伝心 part1
そろそろ夏の存在を人々に思いださせる5月の昼下がり。人まばらな環状線の心地よい揺れの中、人当たりの良い太陽に白っぽく照らされた街が車窓の右から左へと流れていく。俺はそれをぼーっと見ながら、そういう暖かい光によって生み出された影のような気持ちで呟いた。
「やっぱいいかなぁ、帰っても。」
「運賃払ってまだ言うかしつこいなあ」
予想通り、呆れしゃがれ声が帰ってきた。となりに座るユウジだ。今日俺をここまで引っ張ってきた。
「かわりにどっかで遊べばいいよ」
「んもぅいい加減にしろよ.....!いいか?記念すべき初任給がこの時期だなんて、これはもう運命なんだ。乗っからない手はないの...!」
ユウジは俺の顔を覗き込んで身振り手振りしながら言いやがる。おまえは父親か。うざったい。しかし本気で反抗すると本気でうざったいことになるから、おとなしく言うことを聞いている。ユウジもそんな俺をわかっているから本気で怒ったりはしない。ヤラセみたいなもんだ。
「そんな珍しいことでもないと思うけどなぁ」
「細かいことはどうでもいいんだよ。とにかく、今日お前がかーちゃんに日ごろの感謝の気持ちを伝える、それが大事なんだ」
「感謝ねぇ。」
かーちゃん。15年間一緒に暮らしてきた、俺のたった一人の血縁。たぶん母親。息子が感謝の気持ちを微塵も起こさないんだから、かーちゃんは母親ではなくたぶん母親だ。
「そりゃあいろいろ思うところはあるだろうが、かーちゃんがいなけりゃ生きていられないのはたしかだろ?」
「俺が生きてんのは7割くらいユウジのおかげだと思うけど。」
ユウジは俺の兄貴。血は繋がっていないが、俺が人生で一番時間を共有している人間だ。かーちゃんがやらないことを全部やっている。
「それはおまえ、複雑だなあ」
言葉の通り、笑ってんだか困ってんだかわからない表情をしている。
「そこ折れちゃダメだろ」
ユウジは基本的にパッションで動いているから、隙間が毛穴の数だけあるのだ。
「そ、そうだぞ。おまえは母ちゃんのおかげで生きている。だから感謝しなければならない。」
ユウジは思い出したように困り笑いを解いて得意げに言った。
昔からそうだ。とりあえずノリと勢いで走り始めて、空回りして、最終的にはパワーでごり押す。基本的に困難を巻き込むことになるが、たまにはいい仕事をするときもある。今日の働きぶりは間違いなく前者だ。迷惑でしかない。
「次は、金岡、金岡。お降りの際はお足元お気を付けください。」
俺以上に無機質な声がどっかで流れて、ユウジは立ち上がった。
「さ、降りるぞケン」
「分かってるよ」
俺も立ち上がり、ドアのほうへ歩いて行ったユウジの背中に追いつく。
「しておくもんさ、形だけでも。できないよりはましだから。」
環状線は鼓動を遅め、やがて大きく息を吐いて止まった。
扉が開き、夏を思い出した。