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こぼしていくもの
愚かな、益体もない話。愚痴はこぼれたり、こぼすものであって、積極的に話すものではないなあと思う。
noteで母に対する愚痴を書くことのネタにしてきてはいるのだけれど、正直だれかの為というよりも、自分の中で整理をしたくてまとめている。
母への愚痴は実は父ともよく話していて、「最近、どうにもよろしくないなあ」と二人で顔を見合わせてしまう。
母の態度は変わらないし、年を経るごとに無神経さが増しているのでもうどうしようもない。
よろしくないのは愚痴をこぼしあってしまう父と私の方だ。
「やめやめ。こんなこと話してもどうにもならん」
父がそう言い放つまで、うつうつと、どうにもならないことをこぼしてしまう。
自分が思っていることを伝えて、理解してほしい。
けれど、きっと、理解してもらえないだろうな、と諦めているし、伝えることすら、もうしようとも、したいとも思えない。
母は固定観念の強い人で、決して柔軟な人とは言えない。
なにかを言ったところで通じるとも思えないし、伝えたところで通じなかった経験が、もう話し合いの場を設けようとする私の心を容赦なく叩き折っていった。
だからひたすら、愚かなことを、痴れたことを、口からこぼさずにはいられないのだろう。
ためこんだ息は、吐くしかない。
「前略、母上さま」というものを12/31から書き始めてみたのはそういうわけだ。
どうせこぼさずにはいられないのだ。吐き出す方法を、少しだけ、変えてみるしかない。
あまりポジティブな書き方とも思えないのはまぁご愛敬、と思っている。
もともと、昔から、母に直接言えなくて悔しかったことを手紙にしてみたことはあった。母に渡したことは一度たりともない。
毎回書いた便箋をいちいち切り刻んでゴミ箱に捨てるのも、あまりにもったいないので、ネットの海に垂れ流すことに決めた。
垂れ流すのならば汚染された何かであるよりも、少しだけマシなものにしったい。
この手紙ともメモともしれないもの「前略、母上さま」というマガジンが書き続けられない方が自分の精神衛生上はいいと信じているのだが、まだしばらくは毎日続きそうだ。日付を書いたのはそのせい。
これが、書く頻度がまばらになって、いつか書かなくなるようになったらいいのにな。
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