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【体験談】33歳で絵本を全国出版するには?
私は28歳で大学に入学し、33歳で第1冊目の絵本を全国出版しました。まだまだ始めたばかりですが、絵本作家になるための体験談としてお読みいただければと思います。
絵を学んだ小学校時代、小説が好きな中学校時代
私は現在38歳ですが、絵本を全国出版させていただいた経験は2回あります。ありがたいことに八重洲ブックセンターさんでもトークショーをさせていただきました。感謝です。
しかしながらまだまだ絵本だけで食べてはいけないので、絵本作家になるには?とは大きく出すぎていると自覚しています。
ただ、本当に好きなことを追求していけばこんな私でも絵本を全国出版することができるのです。私自身の本が、新宿の紀伊国屋さんとかジュンク堂さんとかに置かれたときはそれはそれは感動しました。そして読んで頂いた方の熱いメッセージを受け取った時の気持ちは代えがたいものです。ですので、もし今後出版することに興味がある方はご参考までに読んで頂ければ幸いです。
私は5歳から12歳の小学校の時はアトリエに週1回通った絵が好きな少年でした。最初はデッサンの基本を学んで、のちに油絵を描かせてもらったのは良い経験でした。その頃は遠近法とか言われてもピンと来なくて感覚で書いていたと思います。神奈川県の小さいコンクールで特選などを取らせてもらって本当に楽しかったのを覚えています。
その後、中学校ではサッカーに夢中になり、絵をかくのはやめてしまいました。ですので、今はあまり上手ではないんです。中学校のときは暇なときに図書委員だったので図書室にいる子供でした。気取ってシェイクスピアやヘッセなどを読んでいましたが、本当は頭に入ってこず、”ズッコケ3人組”のような小説が一番好きでした。この後どうなるんだろうとわくわくしたのを覚えています。
さて、そんな普通のバックグラウンドの私が絵本作家になろうと決めたのはいつだったかと言いますと、31歳の出来事でした。
難病サルコイドーシス
わたしは31歳の時に難病のサルコイドーシスを患いました。この病気の症状はリンパが暴走してしまうので、眼が良く見えなかったり、いつも風邪をひいているように体がだるい症状でした。
わたしはステロイドなどの投薬はなかったですが、ひどい人になると投薬することもあります。日本では非常にかかっている人が少なく、なかなか共感されない病気です。ただ、難病と書いてある通り現状は、特効薬もなく今後の、薬の開発を切に願います。
このときに私は”人生とは”と考えました。28歳で大学に入学をして、あと1年で卒業する直前に体調が優れない日が続き、最初は腐っていました。
何とか治そうと色々、海外の論文とかも読むようにしていたある日、この病気は女性に多いというデータを見ました。また、SNSでも小さな子を育てている母親の皆さんの投稿に多い事に気づきました。私と同じ「人生とは」と模索されておりました。
その時、私はこの病気の経験を書いてお母さんたちに元気になってもらいたいと、私自身も辛いですが、一緒に頑張るメッセージをどうにか送れないかと考えました。お母さんも子供もお父さんも、おじいちゃん、おばあちゃんも一緒にこの病気を理解できる方法。私の中でそれが絵本でした。
絵本を書いた理由
絵本を書こうと思ったのでなく、伝えたい事を一番伝えれることが絵本でした。絵本での親と子供の楽しい時間は、私も幼少時代にたくさんありましたので、絵本を世の中に出したいと強く思いました。
挫折
私はどのように出していいかは分かりませんでした。ただ、エネルギーに満ちていたので、パワーポイントでどうしてこの本が世の中に必要かを企画書を作り、出版社さんに持ち込んだのです。その時言われたのは、
「これは売れるんですか?」
私ははっと思いました。売れる売れないの事はあまり考えていませんでした。それはそうです、出版社さんは出版に関して100万円から200万円以上のお金をかけて本を世に出します。その時に売れなかったら出版社さんも生きていけません。至極ごもっともです。その次に言われたことは、
「出版したいなら絵本を作ってきてください」
それもそうです、単なる企画書より本当に出版したいなら絵本を作るべきでした。私は企画書ばかり丁寧に作り、肝心の絵をかいていなったのです。最後に言われたことは、
「自費出版で出せばいいんじゃないですか?」
これもごもっともです。反論の余地はなく、その日は反省して帰ったのを今でも覚えています。ただ、自費出版より出版社さんに出していただけると本屋さんに置いてもらえます。そこで、親の皆さんに見てほしっかった想いは譲れませんでした。
出版社に行く前に
やはりカラーでなくてもいいですし、途中でもいいのである程度の絵本は作っていくべきです。そうすれば、もう少し違った話ができたかもしれませんので、勉強になりました。
絵本を作る
私の中ではタイトルは決まっていました。
「らいふいず」
これは”人生とはと考えた、LIFE ISからとったものです。また、ストーリーもできていました。自分が難病の時に人と違うと言われたことから、人と違っても、色々あっても良いじゃないか!というメッセージのストーリーを考えていました。ただ、小学生の時から描いてない絵を描くと、どうしても自分のイメージの得に近づかないで困りました。
その時、よく相談していた時に絵がべらぼうに上手い、よこたちささんにどうすればよいか尋ねました。
「絵をどうしたらイメージどおり書けるのか?」
そのような相談をしていた時に気づいたのです。私がやりたいことは病気で苦しんでいる、共感されないお母さん方にメッセージを届けたいことが1番だという事を。そこで、私はよこたちささんに相談して絵を描いてくれないかと頼みました。そうして私たちは”LIFE IS”というユニットで活動することになりました。
私が”作”、よこたさんが”絵”と。こうして分ける事で自分の考えを、よこたさんが想像以上に昇華してようやく出版前の原作が生まれました。この間、約半年の歳月が流れました。
絵本の分業
わたしは絵もストーリーもかける絵本作家さんはすごいと思います。私自身は分業を選びました。反感もある方もいるかもしれませんが、届けたいメッセージをよりよく届ける方を選びました。
縁
わたしは、この本を何とか出版できるようにいろんな方に話したり、最低限、自分で用意できるだけのお金を準備するためにクラウドファンディングをしたり、SNSで発信続けたり、ブログで発信していきました。すると、
不思議なものですね。縁とは。
この本を出版したいと言ってくださる出版社さんが現れました。その出版社さんは絵本の出版社さんではなかったのです。どちらかというと歴史の本など教養系のジャンルを扱っているにもかかわらずです。
私は本当に今でも大変感謝しております。そうして本を出そうと思ってから約1年半以上が過ぎて、ようやく製本されたのがこの絵本です。
らいふいず
作:こすげまさゆき 絵:よこたちさ
かんよう出版
絵本出版
やはり、思いは必ずかなうと信じています。そこまで至る道のりはかなり険しかったです。本当に出版したいという強い思いがあれば、それを分かってくださる出版社さんはかならずいると思います。
おわりに
こうすれば、絶対に出版できるというノウハウはないかと思います。ただ、本当に伝えたいことや想いがあれば、必ずかなうと思います。私自身も色んな人に話したり発信することで、反感をもらう時もたくさんありました。
ただ、それを超えてでも伝えたいことがあるときに、また、それを言えるだけの行動や作品を作った時に縁が動き始めるものだとつくづく感じました。
本当に”人生とは”と考えさせられました。出版したあとに新宿の紀伊国屋や八重洲ブックセンターで見た時の感動は今でも覚えていますし、その後にお手紙などをいただいたのも本当にうれしかったです。
また、これを読んで病気と共に生きていくと、他の病気の方からも熱いメッセージをいただいてつくづく描いて良かったなと思いました。このご縁がきっかけでTV東京の”生きるを伝える”にも出演させていただきました。
もし出版したい、絵本作家になりたいという強い思いがある方は、ぜひとも作品を書き上げて、声を発してください。
いまならSNSやYOUTUBEなど、色んなパーソナルメディアがありますから、きっと私の頃より、声が届きやすいと思います。長文読んで頂きありがとうございました。