月並みな価値ほど幾らでも分かち合えた古里を想った日
夕映えにそっと懐えば古里遠い二親の顔父上母上よ会いたい
―椎名林檎「いとをかし」より―
私が思い浮かべていた東京は、東京事変或いは椎名林檎の歌そのもののような、いかにも浅野いにお作品に影響を受けたであろうサブカル女子になりきり、代々木公園で踊ってみた動画を撮影してニコニコ動画に投稿することを生業とし、休日は決まって竹下通りで古着屋巡りをして小腹が空いたらクレープを頬張るような、そんな東京だった。
朝はパーソナルスペースなんて在りもしないリーマンで飽和状態の満員電車に寿司詰めにされ、お昼は辛うじて表参道でお洒落なランチができたとしても、夕方にはまた満員電車で己のスペースの確保に専ら没頭するような、そんな東京。
この時点で、私がバンドマンやインフルエンサーに影響を受け過ぎてしまっていることはバレバレだが、彼らが綴った詞や吐いた言葉を鵜呑みにしてしまった高校生の私のせいで、今の私が構成されてしまった。
大学生になって就職活動をする学年になり、一昨日、東京に最終面接を受けに行った。高校生時代に密かに抱いていた東京への特別感は、何故だか微塵も感じられず、ただただ都会の雑多さと、混雑さと、騒がしさに、酷く疲弊してしまった。
「なんだよ東京、こんなものか。」
新大阪駅から3時間以内で行けてしまう距離が、エスカレーターの左右を間違えて立ち止まってしまった私を睨んだ人が、丸の内の信号待ちで聴いていた椎名林檎の「いとをかし」が、高校生の私が夢見た東京は幻想だったのだと、そう思わせた。
結局のところ、私を構成してくれたのは紛れもなく生まれ育った古里だったと気付かされたのだ。