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毛布を置いたライナス

知り合いの高校生が安心毛布を手放した。

それまでずっと大事に大事に持っていたぬいぐるみを置いて出かけていったとその子の母親が教えてくれた。

大事件だ。
涙がでた。

ぬいぐるみっ子

その子の母親とわたしは、やがて10年の付き合いになる。
諸々伏せるが、娘の情緒が安定しないことに悩む母親の様子をこれまでに何度も見てきた。

なんというか、ちょっと心配な中学生だった。
夢に向かって張り切ったり、張り切りすぎてちょっとこけたり、しばらく泥のように無気力になったり、また元気が顔を出したり。
思春期とはいえ、少し荒波な日々を遠からず近からず、おもに母親の話を通して、見てきた。

一緒に出掛けて、その子のかわりに私がぬいぐるみをだっこしていたこともある。その時は「あ、別に自分でずっと持っていなきゃ絶対ダメってわけじゃないのね」と思った。
私もぬいぐるみっ子だった。自分だったら嫌いな大人には預けないだろうから、ちょっと嬉しかったりもした。

今日はこの子はお留守番

彼女の心がこれからずっと凪いだままということはさすがにないと思う。
それでも、焦って忘れていったのではなくて「今日はこの子はお留守番」とちゃんと言葉にしてからぬいぐるみを置いて出かけていったらしいから、彼女なりに何か区切りがついたのだろう。
ぬいぐるみは捨てられるわけではない。お留守番の係になっただけだ。家に帰ればちゃんといる。また一緒に出掛けたっていいのだ。

彼女は同世代の女の子たちに比べてちょっとミニマリスト気質だ。
何なら私よりずっと自分の大事なものをちゃんとわかっているんじゃないかと思うときすらある。
大事なものがたくさんあって選べなくて困る~なんて多分言わない。
だからなおさら今回の「お留守番記念日」を大事件扱いしてしまうのだろう。

その子の母親と私と、並んで座ったおばさん二人は騒がないように気を付けながら静かに大騒ぎした。
「泣けるねえ」
「泣けるよね」
今日はいい日だ、と思った。

なくても大丈夫

「失う」はなかなかつらい。
自分で決めて手放せれば、ちょっとだけつらくない。

離婚して、毎日つらくて、強くなりたくて、もちものを整理した。
「なしで生きていける」をやりたかった。
そして、けっこういろいろなくても生きていけるとわかった。今の私は自分で決めた「なくても大丈夫」に支えられてなんとか生きている。

ぬいぐるみっ子の先輩ぶりたくなったので、大事なお友達の話を書きました。読んでくださってありがとうございました。

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