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シドニー旅行記3:雨のオペラハウス
オーストラリアといえば、皆様何を想像するだろう。もっとも多いのは、きっと動物園でもなかなかお目にかかれないような固有種たちや、手付かずの大自然、付随して湧き出る豊富な資源たちといった、どちらかといえば人工物ではなく自然が生み出した奇跡を思い起こすのではなかろうか。
シドニーのランドマークとも言えるオペラハウス。ハーバーに鎮座する幾何学的な構造物は、この大陸の沿岸を人が支配したことの証左のような荘厳さでそこに在り続けている。
ユネスコに登録された”もっとも新しい文化遺産”であるそれは、海や森や山を眺めるのが好きだった10代の自分にとっては正直なところ、「機会があれば見たいかもしれない」程度の印象しか持っていなかった。幼少期からピアノはやっていたし、中高生と吹奏楽部にも所属していた経験はある。なんなら博士課程時代に留学していたのはオーストリア・ウィーンだったので、休みの日に立ち見で交響楽団の演奏を聴きに行ったり大衆オペラを観に行ったりもした。でもあの「オペラハウス」には親しみが湧かないというか、近代建築のなんたるかを知らなかった私には、前衛的なそれが海と空の間に真っ白に空間を裂いたようにしか見えなかった。
夫が「行きたい」とガイドブックの表紙を見ながら言ったので、「人生で何度行くことになるかもわからないんだから、行ってみるか」と思ったのがきっかけだった。
シドニーに着いてから2日目の朝。ホテルでの朝食を食べ終えた私たちは、最寄駅から地下鉄に乗った。
私たちがシドニーに滞在していた間は、ほとんど全日雨が降っていた。
天気予報でもあんまり良い予報は出ていなかったので少し嫌な予感はしていたけれど、どの日もほとんどが曇り空、晴れ間が見えたのはほんの一瞬で、おまけに秋の入り口とは思えないほど寒かった。
だけど私は雨の日がそこまで嫌いではない。癖毛はまとまらないし、傘はすぐ無くすしで日本では散々な目には遭っているけれど、旅先で観光地をめぐる時の雨はなんだかレアな状況に会えた気がして少し楽しい。晴れた日の観光地の有名な写真は探せば山ほど出てくるけど、雨が降った時のアンニュイな表情はなかなか見られないんじゃないか?と思っている。
通勤や通学らしき人たちを横目に最寄りの駅を降りると、湿気で霞んだ空気の向こう側にぼんやりとハーバーブリッジとオペラハウスが佇んでいた。南国の木々、平日で閑散としているお土産とレストラン街を、ゆっくりと雨音を聞きながら歩いていくのもなんだか趣がある。風は冷たいけれど、少しの潮臭さもなく、プランクトンのいない外国の海であることを認識する。
オペラハウスは近づけば近づくほど、まずその大きさに圧倒される。
階段の上に大きな帆をかけたような構造とガラス張りの内装がとても美しくて、一番新しい世界遺産であるにもかかわらず、ずっと前からそこにあったような調和を見せていた。晴天のシドニーの写真で見ていたコントラストはそこにはなく、低い雲がそのまま地上に降りてきたようにも見えた。
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レインコートを着た小さな子供達が、数人の保育士に誘われてオペラハウス前で写真を撮っていた。微笑ましく見ていたら一瞬で雨が激しく降り出して、保育士さんたちが急いで子供達を抱き抱えてオペラハウス入り口の近く、屋根のある場所まで移動させていた。私たちも急いで同じ場所まで避難して、雨が落ち着くのを待っていると、彼らはそのままそこで10人以上が乗れるでかいベビーカー(複数のベビーカーが連なって一つにまとまったような形)に乗せられ、少し小降りになったところで大きな傘をさした男性保育士に押されてオペラハウスを後にしていた。
どこの国の人たちも、子供達のたくさんいるこうした遠足を見るのは好きらしく、中国人らしき家族旅行の団体たちも、フランス語を喋るご老人夫婦も、皆にこやかに彼らを見送っていて、微笑ましい気分になった。
オペラハウスの地下、案内ツアーの集合場所の付近には、オペラハウス建設にまつわる歴史が写真入りで綴られている。デザインコンペで優勝したはいいけれど、物理的に建設が可能なのか?を建築家と一緒に作り上げていくエンジニアたちの努力が記されており、「そうか、デザインする側は特にこれが実現可能かどうかを意識しないのか」と目から鱗がおちた。確かに、物理的に可能かどうか、といった視点が入ってしまっては、その実現可能性に囚われてアイデアの幅が狭まってしまうのかもしれない。人類は「可能かどうか」をさておいて自由に考えた上で、「じゃあこれを可能にするにはどうしたらいいんだろう」をみんなで考える方がいろんな方向にクリエイティビティを活かせる生き物なんだろうか。そうであれば、デザインする側の人たちはそうした常識を一旦手放すという作業が必要で、それができる人たちから独創的と呼ばれるようになるのだろうか。研究者も同じだと面白いなと思うけど、それが許される企業研究者はどのくらいいるんだろう。我々はいつも「利益」と「コスト」が実現可能性の足枷として付き纏っている。それを外した先の自由な発想に、何か面白い産業は生まれるだろうか?
最近はこういうところからなんでも仕事で何かに活かせないかと考えてしまう癖がついてしまったような気がする。海外で羽を伸ばしている時くらいは自由でいたいのに。
オペラハウスには演奏待ちの間や演奏後に軽食ができるバーが併設されている。そこで遅めの昼食を摂っていると、カモメたちが時々席の近くまでやってくる。大体は外のテラスより内側に入ってくるわけではないものの、時々ニンゲンが目を離した隙に”おこぼれ”を掻っ攫っていくらしい。料理を持ってきたウェイターのお兄さんが、「食べない時はこれを被せておいてね」と金属メッシュのカバー(ザルを逆さにして取っ手をつけたようなやつ)を一緒に持ってきてくれた。
オペラバーの対策はそれだけではなく、食事中にずっとテラス席の方を散歩している犬がいた。犬を連れているお兄さんの着ているTシャツの背中には、カモメを追い払う犬の姿がプリントされていて、なるほどワンちゃんがその辺をパトロールしながら、客席内に入りそうになるカモメを追い払っているのだと納得した。その後もよく観察していたら、座席近くでこちらを見ているカモメを見つけて追い払ったら、ワンちゃんにおやつをプレゼントしていた。むちゃむちゃ何かを食べながらまたうろうろとカモメを追い払うために歩き続けるワンちゃんにお疲れ様、と心の中で声をかけた。
ちなみに、オペラハウスではツアーに参加したのだが、運よくリハーサル中のホールを覗かせてもらうことができた。シェイクスピアの作品「テンペスト」にちなんで作曲された曲たちを、シェイクスピア作品を演じている俳優の方の朗読に合わせて演奏するというコンサートだった。シェイクスピアはほとんど知らない(某スマホゲーで知っているくらい)が、テンペストを近現代の作曲家たちがどう解釈してどういう曲にしたのか、その違いが聴けるのは面白いかもしれない、と思い、その場でチケットオフィスに行って3日後のコンサートのチケットを取った。
こういう突発的な出会いがあるのも、あまりツアーなどを詰め込みすぎない旅の醍醐味といったところかもしれない。
シェイクスピアは古英語で書かれている作品ということで、日本でいう古文的な立ち位置?と想像している。英語圏の人たち(もしくは欧州も含む?)の教養として一節を引用したりするのは、さながら「春はあけぼの」みたいな感じだろうか。英語圏の人たちも、「春は揚げ物」みたいなパロディをしたりするんだろうか。知っている人がいたらぜひ教えて欲しい。