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シリーズ北海学園大学新聞の戦後史:第13回(1956年①)不吉・奇遇・太陽

 1956年4月29日、当時の北海学園の理事長であった佐藤吉蔵が死亡した。これより後に学長未経験者の理事長の死をもういちど経験する本学園であるが、それでもやはり我々本学学生の脳裏をよぎるのは昨年のことであり、この時代のことを知ることは現代を生きる指針となる……のかなぁ。

北海学園大学新聞第17・18合併号(1956年5月15日発行)見出し一覧

一面

 ・佐藤理事長逝去さる/厳そかに学園葬執行

 ・(論説)理事長の死を悼む

 ・(論説)新聞に力を結集しよう

 ・完全就職にもう一息/残るは二十数名

  →池田厚生部長談

 ・六割五分の就職/東北学院大学

 ・雪辱なるか/対東北学院定期戦

  →30―31日仙台で

 ・自治会制度改革か

  →執行委員を選挙で

 ・学割二割に引下げ?

  →全学連反対を決議

 ・日塔、佐々木両君/ 打合せに来札

 ・全学連/スト指令

 ・ゼミテーマ決まる

 ・「記者クラブ」

 ・A・A会議/バンドンで

 ・会告

 ・晴好雨奇


二面(躍進する文化・体育サークル/1956年の展望)

 ・全道地区大会で優勝を/各部猛練習に入る(体育会)

  ・充実された選手陣(バドミントン)

  ・望みは全道大会に(卓球)

  ・無事なるか対東北戦(柔道)

  ・成るか全道制覇(庭球)

  ・飛躍距離陣の充実/一部昇格をめざして(スキー)

  ・ファイトに期待(ホッケー)

  ・再制覇をめざして(バレー)

  ・活動的な(剣道部)

  ・全道制覇を(バスケット)

  ・新人台頭(サッカー)

  ・全国大会をめざして(弓道)

  ・選手の補強を(ボクシング)

  ・地味な練習(空手部)

  ・期待される短距離(陸上部)

  ・投手陣強化なる(硬式野球)

  ・今後に期待(ラグビー)

  ・強豪札短を降すか(軟式野球)

 ・全学生の応援団に

  →理解したい団の真意

 ・一層の向上目指して/各部研究熱高まる(文化部)

  ・会計士目指して(会計研究)

  ・旺盛な研究欲(英研)

  ・高趣味を生かして(レコード)

  ・全国並のレベル(軽音学部)

  ・一層の精進を(ブラスバンド)

  ・待望の暗室完成(写真部)

  ・初の独立公演に張り切る(演劇部)

  ・十勝岳征服を(山岳部)

  ・その他(美術部・書道部・グリークラブ・文学部・社研)


三面(学生運動の分析/より発展のために)

 ・学生の本基的性格/学生の一般的特質

 ・学生運動の展望と課題

  ・(一)平和擁護の/ための斗い。

  ・(二)民族の完全/独立のための斗い

  ・(三)民主主義を/守り、逆コース/に反対する斗い。

  ・(四)学園生活を/破壊から守るた/めの争い。

  ・(五)日本の科学/文化を守り、発/展させるための/闘い。

 ・学生運動の現状

 ・活動を基本的に/停滞は社会情勢か

 ・学生運動の/歴史的検討


四面(文化)

 ・完全機械化に就いて/危惧と楽観(三森定男)

 ・(家庭訪問)庶民的な学者/南部忠平と争う?

 ・無題(名生望)

 ・(学園随想)奇遇(学長 上原轍三郎)

 ・幻想と神秘さと/わが青春のマリアンヌ

 ・「失われた大陸」イタリイ・フィルム

 ・国際ジャー/ナリスト会議

  →六月ヘルシンキで

 ・小樽同友会/義捐金募集

①(論説)理事長の死を悼む

 いつものように全文引用

 故佐藤理事長は北海道文化の礎をきずくために、理事者側として北海学園は、昭和三十二年に北海高の本館を鉄筋三階六百坪の第二期工事とする、本館を建設として校外に一万坪をもって体育館合宿所を作る、近い将来には法学、文学の両部を設置したい、また教養部も学部と独立させ、北海学園に学ぶ者を五千名以上にし、北海道開拓の中堅幹部を養成したいと大学校舎落成記念特集号のとき記者に語っていた。われわれは大学校舎建設の第一歩の功労者が故佐藤理事長であることを知っているだが理事長が北海高で学び、上級学校に進学せず、家業に励みながら常に北海高と北海学園を愛して来たことを知っている人は少ない。いや理事長の場合は家業をもかえりみずに北海学園のために働いておられた。故理事長のおかげで北海学園に学ぶことの出来た数多くの学生が存在していることもまた忘れてならない。これから発展してゆく北海学園にあってはある一部から独裁だといわれながらも、着々と仕事をやっていかれた理事長を失ったことは非常に残念である。
 北海学園に学び、北海学園を愛し、北海学園大学校舎建設に人生のすべてを傾けた人としてわれわれは佐藤理事長を忘れることは出来ないであろう。われわれは次の理事長にも故佐藤理事長の如く、北海学園を愛し、われわれの本当の話し相手、聞き手になって貰える人を望みたいものである。北海学園大学の発展の途上において倒れた故佐藤理事長の意志を発展させるためにも。
 われわれ学生の話を良く聞いてくれ、希いを良く果してくれた理事長。理事長の愛校心と北海学園の功績は永久に北海学園とともにあるだろう。われわれは故理事長の愛校心を模範とするでしょう

学園出身者系理事長の証が「北海高(中)出身」から「学園大出身」に変わるあたりに大学の発展ぶりが窺える。

②学割二割に引下げ?/全学連反対を決議

 今や定期券以外に学割もクソもあんまないので普通に二割でも羨ましいッスね。

③全学生の応援団に/理解したい団の真意

 何はともあれ全文引用!

応援団は現在三十数名の団員を擁し、牧団長のもとに毎日訓練にはげんでいる。正式な団員になるためには一年以上仮団員として練磨しなければならないので、正式な団員は少ないのである。昨年の東北学院大との定期戦において本学応援団は圧倒された感があるので、目前にひかえた仙台での定期戦にそなえて団員全員が基礎訓練から始めている。中島公園でランニング発声、手振り、足振りなど毎日団員一丸となってやっている。団員だけの応援に終らないように紳士的、近代的?な応援団になろうと努力しており、今年はブラスバンドの設立と相俟って相当派手な応援合戦が出来るだろうと思われる。昨年の大学祭定期戦の応援団の態度につていは、学生の中から横暴だとの声があり、一般市民の声では、もう少し派手に学生らしいバンカラさがあってもよいとの両方があったが、今年度は学生も、市民も満足できる応援団ができるのではないだろうか、牧団長は応援団について次の例をあげて語っていた。
「二、三週間前だったか某大学応援団が審判の判定に不服があって、応援団がさわぎ出し、プレーが一時間以上中断されたことがあったこれなど応援団や応援をする人のすることではない自校を勝たせたい一念で、応援団がプレーを妨害することは最もつつしむべきことだ、本学の応援団は一般のスポーツファンがもっと派手にといわれる位に紳士的なので、その点は心配がない。」応援団の応援でなく全学友と一緒になって応援をモットーに団員一丸にやっている。今年は団員が基本的訓練からはじめ、団旗もそろい、全学の応援団として充分信頼できる。
本学の応援団のバンカラが一部学生から批判が出るのは、そのバンカラさに学生的きれいさが欠けているためである。本学の応援団に望みたいことは、もう少しのバンカラとそれに豪快さではなかろうか。東北学院大との応援合戦には技術より、学生らしさで勝ってもらいたいものである。

応援団の「毎日練習」は本当に毎日やっているんだろうね、こわ~。

④晴好雨奇

めんどいから全文引用(逆にめんどくない?)

▲初夏の訪れよりも一歩先んじてレーバート・ウィナーが来朝した。彼の来日はわが国に「サイバネッティクス」時代の到来を想わせるのに十分である。人工頭脳とオートメイションの関係が、切っても切りはなせないだけに、彼の人造人間が可能となった場合、わが国の生産機構にオートメイションをいかに採り入れるか種々の問題を起すに違いない▲生産機構の自動化と産業合理化とは、非能率的な労働者を必然的に失業状態へと追いやらずにはおかぬ。潜在失業者層、約一千万の厚い層を有するわが国は、オートメイションの採用によって、またまた深刻な壁に衝きあたらねばならぬだろう。現在の失業者を今後救い得るとは、どうしても保障する事は誰れも出来るはずはない。それよりも失業者層の増大を予測する方が容易なのが現今の有様である▲米国を始めとし製本主義諸国家においては第一次世界大戦から行われてきた生産性向上運動は、第二次世界大戦後はすっかり軌道にのった感がある。オートメイション・システムは、だから大企業、独占企業の採用するところとなり、その結果は、常時的に失業者を社会に送りこむに至ったのである。しかしながら、後期資本主義国家群に属するわが国は、オートメイション・システムを拒否することはできぬ相談である。生産機械の立遅れは国家の死命を制する重大事であるからだ▲第二の太陽―原子力の平和利用には、是非とも国家の総力を結集しなければならぬが、それが社会に与える影響を考える時、将来の問題としてではなく、現在の問題として考えなければならないだろう。原子力とオートメイションは産業革命以上の革命をもたらすであろう。▲生産部門からサービス部門への人口の移動は多少考えられるかもしれぬが、十年後の今日を想う時に、われわれは現在以上の就職難を目の辺りに見るかも知れない。科学はすでに人間の労働価値を半減してきているので、現在の資本主義体制では、科学を利用できない状態となってきていることを考えるべきだ。

 AIの話かと想ったら特に関係なかったね。

⑤無題(名生望)

 『「太陽の季節」と「鍵」について何か一言物をいってほしいとのこと。編集氏のことの要求の意図が一体どこにあるのか少々迷わざるを得なかった。もうすっかり語り古されてしまった「太陽の季節」と皆さんが遠慮をなさって批評をさけておられる老大家の「鍵」との間にどんな共通点を見い出して私の処にもってきたのだろうか。人の色事などをあげつらって口を糊している私の商売に関連して考えた共通点とすれば、この二つの作品を「道徳紊乱」という当世流行の言にでもおしつめておこうという意図でもあろう、本来ならばこの二つはとても関連なぞつけて話などをつづけるの出来るものでもなく、もしそんなことをしたならばどこかの批評家どころか、当の御両人さえ深いに思われるにちがいない。最も下司な言葉を借りればこの二つの猥談(猥談といってもなげく必要はない、どこかの一流教授のそれによって、その社会的地位たるやすでに確固たるものがある)のおよぼした社会的影響とでもいったことを考えてもって来たのかもしれないとするとますます文字の冒涜であり私にもって来るのはおかど違いである。
(中略)その前にこの二つの層の間の三十年位の力の層ではこうしたことにあまり文学的感興を感じさせられないように教育(?)されているらしい。私も実はその一人で、この二つのみだりがましき風俗紊乱のそこにどうしても抵抗をでもさぐりださねばいたたまれぬ層に属するらしい。げんに戦争派と自称して私達よりももっと不幸な層の一人となげく遠藤周作氏がこの作品(太陽の季節)には抵抗が感ぜられぬとなげいている始末。いわんや亀井勝一郎氏の批難なぞも美とか抵抗の問題にこだわったいい方らしい。中村光夫氏たちのほめ言葉の中にさえ「これは賭」だということがある、ところが御本人にはもうけたいという意味の賭はあっても、文学上の賭なぞという真剣な意味はなく、スポーツの賭位であるらしいわれわれの世代がつかう賭なぞという悲愴感にはどうにも当惑さえ感じているのではなかろうか、同じようなことが谷崎、永井のような古い層の人々の何人かの間にもあるのかもしれない。こう話して来ると編集氏は誠に感のよい学生ということにもなる、いや一般世人が、この二つの層の無抵抗にすでに共通のものを感じてさわいでいるのかもしれない。私達はそれを名付けて通俗なぞといってみたかったりする層であるらしい。これだけでは一向にほめたことにもならず、また(中に非なるものを指摘なければ)私の責を果したことにならないようである、この二つの似た石原氏は三島氏あたりと同じように文学だけしかできない人間になぞさらに興味がないらしい。いつか三島氏はマン(引用者註:1875年にドイツ第二帝国で生まれこの記事の書かれる前年にスイスで死んだ小説家トーマス・マンのこと。三島由紀夫とマンの関係性については林進氏が鳥影社より出した『三島由紀夫とトーマス・マン』という書がある)にあこがれて、文学者のように見えなくて銀行家のように見える服装をする処にマンらしいところがある、といったことがあるがこの点石原氏も同じ、また彼は自分で大人に抵抗なぞ感じないのだ私は大人に対してはただ無関心なだけだ。抵抗されていると思っている人間たちだからモラルを紊乱したというけれどそう思うのは既成モラルを狂信している人間だけで、若い世代には別にそういうつもりはない。ただ無意識にああいうことをしていることによって新しいものをつかんでいくと思う、ナイーブな生活感情のままでという一種の行動主義である。だからあの小説はこの人達より十年上の人々の如く、人間をその限界状況において眺めようなぞという意図もない。
神に対しても大人に対してもノウコメントだというにすぎないのだジェームス・ディーンの「理由なき反抗」を評して、あのラベルのはり方は大人の自虐だとおもうということを石原氏がいつかいっていた。現に彼は平凡な結婚をして、同棲とかテストとかいう言葉は古いからとさえいっている。こうみると文学のその流れる観念性更に思想性なぞはおそらく認められないだろう。もっとも、日本でも小林秀雄がはっきりいったように社会心理なぞにはそのものズバリふれられないが、文学はそのものにふれられるので、そう意味(ママ)の思想とか芸術活動は行動とおなじということでも是認すれば何だかこの若い世代の考え方に通じることにもなりそうであるそう考えると文壇のエトランジェ(引用者註:およそ外国人…というより異邦人という意味のフランス語の単語に由来する外来語)を以って認じていらっしゃる石原氏もやはり日本人の文学をやる人ということになるのだろう。
(中略)もっとも石原氏もその点では彼の抵抗なき世代の表現を別の素材に求める時が来るであろうから、その時をまって物申す方が利口な態度というべきかもしれない。(めおう・のぞむ氏は本学助教授国文学担当)

 新聞会編集氏によるちょっと無茶(?)な執筆依頼自体に対して批評をしつつも、それを文学批評、そして新旧の「抵抗なき世代」を一括りに「通俗」といったりする層の感情などに対する批評に繋げてくるのは流石というべきで、難解にならず、それでいて学生新聞の読みものとしては大変優れていると感ぜられた。こういう新聞会編集氏の意図にまで及ぶ“メタ読み”は私のように令和の世から北海学園大学新聞をメタ読みする(おそらく)唯一の人間としては有難いことこの上ない。

しかし、「抵抗なき世代」とそれを通俗と切り捨ててしまいがちな戦争世代、これは現代のリベラル左翼と呼ばれる人たちにも見られる特徴であり、安倍長期政権以降の「劣化戦後」と呼ばれる不毛な左右対立の時代を生きる我々の世代から見ればこの“ホンモノ”の、身体性のある対立そのものに好感すら抱いてしまうのではないだろうか。通俗は通俗でも通俗保守の「暴走老人」と成った石原氏の近過去の姿を思い出しつつ、この稿を終える。

https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%AA%E9%99%BD%E3%81%AE%E5%AD%A3%E7%AF%80-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%9F%B3%E5%8E%9F-%E6%85%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E/dp/4101119015


(2022/2/2追記:どうやら記事中助教授はずーっと『鍵』の作者を永井荷風であるかのように書いているが実際の作者は谷崎潤一郎である)

⑥(学園随想)奇遇(学長 上原轍三郎)

全文引用ぉ!!

 私は一月上京の節、参議院議員の高瀬荘太郎氏(昨年九月校舎新築記念講演会において講演して下さった方)を議員会館に訪問した。
 その帰途、一ツ橋大学(ママ)の山城教授と共に、電車の停留場に出ようと思って、あの辺の人通のない坂道を、テクテク三宅坂の方へ下った時後から「上原先生ではありませんか」と呼び止められた。ふり返ってみると「私は北海学園大学第一期卒業の坂本博です」という。アッと思って見れば二年前に別れた同君が、今は中島エレベーター製造株式会社の経理部に勤め東京仕込みのリュッとした会社員姿で現われたものである。
 久𤄃をのべ、健康を祝し、校舎の新築など学校の様子を聞きむさぼるようにものの三十分も立話をした。聞くところによれば、わが大学出身者が今東京に第一期が五人、第二期が二人、計七人もいるとのことである。即ち坂本君の外に杉森豊君が、都紙業会社に、小林貞雄君が雪印乳業の販売部に、佐々木和久君と武田陽夫君が羽賀商店に、名塩良一郎君が森永商事、小林英信君が都星商事に勤務して共に元気で、評判よく活躍しているとのことである。
 私は歳若きわが大学の卒業生が東京にかくも多数に活躍していることを聞いて、涙が出るほど嬉しく感激にたえなかった。その後、坂本、杉森両君とは一夕食事を共にすることが出来て実に愉快であった。
 私は広い東京でも銀座あたりで時たま札幌の人と偶然あうことがあるが、八百万という多数の人の中で、人通りの少ないこの地点で、本学の卒業生にあうことはなんたる不思議であろうか、全く奇遇というよりほかはない。
 世間は広いようで狭いもの、人は遠いようで近いもの、求むるものは、やはりあらわれるものという感じを深くし、在京の同窓生諸君が、けだし健康にして大成せられんことを祈ってやまない。

 せっかく北海学園大学新聞縮小版Ⅰを持っているのだからキモい北海学園オタクらしく、この記事に出た全員(山城教授と高瀬議員除く)の卒論記事を特定してみよう!

(ちなみに参考にしたのは北海学園大学新聞第4号と第10・11合併号と北海学園大学新聞三十五年小史である)

坂本博(一期生):北海道貿易論(高岡助教授)

杉森豊(一期生):ヴァージニヤの開発(高岡助教授)

小林貞雄(一期生):岐路にたつ日本経済の打開策としての商業合理化の諸問題(高岡助教授)

佐々木和久(一期生):今後の農家経営(池田教授)

武田陽夫(一期生):北海道に於ける電気産業の推移(池田教授)

名塩良一郎(二期生):江戸時代における商習慣について(三森教授)

小林英信:不詳。おそらく松浦講師担当と考えられる。ぶっちゃけると頁と頁の谷間にある見えない一人ぶんのスペースに彼の名前があると思う。

上原轍三郎(東北帝国大学農科大学農業経済学科1912年卒業):北海道屯田兵制度(1914年道庁より刊行)


全文引用!したおかげで今更気付くことが出来たが、なんとこの中にかの名塩良一郎氏(学校法人北海学園評議員・北海学園大学豊平会(同窓会)副会長・(株)ナシオ相談役などを歴任。2021年11月死去)がいるではないか。彼は1955年に本学を卒業した後に上記の通り森永商事に就職するも1959年に父親の跡をついで名塩商店を率い、東京時代の人脈などを駆使して全国的製菓企業を育成したのであった。

そんな偉大な商人であった彼の卒論が商習慣に関するものだったのはかなり“分りやすい”し、同じゼミに所属していた学生同士がユニットとして扱われていることはマスプロ教育以前の大学におけるゼミナール内の人間関係の濃密さを窺わせる。

ちなみに二期生で池田善長教授のゼミナールに所属していた森本正夫氏の卒論テーマは「大都市近郊農村の経済的変貌過程の研究」で、石狩国札幌郡琴似村大字琴似村八軒(当時)の農家の家に生まれた彼らしいものである。


⑦小樽同友会/義捐金募集

去る五月三日・十二日の小樽の大火にたいして、本学小樽同友会では被災者のために休日を返上して小樽市で義捐金募集に活躍した。

なんと小樽同友会なるものが本学に存在していたらしい。札樽間の交通手段が限られていた時代、庁立小樽中学への通学列車の中で友から文学の道を啓かれた伊藤整のように列車の中で友情を深めたのだろうか。今でも札幌からえらく離れた三重県出身の北大生などは県人会を組織し活動しているそうだし、学校と故郷の心理的距離の長さが同友会的組織に必要なのかもしれない。

⑧おまけ


正直学生運動のところとか抽象的すぎて評論すんのもかなりめんどかったよ……

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