こどものころの些細な記憶の甘さ
今は、やりませんか?
5月が近づいてきてご近所でもツツジの花を見かけるようになると、きまって思い出す。
子供の頃に花を摘んで雄しべ雌しべを取り去り、根元のところをいくつか束にして、蜜をすう遊び。
そしてそれを不用意に人に話すと「えっ?!」とドン引きされる。
自分では子供あるあるだと思っているので、びっくりされると恥ずかしい。
人の家の花を摘んじゃいけないよという観点から「やんちゃだったんだね」などと急に見る目を変えられる事もあるから、話す人は選ばなきゃいけない。
昔はね誰の所有物でもないツツジが咲いていたの、ドラえもんの土管空き地みたいにね、まで話す余地はあまり与えられない。(厳密には誰かのツツジで空き地、にしろ。)
「貧乏だったんですか?」と言われるとさらに悲しい。
裕福ではなかったけど花の蜜をおやつがわりにする程ではないよと、ここは余地が無くても無理やりねじ込んで弁解する。
コミュニケーションって難しくもあり、楽しいですね。
その花が好きなのは潜在的な理由
チューリップも最近咲き始めて、他人様の庭先に見かけるとウキウキが止まらない。お花の中でチューリップが一番好き!
その理由はたぶん、子供の頃の記憶のせいではないか。
ある日子供の私は、大発見をした。
チューリップの花は、色によって香りが違うのだ。
学校の花壇でそれに気が付いた私は、夢中で色とりどりのチューリップを香り、家に帰って色と香りの印象をメモした。
独り遊びここに極まれり、といった感じだ。
ほぼ覚えていないが、黄色はちょっと草っぽくてあまり好きじゃ無い、赤はお化粧品の香りでどぎつく、わたしは白のフルーティな香りが一番好き!と結論づけていた記憶はある。
これを書くにあたって、色によって香りが違うのかさらっと検索してみたのだがひっかからなかった。なのでそんな事実は無く子供の思い込みかもしれないし、品種改良、もしかしたら学校のチューリップが色ごとに種類が違った、とか色々可能性はある。
だが子供の頃の記憶というのは、真偽よりもその甘い香りに自分だけの価値があると思う。
子供の頃に住んでいた場所
幼少期の家の周りは、懐かしさからくる感傷を割り引いても、なんとも言えず好い景色だった。
家は高台で、車通りの道から細い道を上ってくる。
道の入り口には、木造屋根の祠に住まわれているお地蔵様がいて、子供の頃は怖かった。
家の裏もさらに高台になっており、広い空き地になっていたが私の記憶の舞台はそこじゃない。
平屋の大きな他人様の家と畑を左に、その空き地を右にして整備されていない坂道を上がる。
すると左手に、草花が周りに生える、落ちても死なない程度のなだらかな崖があり、そこに横に伸びる大きな木が何本も植わっているスペースがあった。
そしてその木に登ると、少し遠くの崖下に川が見えるのだ。
子供の私はよく、この木の上に小さな家を作りたいと想像し(映画スタンドバイミーのアレ)実際に友達と平らなベニヤ板を上げてみた事までは、あった。シロツメクサの花冠もこの場所で作った。
昨今でも時折、女子で難なく木登りをしてしまう子がいるが、私はそういう運動神経も器用さも皆無だった。
その私が登って景色を眺められる木、というのが甘いんだと思う。
こんな木は日本にはあそこだけだろうな、という都合の良い記憶が甘いのだ。
トトロと母
私の母は、映画「となりのトトロ」が好きだった。
何となく意外な気がして聞いてみると
「ものすごく懐かしさがあって何でだろう?と思ってたらアレ、子供の頃の故郷の景色が舞台だったのよ!」
と嬉しそうに言う。(秋田の男鹿地方らしいですね。)
そしてはたと思い当たった。
母が文句を言っていた、私が幼少期に住んでいた賃貸のボロ家。
その家の周りは、景色は全く違えどどことなく、さつきとメイの家の周りと似た雰囲気があったなと。
母は気づいていなかったのだろうか。もしかしたら気づいていたのかな。
私がその事に早く気付いて、母が亡くなる前に話をすればよかったなと思っている事のひとつです。
ちなみに苦い記憶もある。
父がどこからか貰ってきたウグイスに「初めて動物を飼える!」と幼心に喜んでいたら、飼う事に反対していた母が2日でアクシデントを装い外に逃がしました。Funnyな母です。
※記事内に壮大な勘違い発覚。
詳しくはつぶやきの【謝罪】を。