「そばかす」は少女の特権(JUDY AND MARY「そばかす」)

昨日の夜、肌のお手入れをしようと思って、
私は、真剣に鏡を覗いた。
普段は、
化粧のしあがりをさっと確認する程度だから、
こんなにも自分の顔をまじまじと見つめたのは、
なんだか久しぶりだった。

頬骨の一番高いところ、昔からそこにあるそばかす。

見つめて、ふと、思った。
これを、私は、「そばかす」と呼んでいいのだろうか。

これは、
「シミ」
と言うんじゃなかろうか。

そばかす、と言う呼び名には、
少女っぽいあどけなさが含まれている。
今の私の顔に、
少女っぽさというものが必要であろうか。
あどけなさなんていうものが、
今の私に必要だろうか。

かと言っても、
しみ、に含まれる一抹の哀愁(と言わせてくれ)を、
私の顔に付与するほどに、
私は良い歳の取り方をしているだろうか?

子供の頃からあるものだから、
今更どうこうしようと思わない。
特に悩んでもいない。
これ以上増えないよう努力するのみだ。
私は淡々とお手入れをして、
来るべき危機をのりこえるしかないんだが、
これをなんて呼んだらいいのかわからなかった。

思うのだ。
明日できるものは、きっとシミだ。
昨日まであったのは、そばかすとしよう。
そしたら、今、あるこれは、一体なんだろう。
いま、現在の自分という存在が、
一本の糸で過去から未来へとつながる中で、
そばかすっていうのはすごく中途半端なんだよな。

前の職場で、
大学生のインターンの子とYUKIの可愛さについて話していた時、
彼女が、JUDY AND MARYを知らないことに驚愕した。

それも、そのはずだ。
彼女とは10近く離れていて、
JUDY AND MARYが解散した時、
彼女はきっと、
物心ついたかつかないかの頃だったはずた。

YUKIの音楽は、YUKIの音楽なのであって、
今のYUKIがそばかすを歌っても、
なんだか違うような気がする。

私は、厳密には、
リアルタイムでJUDY AND MARYの音楽を聴いていた世代ではない。
けれども、その音楽の影響力を知っていたし、
やはり、ある意味でリアルタイム的に「そばかす」という曲を聴いた。

私の恋は、
もうきっとヘビー級なんて言えるものでもないし、
かと言って、
角砂糖みたいに溶けてくれたりなんかしない。
濃度の高い食塩水に、
溶けきれなくて沈殿する塩みたいに、
曖昧で、
中途半端で、
けど、見知らぬ振りをしたいもの。

無鉄砲さは少女の特権。

曖昧さは大人の特権。

好きや嫌いだけでは言えない関係を、
私はいつの間にか受け入れられるようになった。
シミとそばかす、
どっちつかずなのは、
私が大人か子供かなんてことじゃなくて、
単に保留にしておきたいだけなんだろうな。

でも、
その曖昧さをたまに後悔したりなんてするのだ。

男友達に、
本当は好きだったと言えなかったこととか。

曖昧さは、
臆病な心の裏返し。

綺麗な思い出をとっておきたいけど、
思い出したくないことが増えていく。

やっぱり、
今、この肌にあるのは、
そばかすじゃなくてシミなんだな。

JUDY AND MARYの「そばかす」を聞くと、
私は、好きな人に好きだと言えた自分を思い出す。

振られた私を慰めてあげる言葉も、
今ならわかるような気がする。

それはさて置いて、
これからすべきことは、
恋愛ではなくて、
とりあえず、
シミ対策。



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