嘘つきピアニスト少年

3歳から小学5年生までピアノを習っていた。

初めの方は楽しくやれていたのだが、小学校にあがったくらいからピアノのレッスンに行くのが嫌で嫌でしょうがなくなってしまった。

しかし僕が初めの方にピアノを楽しんでいたせいで、親やピアノの先生は僕のことを「ピアノが大好きな子」と思い込んでいたため、僕は大人の期待を裏切ることができず、永遠に「ピアノが大好きな子」を演じるしかなかった。

僕の演じっぷりと言ったらそれはもう。レッスン前日に38度の熱があったものなら内心ラッキーと思いながらも、母に「明日37度5分より下がってたらピアノ行きたいお願いお願いお願い」と懇願するほどのものだった。運悪く翌日に37度5分を下回り、母に「どうする?行く?」と聞かれた時には「1日ベッドで考えたけどやっぱり先生に風邪をうつしたら悪いから今日は我慢するよ」と。母に「たっくんは良い子だね」と言われて満足をしていた。僕はピアノが大好きだけど人を思いやることのできる心優しい少年だった。

しかし、僕の嫌いなレッスンの日は毎週やってきて、その度に家でピアノの練習をして行かなきゃいけないという毎日に限界を感じた僕は1つの作戦を決行した。

ある日のレッスンで僕はいつものようにピアノを弾いていたが、演奏が後半になるにつれて僕は苦悶の表情を顔に浮かべ、大きく息を切らし、心配そうに僕を見つめる先生を横目に、僕はいきなり演奏の手を止め、苦しそうにこう言った。

「ヒジが…」

小学生の僕が思いついた作戦とは、3分以上連続でピアノを弾くと右ヒジが痛くなって演奏続行不可能になるというキャラを演じることだった。この作戦によって僕のピアノ人生は大きく変わった。

まず、家でピアノの練習をしなくても先生に怒られることはなくなった。さらにレッスン中にピアノを弾き始めて3分が経過し、僕が苦悶の表情を浮かべると先生に「そろそろ限界?」と聞かれ、右ヒジを押さえながら「ハァ…ハァ…はい…今日は…ここまでですかね…」と答えるとその日のピアノの演奏は終了となり、残りの57分は先生とのおしゃべりの時間になった。演奏よりも先生とのおしゃべりの方がはるかにマシだった。

おしゃべりタイムの中でも、右ヒジの病気が怪しまれないために、先生に対して様々な嘘をついた。別で習っている少年野球の方では1日15球の球数制限がかけられているという嘘や、最近は右ヒジへの負担を減らすために左手で文字を書いたり箸を持ったりしているという嘘で、少年は先生を翻弄した。右ヒジが痛いの一辺倒では怪しまれるのではないかと思い、「右ヒジを庇うあまりに左手を酷使しすぎたたため、両腕のヒジが演奏開始3分で使い物にならなくなる日」なんかもあった。

僕の前の時間のレッスンの生徒が双子兄弟だった。開始時刻よりも少し早く来るとその子たちのレッスンの様子がドアの外から見えるのだが、幼い兄弟は毎回のように「ピアノやーだ!!」と駄々をこねて逃げるようにレッスンを終えていた。そんな双子を見て僕もこんな風に感情を表に出せたらな、と羨ましく思いながら、レッスンの時間になり双子に代わり僕がピアノの椅子に座ると「でも先生、あの子たちは良いですよね。ピアノがどんなに嫌いでも自由に弾けるんだから…」とつぶやいた。大好きなピアノを神によって奪われた可哀想な少年を演じ続けることしか僕にはできなかった。

そんな毎日が半年くらい続き、親と先生の話し合いの末、結局僕はピアノを辞めることになった。他にも別の手法でスイミング、習字、柔道、英会話、学習塾を辞めることに成功している。

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