車いじりをする父を見ていた

子どもの頃からの癖なのかもしれないが、父が車いじりしているのを、横で眺めているのが好きだった。ちょっとだけ手伝いじみたことをするのも好きだった。

私はたぶん大人から見ると、よくわからないあつかいにくい子どもだったと思っている。……いつも常にうるさく騒ぐようなわけではないのに、何かのスイッチが入ると急に手のかかる落ち着きのなさが露見する、そんな子どもだった。
落ち着いているときはそこまで手のかかる子ではないけれど、「それなあに?」とか「あれは?」とか、ひとつ疑問に思い出すと矢継ぎ早に尋ねる。
今日もこの記事を書くにあたって、記憶が定かでなかった部分、「ブレーキオイルってあるっけ? エンジンオイルと近い?」などと訊ねて、「そこからか……」とあきれ顔の父に説明をさせた。
好奇心を満たしたい、という欲求は、本当に子どもの頃からあまり変わっていないなと我がことながらおかしく思う。

今日はとてもいい天気だった。
上昇気流に乗れているのか、鳥たちがのびのびと飛んでいるのが見える。
人が来ない道路、地べたに座り込むとほんのりとあたたかい。コンクリートはあたたかさを帯びない。
熱いお茶を注いだマグカップを手に持った私は、駐車場で車いじりの為に車の周りをうろつく父を眺めていた。

この時間が好きだ。
私はお茶を飲みながら父の作業を見つめたり、空を見上げたりしながら、父へ取るに足りないことを話し掛ける。


父がジャッキアップした車の下に潜り込んでいるのを、わりと小さい頃から私はしゃがみこんで見ていた。
派手めな色した作業用ジャケットを羽織った父が、あおむけになって、車の下へ潜っていく。コロがついているものに身を任せていることもあれば、ただ単に段ボールをしいて、ずりずりと背中で這っていることもあった。
車の底からぼたぼたと黒いどろっとした液体が落ちていくのを、私はじっと見つめていた。
確か、エンジンオイルの交換だったかな、古くなったオイルを出す作業。
父があるところに手を突っ込んで何かをすると、ぱたぱた……と落ちてくることもあれば、ぽたぽたぽたぽたみたいな感じで勢いよく落ちてくることもある。どばーって落ちてくることはほとんどなかった気がする。
車の下から出て来た父がトレイを引っ張り出す。
トレイの中にある液体が並々と入っていた。それはべっとりとしたような粘着質さが見えるようで、一部に虹色が浮かんだりする。
新しいオイルは上から入れる。さらさらしたような液体。
普通の人はこの作業をしないって言ってた。まっくろな液体がトレイの中でとぷんと揺れたのを認めて、そうだろうなって私は思った。


あるいは母が運転席に座り、父は車の下に潜り込んで「(ブレーキを)踏んでー!」って言っているのを見ていた。「踏んだわよー」とか「踏んでるー」とか言っている母の返事も聞こえていた。
当時運転の仕方を知らなかった私は、この父と母による作業がごくごくふつうのことなんだと思っていた。植物を育てているなら水やりはするし、草取りはする、そういう作業みたいな。
土日休みで家にいる父親がする定期的な作業の一つなのだと。
……自分が運転免許をとってから、「ブレーキの調整したいから、踏んでほしい」って頼まれるようになったとき、あの父と母が交わす「踏んでー」「踏んでるー」っていう会話は、そういう作業だったんだって知った。ふつうの家じゃやらないことも。
そしてこのブレーキ踏むだけの手伝い、地味に疲れる。踏んでいるときは身体が疲れるけれど、踏んでいないときもなんとなく疲れる。
私が踏んでいないときに父がなにかをして、調整している。
この、調整している作業=待ち時間があるのが辛い。先が見えなくて。作業の何たるかがよくわからないだけにどこか不安を覚える。
……そういう感覚を含めると、むかしから定期的に付き合ってあげてた母、すごいなって思った。


タイヤの交換。
半分だけジャッキアップした車から、タイヤを取り外す。
タイヤって意外と重い。うっかり地面に転がしてしまったら起こすのが面倒くさい。
店舗に身長の高さまで平積みにされているのを見ると、「うわぁ」って思う。
タイヤを外して、新しいタイヤに交換する。
ホイールのかたちを見せて、父が「これはかっこいいだろう?」とか「ここがこうなっていて」とか説明してくるのを、私はふんふんと聞いていた。
タイヤはねじで止める。ぎゅうっと。
きつくしめなきゃいけないんだぞ、って言われたから、私のできるかぎりでぎゅうぎゅうにきつくしめた。
父にしめすぎって注意されたけど、なんだかちょっとだけ、誇らしい気持ちだったような気がする。
きつく締めなきゃいけないけど、きつくしすぎてもよくない、って父には言われた。


今日も土日休みの父が、車いじりをしていた。

車のフロントにあるランプを交換しようとしたら、家にちょうど替えがあることに気づいたらしく、スキップしそうな勢いだった。
声は弾んでいた。
傍から見たら、いいおじさんどころか、もう、いいおじいさんかもしれないのに。
こういう、ささいなことで喜ぶ父の楽しそうな様子を見てきたから、もしかしたら私は作業している人を見るのが好きなのかもしれないなあ。
そんなことを思った。

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