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夫は夕飯を一緒に食べたい

写真は、夫特製のよだれ鶏。薬味もりもりで美味しいんだ〜。久しぶりにリクエストしようかな。

さて。

夫婦になる前に同棲期間が1年あったのだが、同棲して初めて喧嘩した日のことを振り返りたい。

※文中の彼=現夫である。

定時に終わる彼と残業する私

平日の仕事終わりに夕飯を食べる時。

仕事を終えた彼は、夕飯を作ってくれていた。
一方、仕事が忙しい私は、残業していた。

「あと何分で終わる?」

正直そんなことわからない。
こちとら、必死になって仕事をしている。
私にとっては30分も1時間も同じだ。

「うーん、30分くらいかな。」

そして30分はすぐにやってくる。

「ご飯できたよー、食べられる?」

5分前にあともう一息というところだったのは間違いない。
しかし5分が経った今、別の修正点を発見してしまった。あと10分はかかりそうである。

「ごめんまだかかりそう。」
「そっかー、あと何分くらい?」

ラストスパートに向けて集中しているのを遮るかのように、煽ってくる言葉。あと何分か正確に分かっていれば、そもそも30分なんて言わないだろう。

やりながら、より良い案が思い浮かぶ。一つ一つの修正作業は短いが、まとめるとそこそこに時間を費やしてしまう。
それは私の効率が悪いところでもあるけど、ベターを追求してこそベストが生まれるのだ。

もう何分で終わるかなんて、知らないよー。
そう思いながら、気持ちは5分で終えたい。

「あと5分くらいかなー。」

そして案の定、10分が過ぎる。
「まだ?」と言われて、「先に食べてていいよ。」と言う私。

今なら、お互いにそれぞれのフラストレーションが溜まっていることがよく分かる。

事の発端は、こういうやりとりからだった。

実家暮らしが長い私と一人暮らしが長い彼

私は、同棲するまで長らく実家暮らしだった。

コロナ禍にフルリモート前提のスタートアップへ転職をし、出社する日もあったが、リモートの日は実家の部屋に籠りきり。

昼と夜のごはんとお風呂の時間を母に伝え、用意してもらったら、自分のタイミングで済ませるという生活をしていた。

なんなら、コロナ禍よりもずっと前。
私が大学生の頃には、みんなで食卓を囲む習慣はすでになかった。

仕事第一で邁進する父
週3でパートをしている母
部活やサークル活動で忙しい私と5歳年下の妹

活動時間があまりに違うのだから無理もない。

冷蔵庫に入っている母の作り置きや買い溜めしてくれている市販のあり物を食べたり、時々食べたいものをテイクアウトしたり、そういう食生活を送ってきた。

だからだろうか。
夕飯は食べたいタイミングでそれぞれが食べたらいい、と思っていた。

一方、彼は一人暮らしが長い。
大学から家を出て、学生寮で過ごしてきたようだ。

海外留学も何度か経験していて、節約も兼ねて自炊していたから、生活に必要なことは何でも自分でやってきた。

夕飯は食べたいタイミングで食べていただろうが、ルームメイトと一緒に食べることも多かったようである。

それ以前の食卓は、4人兄妹の末っ子だから、上3人や両親の都合もあっただろうが、誰かしら一緒に食べる人がいたのだろうと思う。

これは価値観のすり合わせである

何が起きたかと言えば、散々待たせたゆえ、彼が怒っているのである。言い分はこうだ。

「ちゃんと終わる時間を聞いてそれに合わせて作った。にもかかわらず、全然終わらない。熱々のまま食べたいからタイミングを合わせたのに、これでは美味しい状態で食べられない。」

面倒なことに、納得できない言い分には言い返すタチである。私はこう言った。

「そもそも何時に終わるかなんて断言できない。私は熱々じゃなくていいし、そんなこと言うなら先に食べてて構わない。こっちは疲れていて仕方なく残業しているのに、なんで文句を言われなければならないのか。」

つまり、平行線。

同じ言い分を形を変えて言いながら、解決策が見えない。なんで分かってくれないのか理解できないし、分かり合えないことに苛立つ。

しばらく二人とも黙り込み、悶々としていた。
そして彼はこう言った。

「せっかく手間暇かけて作ったものを一緒に食べられないことが悲しい」と。

なんだ、可愛いじゃないか。
今なら素直にそう思えるし、すぐに謝ったと思う。

実際のところ私は頑なで、まだ腑に落ちていなかったから"すぐ"ではなかったけども、渋々謝った気がする。

そしてしばらく経ってやっと気づいた。
これは価値観のすり合わせである。

大事なことを思い出させてくれた

食卓を家族で囲んで、作ってくれたことに感謝して、おいしいねと言い合う。そんなある種、家族像のあたり前を久しく経験していなかった。

作ってくれること、都合に合わせてくれることが当たり前になっていた。
心からの感謝を伝えることもなかった。
毎日をどうにか前進しながら過ごすことで精一杯だった。

そういう生活になってしまっていたと思う。

すれ違いの生活だとしても、何気ない毎日は当たり前ではない。やってもらえることは当たり前ではない。
すべてに感謝するべきだった。うまく伝えられなかったとしても。

自分の当たり前が他人にとっての当たり前ではないことを初めて目の当たりにして、戸惑った。と同時に、赤の他人と一緒に暮らすことは、こういうことなんだと身をもって実感した。

とくに生まれ育った環境の違いは大きい。

この人は、一緒に食を囲むことを大切にしたい人なんだな、と感じたし、その価値観はとてもいいなと思えた。

おかげで食べることが共通の楽しみの私たちにとって、大切なコミュニケーションになっている。

ただ子どもが生まれ、夫がブラック企業に転職し、毎日遅くまで残業するようになった今では、お互いのタイミングを優先している。

夫に合わせて我慢ばかりしても仕方がないので、先に食べることもあるし、先に食べようとしている私を見て、夫が休憩にして一緒に食べることもある。

こだわりばかりでなくて、臨機応変な今の生活も気に入っている。誰しもがご機嫌で過ごせるのが一番だと思う。

とはいえ大事なことに気づかせてくれて今も感謝しているし、これからも忘れずにいたいと思う。


夫のトリセツシリーズ、執筆中✍️