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売切御免

数に限りがあるならば、当然のごとく販売予定個数が売り切れてしまえばごめんなさいとなる。ない袖は振れない、叩いたらビスケットが出てくる夢のようなポケットがあるわけでなし。

アニメやドラマといったメディア化によって、一部の人が知っていた〇〇で描かれていた土地や店、食べ物が注目を集めることがある。衆目に留まったならば、そのうちの何人か、いや何十人か、いったいどんな人数に触れたかによって「行ってみよう」「よし行こう」と思う人数が変わってくる。

父がメディア化されたドラマで、わりと気軽行ける距離に元ネタとなった食べ物屋さんがあり、行ってみたいという話になった。
ついでとばかりに私もついて行って、その食べ物を堪能したのだった。
おいしかった。
できたてのものがおいしいというのもあるが、気軽に買えるお値段というのもあいまって、これなら少し並んでも買いたいと思ってしまうのだろうなという気がした。
ことさらに父は気に入って定期的に行くようになり、私はたまに一緒についていくという感じだったのだが。

最近、その食べ物屋さんの店主さんの顔色がすぐれない気がする。

というのも、土日に行けばやれ休日だとばかりに行列ができる。よくよく考えたら列が途切れなければ休む間もない。食べ物をひっきりなしにずーっと作り続けている気がする。一日中見ているわけではないので想像だが。開店時間が昼をまたぐので、たぶんお昼休憩もなしだろう。なにせ作る人はかぎられている。
閉店時間も一応決まってはいるが、材料がなくなれば食べ物が作れないので、当然売り切りで終了だ。
買いに行く人は、閉店時間が〇時だからまだやってるだろうと悠長に足を運ぶとシャッターが下りているなんてこともある。不思議な話ではない。

ただ、行列に並んだ身としては並んだからには買いたいのだ。なぜなら食べたいと思って来るのだから。
閉店時間近く、あるいは材料の残りを計算してか、日が傾き始めるとお店からひとが出てきて「何個注文しますか?」とメモを片手に尋ねに来てくれる。列の後ろに並んでいるときは、天国か地獄かの裁定を下されるような心持ちだ。いや大げさすぎるが。
「あと〇個なんです」と言われて、食べたかったものがなかったとき、残念な顔をしてしまうのは人の心理だ。でも、お店のひともきっと見たくないだろう表情。

つい昨日もそのお店へ、私は一、二カ月ぶりに父について行ったのだが、お店のひとの表情が疲れているように見えた。楽しくなさそう。
メディア化のおかげで土日は大繁盛、大行列。
儲かってていいじゃないか、と言う見方もあるだろう。
けれど老夫婦がきっと趣味と実益を兼ねてやっているお店な気がする。
きっと昔から続けている素朴な味だ。
学校帰りの子どもや近所の人が不意に立ち寄って、「今日は寒いですね」とか会話しながら作ってくれるのを待つ。できあがりを渡したら、すぐに食べ始めちゃう人が「やっぱりおいしいね」とか「どうもありがとう」って喜んで笑顔で帰っていく。そんな様子を眺めるのを楽しみに営業していそうな。


むかしは行けるところで、知っている場所に行って、物を買うものだった。より遠くの物を手軽に気軽に買える時代になって、お店も長い時間やっているのが当たり前で、そうでないお店のがぐんと少なくなった。
お店に行けば物があるのが当たり前で、それがお店にないときには罵倒していく人もいる。手に入れられなくて残念だという気持ちには同情を隠せないが、ないものはないのだ。

想像する。
行列が並んでいるのを邪魔だという人。わざわざ買いに来たのになぜないのかと問う人。
歩道にあふれてしまった列は、並んだ人の良心にかかっている。
近所のお節介なひとから、「あそこ、いつもはみ出してるよね」と遠回しな忠告もあるかもしれない。
私なら、土日の営業日が憂鬱になりそうだ。いっそやめてしまいたいと思うかもしれない。


お店のひとが「売り切れなんです、ごめんなさい」と言っている声が聞こえる。申し訳なさのにじんだ声、振り返ると残念そうに帰っていく背中。
だれも決して悪くないのに、どことなく後味が悪い。

運よく買えた私たちは車のなかで食べた。
おいしかった。とても。
……この味はいったいいつまで楽しめるのだろう、と気になった。

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にわたつみ
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