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索引だけがすべてじゃない

本を読むときに、索引がついてくることがある。分厚い事典、または研究書の類ではとてもそれが役に立つ。
文献において論文はきちんと読むべきであるが、必要な情報そのものに直接アクセス時、索引はとても便利だ。
なくても問題ないけれど、あった方がありがたい。
必要なときに、すぐにつなぐことができる。すばらしいことだ。


夜ご飯を食べながら、「マツコの知らない世界」の番組を見ていた。
若者がSNSで使うハッシュタグについての解説。
正直私がまともに使ったことのあるSNSが近年のものでいうとツイッターくらいなので、instagramも未だによくわかっていないから使ったこともないし、facebookもはるか昔に登録したけれど一体どのメールアドレスで登録したっけ?というお粗末さだ。

私はよくツイッターを使うけれど、ハッシュタグをほとんど使ったことがない。
あえて使うのは、何かの話題を検索したいときだけ。それも、ハッシュタグなしで検索することも多い。
そして、ツイートするときにハッシュタグはつけない。ハッシュタグでことさらに強調するほどのアクセスしてほしい情報を発信しているわけではないので。

noteを書き始めるようになってから、ハッシュタグをそれなりに使うようになった。
話題に沿ったハッシュタグをつければ人の目に留まりやすいのだろうか?くらいの感覚でしかない。おかげさまで、正しく使えているとも思っていない。

番組の中で、二人の若者が解説をしていく。
流行を追うためにはハッシュタグは必須。
ハッシュタグは10個以上つけて、でも多すぎるとダメ。
前に流行ったハッシュタグをつけること、特に男性がたくさんハッシュタグをつけていると古臭い。などなど。(少しうろ覚えなので、もし間違っていたらごめんなさい)

……私には到底理解の及ばないことがつらつらと若者によって語られていて、いつのまにか若者ではなくなっていたんだなあと嘆息した。
別に若いのがいいとも悪いとも思っていないけれど。
ハッシュタグを10個以上つけて、でも多すぎるとダメというのは、なんだか矛盾してないか?とも思ったが、たぶんつけすぎなのはよくないという、いい塩梅を心がけよということなのだろう。たぶん。
男性がハッシュタグをたくさんつけているのは古臭い、というのは、女性がたくさんハッシュタグをつけるもの、というの認識が強い文化のせいなのだろうか。そのハッシュタグをつける暗黙の了解となった塩梅がこと古臭いとされる男性は所かまわず昔のものまでハッシュタグをつける、と言いたいのだろうか。
そんなことを考えた。

ちなみに彼女たちには、「ググることは古くて、今時を知りたければハッシュタグでないと」ということらしい。
なんとなく、彼女たちにとってはハッシュタグさえあればいいのだろうなという気がしてしまった。
ハッシュタグをつけて情報を発信し、ハッシュタグを検索して情報を受け取る。
彼女たちの説明を聞いてわかったのは、最近の若者が心を動かすのはたぶん視覚的なもので、文章とかよりも映像や写真というぱっと目で見てわかるものに心惹かれるんじゃないだろうか。
例として検索していた温泉のことも、写真で気になったものを見る、といった風情だった。

見たいものだけ見る。
見たいものにアクセスするための、最短経路を手助けするのがハッシュタグ。
ハッシュタグという限られた情報の中で、見たいものだけ目にする。
アクセス数によっておすすめされるネット社会で、それはなるほど確かにそういうものになっていくのだろうな。そんな印象を持った。

ググってもちょっと……という彼女たちの曖昧な笑いを、私はわからないでもない。
グーグル検索が、十全なものだとは私は決して思わないから。
けれど、私が感じている不便さと彼女たちが感じている不便さが一緒のようには思われなかった。
私が感じるのは、ググっても表示されるのはアクセス数の上位がずらずらと並んでいること。検索サーチとしての宿命ではあるかもしれない。収斂していけば、多くのアクセスがあれば、それはきっと正しい物とされるだろう。けれど、本当に必要な、それでいて正しい情報へのアクセス数が多いとはかぎらない。これが今のグーグル検索なのだ。
写真や動画、ニュース別で検索することも可能ではあるが、やはり物足りなさがないでもない。(きっと、検索サーチとして有効なキーワード入力がホームページになされているかどうか、なのかもしれないけれど)
日付指定検索もできるようになった。私の中ではこれが一番ありがたかった。
けれどグーグル検索は玉石混交の、複写に複写を重ねたような記事もないではない。個人的体験や経験談はおいておくとしても、同じ話題の記事が乱立していれば、読む気が失せるのも道理ではある。即座に、視覚的に訴えるものに親和性を感じたとしても、何も不思議なことではないのだろう。

SNSにおける動向を探りたいのであれば、大いにハッシュタグは有効なのだろう。
最短で情報にアクセスするための索引。

でも、ハッシュタグという索引だけがすべてじゃないと思う。
最短時間で、調べられること。それが悪いはずがない。
けれど、そのハッシュタグで得られるものってどうなのだろう?って私は思ってしまう。類似するものすら弾いてしまいそうな、そんなおそれ。

完全一致検索か、部分一致検索か。
ハッシュタグは完全一致検索で、グーグルは部分一致検索のように思われてならない。


とりとめもないかもしれないが、今日のマツコの番組を見ていてそんなことを思った。

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