ヤンキーと私と、時々、母。
最近は「2世代コンテンツ」というものがあるらしい。文字通り親子で会話が弾むコンテンツの事だ。
「ヤンキー」が過去の言葉となった令和で、東京卍リベンジャーズがこれにあたるそうだ。映画だけ観たけど面白いもんね。
映画しか知らないけどビーバップハイスクールの音頭が好きだった。
ヤンキーものが流行るのはきっと、そうでない人口の方がはるかに多いからだろう。人は知らない文化に興味を持つ。
ということで(?)今日はヤンキーの話です。
地元の中学校という面白み
「地元の中学校」っていうのは時代や地域性が出て、かなり面白いコンテンツだと思う。
私が中1の時の中3の学年が、ヤンキーの宝庫だった。
体育祭では、何色かに分かれている組の応援団が、軒並みヤンキー。
今はある意味花形の応援団も、以前は不良のモノだった気がする。(うちの中学だけ?)
その頃の私は不良に興味が無く・・というか普通に怖かったのだが、私の友人が、応援団で輝くヤンキー先輩に一目ぼれしてしまった(当時何人かそういう娘が居た記憶がある)。
友人は廊下をうろうろしてその先輩を見つけると、ニコニコしながら後をついて回るという行動を始めた。こう書くとストーカーじみていて怖いのだが、実際はもっと可愛いもので、顔を覚えてもらって挨拶とかしたりされたりしたい!みたいな・・追っかけ?の小規模版だった。
そして私は大いに困った。彼女が私に「一緒についてきて!」って言うんだもん。
正直に言うと、顔なんて覚えられたら困る。だって怖いじゃん。
私は何一つ目立つ事の無い、ごくごく一般的な、今でいうスクールカーストの底辺にいる、平凡な女子中学生だったし。
そのうち独りで廊下を歩いていたらそのヤンキー先輩や友達に、こんちわーなんて声をかけられて正しく挨拶を返しつつも震え上がった。
自分の担任(強面)と仲が良かったためか、それ以上のトラブルに巻き込まれなかったのが幸いだった。
私とヤンキーの想い出
そして私は3年生になった。
うちの地元あるあるかどうか分からないが、不良の多い学年というのは、1つ飛ばしなのだ。前出の、私が1年時の3年生。直上の2年生にはさほど不良が居ない。
つまり、私の学年もそこそこヤンキーがいた学年だった。授業中に、掃除用の木のモップを持って廊下で先生にオラつく。日常の風景だった。
びっくりする事はそれなりにあったが、怖いと思ったことはない。
学期末の通信簿を受け取って、私がいちばん廊下側の自席に座った時の事だ。私は通信簿を細く開けて、成績を確認していた。
すると、右斜め上から「3。5。4・・」と声がする。「?」と思った瞬間自分の成績が読みあげられていると判った私は、パッと斜め上の廊下の窓を見上げた。
そこにはうちの学年のヤンキーのアタマ・・学校の番というんですか?その男子が廊下から窓枠に肘をかけて、ニコニコしながら私の通信簿をのぞき込んでいた。
彼と話をした事は一度も無い。が、にこにこした顔に私はおもわず、半分苦笑いで口を結んで睨む真似をした。彼はにこにこしたまま何も言わず去っていった。
そんな風に、同じ学校・同学年のヤンキーは、一般生徒には怖くないのだ。
ただ、それなりに怖い思いをした事はある。
ある日、見ず知らずの女子ヤンキーに絡まれた。それも、家に電話がかかってきたのだ。
相手はもちろん名乗らないし、声にも心当たりがない。
もっと心当たりが無いのは「調子に乗るんじゃないよ」という彼女の言い分だった。
調子に乗る・・??スクールカースト底辺の、何も取柄のない、どこでも発言などしない、標準服を標準どおりに着ている私が、どこでどうやって調子に乗れるというのか。
原稿用紙1枚で勘弁してやるから述べて持ってこい、と今なら言うのだけど、当時の私は訳が分からな過ぎて電話口で半べそになってしまった。
その時、私の様子がおかしい事に気が付いた母が私から受話器を取り上げて
「どこの誰なの?何の用なのか言ってみなさい。うちの娘に何かしたら地獄の底まで追い込むから覚悟しなさいよ。」というような事を言った。
私はさらにパニックになった。そんな母を見たのが初めてだったのだ。
我が家はそこそこ貧乏だったけれど、母は穏やかな上品なタイプなのだ。
あっけにとられている間に母の恫喝は終了し、母は私に「誰かとトラブルでもあったの?」と一言だけ確認し、学校と父に連絡していた。
その後は、無言電話程度で特に何もなく、私は平穏に学生時代を過ごした。
あの時の母の姿が、母親になっている私を今も支えている。