「あっ、」と思う瞬間

自分がいいな、と思っていることがあって、それを言語化されているのを見ると「あっ」と声が出てしまいそうになる。
それは言葉に限らず、人の話の内容とかでもたまに出会っちゃう。

昨日はnoteで一方的にフォローしている方の記事「ありおりはべりいまそかり」って言葉から始まる、言葉に関するお話があった。

自分が言葉に関心が強いというのもあるのだけど、この「ありおりはべりいまそかり」って、たぶん学校で覚えさせられたんじゃないかなと思う。リズム感が好き。と言っても、私がこの言葉のリズムをとるとして、読点を入れるとこんな感じ。

「あり、おり、はべり。いまそかり。」

響きがいいなって思うの、たぶん全部「り」で締めてるってのもあると思うんだなあ。
声に出して読みたい。
ちなみに「はべり」の後には一呼吸おいてほしい、そんなよくわからないこだわりがあるのだ。(おごそかに告げるように)
え、意味不明? 大丈夫。わかんなくても、私が勝手にそう思ってるだけなので、すすーっと流しちゃってください。


だれかのnote記事を紹介することにちょっとだけ躊躇いがあったんだけど、この記事を出汁に私の思ってることも話してしまえーというのもあって。
……えいやっ、と、書いてしまうことにした。
ちょっと長いけど、お時間が許す方はぜひ読んでくださるとうれしい。


この記事、気に入ってしまった理由っていくつかある。
関係ない話もしちゃうけど、許してほしい。

まずは、冒頭で述べたタイトル。「ありおりはべりいまそかり。」
言葉がかわいい。これは古文でこの覚えなければならない単語をくっつけてしまった人のおかげもある。
あと、句点を入れたところも好き。ひらがなの後に、句点。これをかわいいと言わずになんとする、という気持ち。
そして、「ずたりまることどもよ」とか「くからくかりしきかるけれかれ」、ってあげてくれていたけど、たぶん古文かな(ちょっと忘れてる)。きっと授業受けて覚えてたんだろうなって気がして、そこで勝手に親近感。
私もこういう言葉覚えるの好きだったから、一方的に親近感。それだけ。

二つめ。
私も茶道をほんの少しだけ習ったことがあって、ぴょこって反応しちゃった。そして始めた理由の一つに「お菓子食べれるってすてき!」って一瞬でも思ってしまったその『邪な動機』を、あえて言葉にされてしまった。顔も知らない、文章でしか会えない人なのに。
「邪な動機」
この言葉の表現が好きだ。
書き手がどう考えているかはわからない。
でも、唐突に「あっ、わかる……」と思ってしまった。
この「あっ、」というこの感覚がたまらない。
決して理解し合っているわけではない。読み手である私の理解不足や勝手な解釈も、おそらくあるだろう。
この言葉、「邪な」って言葉自体はネガティブなものだ。けれど書き手は、きっと、ネガティブだけじゃない気持ちで使っていると私は信じている。
この言葉から感じた、ちょっぴりの罪悪感。
ちょっぴり、というとこがミソだと思っている。(一個人の感想です)
この表現に、私はちょっぴりの罪悪感と誇らしさを感じた。
誇らしさってなんだよ?って言われてしまうと困るけど。なんだろうな……あんまり表面的にいい理由じゃない、でも私はこれがきっかけなんだ!っていう感じ。うまく言えている気がしないけど、そんな感じなのだ。(考えるな!感じてください!!!)
そして今、この一瞬だけ、一方的にだけど、なにかが繋がったような気がする。
そして見も知らぬ相手の言葉へ、突然抱いてしまう親近感。
こんな風に、勝手に考えちゃいけないなあと思いつつ、スキしちゃうのだ。

三つめ。
カタカナや横文字があふれてる。
その指摘に「あっ、わかる」、つい、そう思ってしまう。
テレビやニュースで、やれグローバル化それ国際用語に馴染めと言わんばかりにあふれだすカニ文字。
いいんですよ、確かに。
でもさ、カタカナ用語使ってるけど、無理して使わなくても既存の言葉があるじゃない、と思ってしまう。
「アンバサダー」とかさ……「サンバダー」とかなんかよくわからない単語にしか思えない。いいじゃん、「大使」とか「外交官」でさ。漢字っていうわかりやすいものがあるんだから、無理して横文字使わなくったってさ。
だいたいカタカナ和製英語使うくらいなら、いっそ英語表記にしてくれ。そっちのがむしろわかりやすい(ことのが多いと私は感じてしまう)。
外国語由来で明治時代に外国から齎された言葉に「倫理」とか「哲学」とか充ててくれた翻訳者たちには頭が下がる。本当に。だって漢字さえわかれば、言葉の意味がわかる。これってすごいことだ。
でも、まぁ。きっとそのカタカナ文字も馴染んでしまったら、だれも気に留めなくなってくるんだと思う。
私もこの記事で「タイトル」だの「ニュース」だの「テンポ」だの「リズム」だの使っているし。
タイトルは表題だし、ニュースは報道だし、テンポやリズムは拍子や調子で表現できてしまう。
ああ。私も含めて嘆かわしい。

最後に。
私自身が、だれかの紡ぐ言葉や文章に対してことさら好き嫌いやこだわりがあるっていうのもあるのだけど。
彼女の紡ぐ言葉って、すごくテンポがいいなあと思う。
好きだなあって。
気分が上がるような話もあれば、愚痴を言うこともある。当然だ。人間、明るいばっかりじゃいられない。
けれど、彼女の紡ぐ言葉って、マイナス要素だけじゃない。愚痴であっても、ポジティブな言葉に引き上げてくれている。そんな気がしている。
自分自身はそういったマイナスをプラスに変えて行けるような言葉は紡げないけれど、読んでいていいなあと思ってしまうのだ。
あこがれている。
気に入って、心に留めてしまうことをやめられない。
私自身はネガティブな記事しか書けないことが多いけど、そういう性質だからそういう方向性でしか紡げないし、まぁ、そういう内容が好きな人にしか読めないシロモノだなあと知っているので。
ないものねだりではないけれど、励まされたり救われることがあるってすごいことだよなあって改めて思ってしまう。
文章ってつよい。


ああ、話がとびとびになってしまった。
この記事を書こうって思ったのは、「あっ、」って思う瞬間がある。
その瞬間の気持ちって、重ねていくと、まるで自分自身がぴこーん!って何かを受信してしまったような気分になる。
あくまで一方的に。向こうは私がなにかを受け取ったことなんて、たぶん知らないと思う。
この記事で紹介した彼女だけじゃなくて、私はほかの繋がりで知り合った人たちにもそういったことを感じることがある。今日、別のSNSで繋がっている人にそういうのを感じてしまって。でも、noteで書くのもなんだか違うなと思って。
そういえば昨日うれしかったんだよな、ってことを思い出したので書いてみた。

あっ、つながった! そう思える瞬間があること。
すごくすごく私にはいとおしく思える。


突然名指し?出汁にして記事を貼り付けてしまったけれど、もし万一書き手の方が見たとして。でも、そっと見なかったことにしていただけるとうれしいです。
……私が書いた一方的な恋文とも雑感ともしれない何かの手紙は、そっと瓶に詰めて海に流してしまったものであって。それを拾っただれかの目にだけ留まってくれたら。これほどうれしいことはないなと思っている。
返事を望むものでもない。ただ一方的に好きって言いたいだけ。でも本人の前では気恥ずかしくて、到底言えないと思うのだ。

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にわたつみ
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