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親への恐怖が終わった日
久しぶりにnoteを書いて備忘録。
春先に叔母が亡くなって以来、葬儀や相続で親とイヤでも顔を合わせています。
最初は路上でとんでもない言い争いをしてから数年ぶり…その時の狂ったように叫び泣く顔とと過去の私への怒りで泣く様子が重なり、会う前日から恐怖で眠れないほど。
会ってみたら本人はすっかり何もなかったかのように、そして相変わらず私の『イヤだな』と思う言動…要は自分本位…を見てこの人は自分大好きスタンスはずっと変わらないのだと理解…
回を重ねていくうちに恐怖はだんだんと諦めに変わり、あれほど怖かった気持ちが消えていくのを感じていたこの頃。
そして昨日、ひと通りの葬儀関連の打ち合わせが終わったこと、9月は親の誕生日であることから
ふたりで食事をしてみたところ…
いつ会っても障害者である娘、その夫や子どもの健康を案じるでもなく、自分の夫とさえ口もきかず『自分かわいい』を追求する姿を見て…
もう恐怖は全くなく、
この人は服とか肌とか『かわいい』を何かしら褒めてみれば、ずっとご機嫌という人なんだということ。
そして、私が何かを頼りにすることはないし、
むしろ向こうが世間のことを何一つ知らずに生きてるのだから、もう親子=主従関係は終わったんだと理解しました。
あんなに、ずっと恐ろしかった親はもういない
私をわかって欲しくて
もっと私を見て欲しくて…
それがどうにも伝わらないもどかしさ
そして、大人になるにつれ私自身も言葉巧みになり、かまって欲しい子どもではなく、
もっとちゃんと子どもと向かい合って!と言えるようになって、ますますぶつかるようになってたけれど…
私のことは1ミリも関心がないんだ
そう思うことができて、ずっと胃の中にズシンとあった苦い塊(トラウマに )が溶けていくのざわかります。
もう恐れることはなくなったと思うと
言い訳をして会わないこともできたけど
逃げずにこの数ヶ月、向かい合えて良かったです。
親と子どもではなくなった日=私が自分の意思『だけ』で動けるスタートになった日、でした。
noteを始めた頃から趣旨が変わりつつあるので
継続を迷いましたが、
また今の自分を綴りたいと思います。
読んでいただきありがとうございました🍀
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