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#国土軸の旅(2日目⑥) そうだ、京大行こう(中編) 阪急京都線を走る電車内で地域経済学科での日々を振り返り自嘲するだけの記事

(今回は文字多め、旅行情報ほぼ皆無なので読み飛ばしても全く問題ありません)

2021年12月6日14:03
大阪府茨木市にある大阪モノレールの終着駅南茨木よりあの小豆色の阪急電車に乗り継ぐ。

目的地は京都大学。
本当は17時閉館の京都鉄道博物館にも行きたかったのだが、どうしても昼下がりのキャンパスに行かずにはいられない。何故ならその時間帯こそ最もキャンパス周辺に下校する学生が多いと踏んでいたからだ。

と、いうわけで鉄道博物館は行けたらいいや、というくらいの気持ちで京都へ向かう。

その道中、突然友人からLINEが来た。
このシリーズを通読している人(いるの?)でも忘れているだろうが、この旅は本来一人旅ではない。
体調不良だかなんだかで当分来られないと言われただけなのだ。

取り敢えず彼のPCR検査の結果は陰性だった。
「じゃあ来れるじゃーーん」
と呑気に私は考えたのだが、実はそんなこともなかったらしい。どうやら胸がどうこうという話で、結局また数日は来られないとなってしまったのだ。

心の中でなんとなく期待していた相互フォロワーの京都の学生からの「案内しまっせ」が来るはずもなく、ぼんやりと自分に腹を立てながら電車に揺られていた。

思えばこの友人とは大学1年次の基礎ゼミからの縁であった。単に新歓で一緒のテーブルになったヤツが偶然にも基礎ゼミも一緒だっというだけなのだが、しかし私が青春18きっぷで釧路まで旅をしたというツイートを見られて以来、共に18きっぷなどで旅をするようになっていた。

そして私たちは2年生になり、地域経済学科に進んだ。そこではなんとなく田舎(正確には「内発的発展」とかなんだけど)は善で都会/一極集中は悪という風に教わった。 

友人の方はそもそも「田舎」の方の出身なためか結構素直にその主義を受け容れたようだけど、私の方はといえば、そもそも特に理由も志望大学もなく東京の大学へ行きたがったりしたような男なのでその主義自体ではなく信じるフリをする自分自身を嘘臭く感じ、そのうち少しずつ道内旅行を心の底からは楽しめないようになった。

私はジャンクフードを求めるように東京と京都を求めるようになり、しかし大学の校風を言い訳に道外で就活をすることはなく、むしろ自分の迷いを断つように「道内地方都市が好き」と嘯いて道内企業の(唯一の)内定を得ていた。

そしてこの"弱さ"と葛藤に一定のケリをつけ、妥協だらけの「余生」(私は学校生活だけが人生だと信じているタイプの人間であった)に向き合うために「#国土軸の旅」を始動した。

元々卒業旅行(「人生」の、でもある)に連れ立つならこの友人とじゃなきゃやだねー、と思っていたが、それ以外にもこの旅では一度クッソ長い旅をすること(しかも「札幌へ向かう」旅にすることで大嫌いな「帰り道」概念を打ち消すこと)によって、なんとか自分を一時的にでも「道民ではない日本人」にするトランス体験を狙っていたため、どうしても不安定になりそうな自分の心を吐露し、安定して楽しむための「話し相手」を欲していた。

それだけに、彼を疑うでもなく、私は私の旅行の「つまらなさ」の根本についてとことん向き合ってしまっていた。

眼の前を大阪と京都の境界らへんの街々が過ぎ去る。中々面白いな、とは思う。高校生時代に同じ地域の景色を見た時は無邪気に暗い窓にかじりつき、反射した喜色ばんだ自分の顔を見つめていた気がするのに、今はどうだろう。
「もったいないから景色を見なきゃ」という損得勘定、もしくはケチ根性に嫌気が差してついついスマホでツイッター(当時)ばかり見てしまう。普段地下鉄電車に乗る時はむしろツイッターはそんなに見たくないタチなのに、この時ばかりはこうなのだ。

むしろ旅先で無意味にツイッターばかりいじるのにハマっていた。認めたくはなかったが、そうであることを私はこの旅の9日目あたりで認めるよう(言い聞かせるよう)になる。

私は確かに損をしていたが、旅の根本的な「つまらなさ」が前面化し、スマホをいじってしまう一方で幸か不幸か旅の根本的な「儚さ」からは決定的かつ超時間的に脱しつつあった。

その「儚さ」とは、旅の"一分一秒"を文字通り惜しみ愛しむ態度のことで、これはこれで悪くないのだが、しかしそれでは時間の経過=苦痛でしかない。

こうなってはもはや旅自体がクソッタレな日常から逃避するために摂取した中毒性のある麻薬のようなもので、幼かった私はまだそれをコンテンツとして発信できるプラットフォーム(そう、ツイッター!)を知らなかったため、時に旅を貶し、相対化してでも旅の脱"麻薬"化をしなくてはならなかったのだ。

こうして"麻薬"ではなくなった旅はようやく真に他者と共に不可能性と可変性(不安定性)を享楽できるものとなった。
それは"情報量"主義から"経験"主義への転換であり、(「リベラル」な総力戦体制期、短い20世紀をこよなく愛した私と、おそらく友人にとっては)このクソッタレな現代の情報社会と奇しくも軌を一にするような心理上の変化でもあった。

(こうして私は弱々しく笑いながら現代社会を肯定するようになり、人口と市街の無制限な拡大を是とする総力戦体制時代の残影に無意識にすがる架空地図界隈と距離を取るようになってしまった)

そうしているうちに、ぼんやり視界を漂っていた阪急電車の車内広告が意味あるものとして見えるようになった。

(これは2023年から振り返った書き方で、本当は乗車してすぐ気がついたような気もする)

阪急沿線アプリ

その広告では「阪急沿線」がひとつの街(の連続体?)としてブランディングされていたが、これはつまり現代日本における「まちおこし」がより洗練されたものではないのだろうか。
いや、むしろこのような沿線に付加価値を付与するような、地域ブランディングをなんとか「田舎」でもやろうとしたのが「まちおこし」だの「地域振興」なのではないか。

────あぁ、これでもう"地方の可能性"や"まちおこし"を笑顔で信じてみせる痩せ我慢はしなくていいんだな。何せ可能性を信じようと信じまいと、どうせ卒業したらクソ田舎に住むのだから、嫌でも現実を見ざるを得ないのだから。

「まちおこし」をするにしても都会の方が田舎より向いているのではないか。やけっぱちの敗北主義者となった私にとっては、いっそ清々しく感じられる悔しさだった。

14:19 京都河原町駅到着。

5年ぶりに訪れた観光地・京都は昔のままのように思われてならなかった。思わずエネルギーをもらったような気分になった。


(以下おまけ写真集)

(2日目⑦ そうだ、京大行こう(後編)へつづく)

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