お魚咥えたドラ猫
ゴミ箱にごみを捨てる。
なぜ、こんな単純な事が出来ないのだろう?
信号待ちの交差点。僕はオートバイに乗っている。
その殆どが車の窓から放られたゴミだ。
人は腹が減り、ものを食べる。ゴミまでは食べない。
サルは木の上でバナナを食べ、その皮は木の上から放り投げる。同じだ。
食べるのは中身だけ。食べない物は捨てる。
立ち止まってゴミを分析する。
カラスが荒らし、一(イチ)で済むモノも十(ジュウ)にまでなっている。
ひとつのゴミが発端となり、被害はこのように拡大する。
人が腹を空くのを止めない限り、ゴミも放られ続けるだろう。
「そこでだ」
ゴミを放るなら、そのゴミを拾えばいい‥と単純に思った。
このまま放置すれば、そこには更に次々とゴミ数値が更新される。
頭にポテトチップスの袋を被ったカラスが出没するのを想像した。
ゴミを拾うなら、少しでもゴミ数値は抑えられるかも知れない。
どうせ通る道だから、気持ちの良い朝を迎えたい。
「思い立ったら吉日」
次の日から1時間早起きし、いつも通るだけの道の片隅にオートバイを停め、持参した軍手とゴミばさみでビニール袋にごみを入れる。
あっという間にゴミ袋は膨らみ、入れ過ぎて穴が空いてしまった。
「もっと丈夫な袋にしないと」
オートバイの荷台に大量のゴミ袋をくくりつける。
朝から少し汗ばんだ。
オートバイを走らせると早朝の冷えた風が汗ばんだ身体を冷やしてくれた。
「なんて気持ちがいいのだ」
朝日が逆光でまぶしく向かう先を別世界のように照らす。自分の気持ちが晴れ晴れとしているせいか、気分が良い。
サイドミラーで先ほどごみを集めた場所を見返す。少しは景色が変わった気がした。
明日もまた来よう。袋は麻袋がいい。
習慣は癖になる。
ゴミを捨てる方も、”集める”方も。
僕が毎朝通っていた道は綺麗になりゴミを捨てる人はいなくなった。
今年の12月。
僕たちはイベントを企画した。
それは大きな麻袋を持ったサンタクロース
クリスマスプレゼントは入っていない。空の麻袋。
ごみを拾っては「メリークリスマス」と言う。
皆が家へ帰宅する頃、ごみ拾いサンタの麻袋はごみでいっぱいになる。
深夜になり雪が街の音を消す時間
サンタクロースがやってくる。
「この街にはごみがない」
サンタクロースは気分が良い
大人にもプレゼントを置いて行った。
「メリークリスマス」
それからだ。
クリスマスの日にはケーキを食べる。