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入院メモ(day-2_2)

次に意識が戻ったときには病室の天井が見えた。
横から嫁の声が聞こえて来る。
思いの外、意識はハッキリしており、私が今朝連れて行かれてからの話などを聞いた。後からコレを書くためにメモを取っておかねばならない。
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帰ろうとしてた
医者の説明ちんぷんかんふわん
ナースよ暇たいのに火災ステゥタカ
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これが実際のメモの一部だ。
意識はハッキリしているつもりだが、手元が上手く動かない。誤字しているのは分かっているが、まぁこの程度なら後から見れば分かるだろうと思っていた。
だが、ご覧の通り、最後の行は全くもって何のことだか分からない。
つまり、自分ではちゃんとしているつもりになっていただけで、実際には麻酔はそんなに直ぐに切れるものではないのだ。
よって、ここから暫くは後に再度嫁からヒアリングした情報を元に記す。

車椅子で運ばれていく私と手を振り合って別れた後、病室で手術の終わりを待っていた嫁は、一旦家に戻っておばぁちゃま(我が家では義母のことをこう呼ぶ)を迎えにいくつもりだったが、どうもそういう感じではなさそうだということで、おばぁちゃまには自力でバスで来て頂くことにしたらしい。

12時頃に女性看護師2名が迎えに来てカテーテル室に案内され、私が載せられている手術台の傍にある先生のデスクの様なところに座らされる。
程なく主治医の先生がやってきて、手術中の動画などを用いながら、今日実施した手術の内容と状況について説明を受ける。
内容が専門的すぎてチンプンカンプンだったが、予定作業が順調に実施され、状況的にも概ね良好であることだけは理解した。

カテーテル室の外で待つように言われ、暫くするとベッドに乗せられた私が現れた。
なにやらムニャモニャ喋ろうとしているが、全く何を言っているのか分からない。
看護師によるとこれでももう意識は戻っているらしい。
先程部屋に迎えにきてくれた女性看護師2名が私を乗せたベッドを運び、スタッフ用エレベーターの前でエレベーターを待っていると、如何にも緊急性の高そうな患者が運ばれてきたためエレベーターを譲った。
次のエレベーターで7階へ戻る。

そのまま部屋に戻るかと思われたが、体を拭いて病衣を着せるため、一旦談話スペースのような所で待つように言われる。
15〜20分ほど待たされた後に呼ばれ、病室に通される。

旦那は相変わらず謎の言語で話しかけてくる。
主治医から、話しかけた方が意識の戻りが早いので話しかけてあげて下さいと言われていたので適当に相槌を打ちながら話しかける。

時間の経過とともに、だんだん日本語として意味のある言葉に進化してくる。
しかし、その中身はというと極めてどうでも良い話を何度も繰り返しているので適当な相槌を打ってやり過ごす。

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このあたりで、意識が戻り天井が見えたという前述の私の記憶と繋がってくる。
ここからはまた私の記憶から綴っていこう。

暫くすると、部屋がとても寒く感じたため、とりあえず靴下を履かせてくれとお願いする。しかし自分以外の人の足に普段自分では履かない五本指の靴下を履かせるのは難しいらしく、四苦八苦しながらようやく履かせてもらい、一旦落ち着く。

術後は仰向けで寝た状態を8時間キープする必要があり、寝返りを打ってはならないし、足を曲げてもいけない。そのため、右足はベッドに括り付けられ拘束されている。
寝返りを打てないことで、腰の痛みが酷い。

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普段猫背なため、ベッドに真っ直ぐ寝かせられていることで、背筋が伸ばされた体勢を続けていると腰に無理が生じているようだ。
腰にバスタオルを挿入してもらい、楽になるポジションを探る。

少し楽になってもすぐにまた痛みが出てくるため、頻繁にタオルの位置や厚みを調整してもらう。側から見ればとてつもなく我儘なのだが当の本人は辛い状態から少しでも楽になりたくて必死だ。

カテーテルを入れた創部(鼠蹊部、首、手首)は殆ど痛みを感じないが、とにかく腰の痛みが耐え難く、結局ナースコールで痛み止めをお願いした。

記録のためのヒアリングとメモはいつ始めたのか記憶がハッキリしていないがこの辺りからではないかと思う。

記録のための写真撮影を嫁に依頼するが、嫁の写真センスの無さは折り紙付きなので、とにかくアングルを変えて何枚かずつ撮っておいてくれと頼む。

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喉の渇きを癒すため、ペットボトルのポカリにストローを挿して飲ませてもらうのだが、これが全く息が合わない。

一口ずつゆっくりしか飲めない私に対して飲み終わったタイミングに合わせて下げてくれないため首のあたりにポカリが溢れる。慌ててタオルで拭いてくれるが毎回これでは不快極まりないため、タイミングを合わせる方法を考える。

指でサインを出すことを思い付き試してみたが、指を見ようとすると口元から目線が外れて結局上手く飲ませられない。

まぁ飲ませてもらえるだけ感謝しなければならないのだが、体の自由が効かないためフラストレーションが溜まる。

どこかのタイミングで鼻に装着されていたチューブを外してもらったはずだが前後関係はあまり正確に覚えていない。

15時になると一般の面会時間が始まり、おばぁちゃまが来てくれた。
これまでの様子を嫁がおばぁちゃまに説明する。

気を紛らわせようと嫁がテレビをつけてくれた。テレビの乗せた台を見易いように移動しようとしてくれるが、ベッドにぶつかりそこそこ揺れる。このあたりの雑さは平常運転だ。

また寒気が酷くなってきたためエアコンを切って貰う。嫁は暑がりなのでかなり設定温度を下げていたようだ。ここは私に合わせて欲しいところだ。

寒気は治まってきたが、逆に暑くなってきたため、かけ布団を外してもらい、タオルで調整することにした。
嫁が布団をクローゼットに仕舞うが、実の娘のあまりの雑さに見かねておばぁちゃまが一緒に布団を畳み直して仕舞った。

普段、体が動かせる状態であれば多少の暑い寒いは自分で調整が効くのだが、いかんせん動いてはいけないため、直ぐに暑くなったり寒くなったりしてしまう。
その度に、タオルをかけて貰ったり、外して貰ったりと細かくお願いし、対応してもらう。

そうこうしているうちに、ずっとベッドに接していた背中からお尻にかけて熱をもって蒸れて非常に不快になってきた。かと言ってエアコンをつけると寒気がしてくる。

そのため、少しだけ横に背中を浮かして片側ずつおばぁちゃまに扇子で扇いでもらう。
するとおばぁちゃまが扇いでいるのと反対の手を扇子にパンパンと当て始めた。
何で鮨飯職人みたいな煽ぎ方するの!?
と言って3人で大笑いした。
この辺りから辛いながらも笑える余裕が出てきた。

嫁は今日一日中おにぎりやらなんやら炭水化物ばかり摂っていると不満そうにしている。しかしそれは別に私が選んだメニューではなく自分自身で選んで買って食べているのだ。私に文句を言われても困る。サラダチキンだってなんだって売っているワケだし。

その後も私の暑い寒いの我儘に散々付き合わされた2人だったが、ある程度落ち着いた所でおばぁちゃまが家に帰って行った。
息子に様子を伝えておくねと言っていた。

息子は都内の予備校に通っているため家族の中で例のウィルスに対するリスクが一番高いと考えて自らの判断で見舞いに来なかったようだ。勝手にそう思っているが、もともと父親の入院の見舞いになど興味が無いのかもしれない。
息子は論理的思考が服を着て歩いているようなヤツで、時々論理の暴力で相手をねじ伏せようとする悪い癖があるが、根は本当に心の優しい子なのだ。

時々看護師さんが様子を診にやってくる。
尿の量が少ないらしく、もっと水分を積極的に摂るように促される。造影剤を排出するために水分を多く摂る必要があることは理解しており頑張って飲んでいるつもりなのだがなかなか尿の量が増えない。

この辺りでようやくストロー飲みの息が合ってくる。私がチューの口になったら飲む合図と決めた。飲み終えた後下げるタイミングは嫁が反復によって会得したらしい。

ポカリを飲ませてもらい
「ありがと〜ぅ」
と言う。

代代代の梨央が曲終わりに言うありがとうの真似をしているのだが嫁には全く伝わらない。頼まれもしないのに説明をする。特に興味のなさそうな返事が返ってくる。

「ありがと〜ぅ」

もう一度そう口にすると、無事に手術が終わった安堵感と、10日後には大阪で自粛明け初の代代代のライブが見られるかもしれないという嬉しさから涙が溢れ出てきてしまった。そのまま号泣しそうになったところで、タイミング良くか悪くかわからないが女性看護師2名が心電図や血圧などを測りに現れた。

そのまま号泣出来れば気持ち良かっただろうなと思いながら、涙を拭って気持ちを落ち着かせる。もういい歳のおじさんが病室でオイオイ泣いている場合ではない。

また看護師さんがやって来て、夜勤との交代を告げる。

その後薬剤師の男性がやってきて退院後の薬について説明があった。例の手術前に飲んでいた薬を向こう3カ月飲み続けるそうだ。

この辺りになると嫁も飽きてきたのか、動けない私の腰の辺りにタオルを際どい位置に乗せて
「マイクロミニ」
などと言って遊び始めた。
本当にやめて欲しい。

私の足は前日の剃毛でツルツルだったため、やりたくなる気持ちが分からなくもないが…

話題はこの後出てくる夕食のことになった。
事前の説明資料によると、術後は寝たまま食べられるように串刺しのおかずとおにぎりが出てくるらしい。
串刺しのおかずがどういったものなのか2人で予想し合った。

2人とも真っ先に浮かんだのがやきとり。
おでんは汁が垂れそうだし無いだろう。

串揚げ
BBQの肉玉ねぎピーマン
唐揚げ棒
などなど嫁の口から次々と串刺し系メニューの名前が上がる。

血液サラサラが求められているのに唐揚げ棒は流石にないだろうと言って笑った。

ウズラ
ウズラ卵だけのおかず???

さすがに一口サイズだよなぁと嫁が言う。
そりゃあそうだ。マンガ肉みたいなものが出てきても困る。

入院直前に食べたランチの話もした。
とても美味しかったので退院の日に2人で食べに行こうと誘った。

17時15分。
夜勤の担当の女性看護師が挨拶がてら体温、血圧、サチュレーションの3点セットを測りにくる。

女性看護師!

別に男性看護師しか担当しないわけではなかったのだ。
しかしこの後排尿の管を抜くことになるので男性の方が気が楽だったかも知れない。

相変わらず背中が蒸れるので、ベッドに拘束されている右足を軸に扇型に左右に頭を移動する形で寝る場所を変えてて少しでもベッドのフレッシュな部分に移動して凌ぐ。

競走馬は自ら立っていられない程度の骨折をしてしまうと床ずれから壊死してやがて死んでしまうため安楽死の措置が取られるが、なるほど動けなければ人間だって死んでしまうかも知れない。

ゴロゴロするとはよく言ったもので、同じ寝た状態でもゴロゴロ転がらずにずっと同じ姿勢を続けると死の危険すら感じる。
早くゴロゴロ転がりたい!

17時30分
担当医師がやってきて改めて手術の状況の説明を受ける。
今回の手術によって不整脈は一旦治まってはいるが、冷却・壊死させた組織は凍傷のような状態になっており、これが回復する過程の中でまたノイズ信号を伝達するようになってしまうかも知れないし、今回の処置をしたことで、別の経路からノイズが出始めることも稀にあるらしい。
この手術の結果は0か1かのデジタル的なものではなく、程度・頻度などについてアナログ的な捉え方をするのが正しかったようだ。この点においては正直少し勘違いしていた。
向こう3カ月は外来で経過を観察することになり、もしまた不整脈の症状が出てきたとしても、3カ月間は2回目の手術は行わずに投薬等で様子を見ながら判断していくとのこと。

「安静期間は6時間なのであと少しの辛抱ですね」

へ? 6時間???

どうやら勝手に8時間だと勘違いしていたらしい。
あと2時間半ほどかかると思っていた”動かずの刑”がなんともうあと30分で終わるというのだ!これは大きい。

しかし人間というのは我慢が効かないもので、そうだと分かると残りの30分が逆に異常に長く感じられてしまう。この辺りになるとかなり体調も良くなってきており、何度も時間を確認するが、全然経過していないことにガッカリする。

17時48分
会計担当者がやってきて、本日処理が間に合わず、後日会計になることを告げられる。

直後に夜勤担当の女性看護師がやってきて、右手に付いていた器具を外し、絆創膏に変えてくれた。

続けて首の張り物を取ろうとしたが、少々の出血が見られた。
「カサブタが取れちゃったかな?」
再度圧迫止血して医師に連絡。
この程度であれば問題ないと思われるが一晩様子を見ることになった。

そうこうしているうちに18時を過ぎ夕食が来てしまい、一旦運んでいただく。

次はいよいよ右足の拘束を解く。
これで晴れて自由の身だ。
だがしかしあれほどまでに望んでいた体勢変更が思うようにできない。
数時間同じ姿勢を強要されていたことにより、体を動かすことに恐怖感があり、一旦起き上がって座りましょうかと言われているにもかかわらず全く起き上がることができない。

電動ベッドの力を借りて起き上がらせてくれようとするが背中の蒸れを防ぐために移動を繰り返したせいでベッドに寝る位置が悪く下のほうに位置していたため、いくらベッドを起こしても首ばかりが強制うなずきマシーンによって折れ曲がっていく。

看護師さんの介助を受け、ようやくベッドに座ることができた。
鼠蹊部の状態について未確認のため、まだ立ち上がることはできない。

食事を取るために、まずは座った状態に慣れようとした。
しかし数分座っていると吐き気とともにどんどん気分が悪くなってきた。
腰の痛みもある。
遂には脂汗が噴き出てきてしまったため、慌ててナースコールで連絡する。
座ることを断念し、比較的楽な姿勢で横たわる。

看護師に状況説明し、吐き気止めの点滴を入れていただくことになった。

食事をとることなんて到底できる気がしない。
とりあえず嫁にスマホを渡して夕食のブツ撮りをお願いし、ぐったりとベッドで休むこととなった。

暫くすると吐き気止めが効いてきたのかさっきの急変が嘘のように気分が良くなってきた。

今度は先程と違い、ある程度自分の意思と力で起き上がりベッドに座ることが出来た。もちろん、嫁に手伝っては貰ったのだが。

すっかり気分も良くなり食欲が出てきたので
夕飯を食べることにする。

さて、串刺しの正体について私はまだ答えを知らない。
おかずは複数の皿に分かれている。
なんだかイメージしていたのと異なるなと思いながら蓋を開けていくと、なんと普通の夕食メニューが全て串刺しになっているだけというものだった!

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メインは鶏肉のしぐれ煮みたいなものだ。添え物のナスも爪楊枝で串刺し状になっている。これを寝ながら食べようものならポタポタと煮汁が垂れてしまいそうだ。
カットトマトも爪楊枝で刺してある。
大根とセロリの漬物に至っては、短冊切りの漬け物を2本の爪楊枝に全て串刺しにしてあり、何か串刺しに対する執念のようなものすら感じる。
デザートのマンゴーも爪楊枝で串刺しになっている。

薬ですっかり元気になった私はこれらを全て平らげた。相変わらず味は薄過ぎず全く問題ない。

ここで前回膝の入院の時との味の違いについて気付いたことがある。あの時私はまだ20代でタバコを吸っていた。その後30代でタバコを止め、40代を終えようとしている現在は全く吸っていない。おそらくだが、病院食の味付け自体はあの時と大差はないのだが、喫煙によって私の味覚が鈍くなっていたために味が薄いと感じ、醤油などで補っていたに違いない。タバコなんて良いことは何もない。

夕食を済ませると、また看護師さんが現れ点滴が終了となったので外してもらう。

ここまでくればもう大丈夫だろうということで、嫁に帰宅してもらうことにした。
「今日はホントありがとね」
「いいから早くシャワー浴びたい…」
私に部屋の温度を合わせてくれていたおかげで彼女は汗だくになっていた。

今日は我儘三昧の私に根気よく付き合ってくれて本当に助かった。
正直手術前は手術終わったら数時間じっとしてればいいだけでしょ!くらいに思っていたが全く違った。
頑張るのは医者だけではなかったのだ。
私も、そして何より嫁が頑張らなければならなかった。

もし独り身だったら同じ事を全て看護師さんに頼めるかと考えると絶対に無理だ。
やはりいざという時に頼れるのは家族しか居ないのだと改めて嫁の有り難みを感じていた。

私の稚拙な文章ではあまり伝わっていないと思うが、嫁がいてくれた間、体は辛い状態でも、そこには常に笑いがあった。
嫁は本当に面白い人で、常に私を、そして家族を笑わせてくれる。
嫁と結婚した理由を聞かれたとしたら必ずこう答える。コイツとなら一生笑って暮らしていけると思ったからだと。

ナースよ暇たいのに火災ステゥタカ

突然思い出した。
まだ意識が完全には戻っていない中、何か用事があって看護師を呼びたかったのに、嫁が野菜スティックを食べているから食べ終わるまで待てと言っていたら看護師が向こうからやってきて慌てて野菜スティックをしまう様が可笑しくてメモしようとしていたのだ。朦朧としながらも心の中は笑顔で満たされていた。

嫁が帰った後、鼠蹊部の状態を確認してもらい、問題なさそうなので立ってトイレに行けるか確認することにした。
問題なさそうなら尿道に挿入された排尿のための管を抜いてもらうことができる。

恐るおそる立ち上がる。
鼠蹊部に負担がかからぬよう注意しながらそっと歩く。

問題なさそうだ。

その場で管を抜いてもらうことにした。
これが地味に痛いのだが経験があるので気合を入れて乗り切った。

「早めに排尿に問題ないか確認して下さい。最初は痛みや血尿が出ると思いますがすぐに治まりますので」
そう言って夜勤の女性看護師さんは病室を後にした。

実際、その後すぐに血尿と激痛が来た。

ところで手術前にかなり大々的にツイッターで今から手術します!と触れ回っていた割に、未だに無事終わった事をツイート出来ていない。
意識が戻った時点で取り急ぎ無事に終わったことだけでもツイートできたであろうが、折角の手術後初ツイートをそんななんの捻りもないものにしたくないなといった邪念が麻酔が残った頭によぎり、結果この時間まで引っ張ってしまった。

ある程度やることも落ち着いたので最初のツイートをどんなものにしようか考え始めた。

ちょっとネタで遺影っぽくモノクロ写真でツイートしたらどうかと思いついた時に、遺影と言えば後藤まりこ様がくぴぽに提供したPAINT PAIN平成だろうとなり、その歌詞である
遺影遺影、いえいえ、イェイイェイ
が意味的にもピッタリ来る気がしてそのような内容のツイートにしてみた。

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ところがどうも食いつきが悪い。
みな手術前にははあれだけ心配してくれていたのに、ファボも少ないし、何よりファボくれた数人は、通常なら何がしかリプをくれそうな人達なのに誰もリプして来ない。

この時点で流石の空気読めない系人間の私も、どうやらやらかしてしまったっぽいことに気付く。
悪ノリのレベルが一般のソレを大幅に超えてしまっていたようだ。

慌ててもう少しマシなツイートを入れ直す。
こちらには多数のファボやリプを頂いた。

反応してくれたお友達、アイドルさん、広島の飲み屋のおねーさん方、本当にありがとう。皆んなが少しでも気にかけてくれることで元気が出ました。

そして最初のツイートにリプが付くことはその後も無かった。

こういう所が決定的にダメな男なのだ。私という人間は。

そうこうしているうちに強烈な睡魔に襲われ、いつのまにかグッスリ寝てしまっていた。
目覚めた後はかなりスッキリしていたが、時間にしたら2時間くらいのものだったかも知れない。

再びトイレに行くと、まだ多少の違和感はあるものの、今度は問題なかった。

ここで手術後に装着されていたT字帯が取れて床に落ちてしまった。
血もついてるし、床に落ちたのを履き直す気もせずそのまま捨てた。

術後の安静期間で大量の汗をかいたので浴衣タイプの病衣を取りに行き着替えた。 先程のLサイズは大き過ぎたためMサイズを選択。

とりあえずノーパンのまま羽織る。
まだ鼠蹊部のほうは抜糸も終わっておらず、パンツを履いて良いのか分からなかった。

しかしこの後巡回に来た看護師さんに尋ねると、履いても問題ないらしい。

なんとなくツイッターでアンケートをとってみた。

今からパンツを
 履く
 履かない

最初に反応した3名は、履くが1名、履かないが2名だった。
しかしその後は履かない勢が圧倒的多数を占め、全23票中履かないが22票という結果となった。

圧倒的ノーパンブーム到来

まぁ良い。
とりあえずアンケート通り履かないことにした。

時刻は午前0時を回り、長い一日が終わった。


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