を名乗りました。御様御用は、腰物奉行の支配下にあった幕府の役目ですが、浪人の立場です。これは旗本や御家人では役目外の収入を得られないからです。御様御用は莫大な収入があります。公儀御様御用の際には、幕府から金銀を拝領。大名家の処刑を代行して金銀を受領。大名家の依頼による、試し斬りをしての刀剣の鑑定料。処刑した罪人の肝臓や脳や胆嚢や胆汁等から労咳に効くといわれる丸薬を製造。(参考ヤフー知恵袋)
※江戸両国橋界隈の風景 両国橋が架けられたきっかけは、江戸最大の大火、明暦の大火(1657年)である。それ以前では江戸中心部から神田川を越えて浅草の方向へは浅草御門を経て浅草橋があったが、隅田川を越えて本所と連絡する橋はなかった。「明暦」の大火では、浅草橋が通行止めになったことで行き場を失った避難民が、浅草御門の前で大量に焼死した惨劇と記録されている。その数は10万人以上に達した。以後この惨事が再び起こらないようにと幕府が架けた橋が両国橋である。
当時は大川(隅田川)が「武蔵国」と「下総国」の国境(さかい)であったから、両国橋と命名した。しかし両国橋が架けられた時点で、すでに隅田川の東岸は武蔵国に編入されていたようだ。そんなことからこの間まで「両国の国境である」という意味で、橋の名がつけられたらしい。万治3(1660)年、隅田川を越えてまだ未開発の本所へと橋が新設された。(締め)
同じ釜の飯その仲間の「石破繁左右衛門権介」は、その事件とは無関係とされているが、首領や同僚たちから反故されており、政権維持するも自らの居場所を探し考えあぐねていた。
それをリアルに描いた「切腹」は、日本映画の金字塔だった。(昭和37年)
映画「切腹」
あらすじ
1630年(寛永7年)5月13日、井伊家の江戸屋敷を安芸広島福島家元家臣、津雲半四郎と名乗る老浪人が訪ねてくる。
半四郎は井伊家の家老である斎藤勘解由に、「仕官もままならず生活も苦しいので、このまま生き恥を晒すよりは武士らしく、潔く切腹したい。
ついては屋敷の玄関先を借りたい」と申し出た。不審に思った勘解由は半四郎に会い、先日、同じように申し出てきた千々岩求女(ちぢいわもとめ)という若い浪人を庭先で本当に切腹させるという挙に出たことを話し始める。
千々岩求女が「切腹のために、玄関先を借りたい」と申し出てきた。これは当時、江戸市中に満ち溢れた食い詰め浪人によって横行していたゆすりの手法であった。発端は仙石家に現れ切腹を申し出た男で、仙石家は男を「誠に見上げた信念だ」と士官にし、それを真似した食い詰め浪人どもが入れ代わり立ち代わり江戸の町々の庶家の玄関先へ訪れるようになっていた。
そのような輩に対し、庶家は金品を与えて帰していたのだが、「他家とは違い、井伊家は骨があると思えばこそ、昨日までは浪人どももその門を避けていた」と、井伊家が甘く見られたことに家中の沢潟彦九郎は憤った。
もし、金品を与えて帰せば、入れ代わり立ち代わり食い詰め浪人が現れるは明白だった。家中には「他家同様、なにがしかの金品を与えて帰らせよう」と言う者もいたが、彦九郎はそれに異議を唱え、勘解由に進言し、本当に切腹させることにした。ただし世間の倫理的批判を躱すために求女に対して、礼を尽くした対応をする必要があると考え、求女を入浴させ、衣服まで与えた。その際求女に対し、一旦は仕官が適いそうなそぶりをして希望を抱かせ、そのあと切腹に至らせるという念の入った陰険さを示した。
玄関先ではなく、庭先で切腹することになり、家臣一同が見守ることになった。その際に求女は、いったん家に帰り戻り切腹することを願ったが、勘解由は「切腹すると称して玄関先を借りたいと言い、金銭にありつく武士の風上にも置けない輩がいるが、貴殿はそのような輩とは毛頭思わん」と許さなかった。
ここに至って求女は、武士の意地を通すために切腹する覚悟を決めた。だが、もともと切腹する心積もりはなかったので、腹を召す脇差を準備していなかった。
求女は武士の魂である刀でさえ質草に出さねばならぬほど困窮し、携えていたのは竹光であった。しかし、介錯人の彦九郎はそれを知りながら「最近では三方の上の脇差に手をかけた瞬間に介錯人が首を切り落とすが、今回は古式に則り、腹を十文字に切り裂いてから介錯を行う。十二分に切り裂いてからでないと介錯はしない」と告げる。彦九郎と勘解由は残酷にも、竹光で詰め腹を切らせたのである。
この判断は、世間からの倫理的な批判を招きかねない危険な処置でもあり、部下からも諌められたが、彦九郎と勘解由は耳を貸さなかった。
求女は切れぬ竹光を腹に向けて3度、4度と血を滲ませながら突き立てたが、いくら突き立てたところで、腹は切れない。求女は柄を地面に立て、自重で腹に突き刺した。脂汗とともに悶え苦しみ、介錯を求める求女に、彦九郎は無慈悲にも首を落とす時間を故意に遅らせ、死に至るまで壮絶な苦痛を与えさせた。ついに求女は舌を噛み切って絶命する。
そのことに勘解由は良心の呵責を感じ、自分がした酷な判断を多少なりとも悔いていた。それゆえに今回の半四郎には、「勇武の家風できこえた井伊家はゆすりたかりに屈することはない」からと、そのいきさつを語り聞かせ、「悪いことは言わないから、このまま帰れ」と言う。 以下割愛
動画 yosaku600
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?