劇場版のんのんびより ばけーしょん 感想&プチ考察 〜新里あおいは本当にドライなのか?〜
「劇場版のんのんびより ばけーしょん」とは
2018年に公開された映画。原作の沖縄編(7巻・8巻)をベースに劇場版オリジナルキャラクターの新里あおいを加え「日常の中の非日常」を描き出す。「劇場版だから」と原作の雰囲気を無視して無理矢理ドラマチックな展開を入れようとする作品の多い中、当作品は原作のんのんびよりの持つのんびりのどかな雰囲気を尊重した作品作りで評価されている。当作品が一部で「劇場版ではなく出張版」と評される所以だ。
所詮メインキャラ御一行はただのお客様?
さて、2日かけてあおいと遊び倒して短いながらも確かな友情を育んだはずの四人衆(特に夏海)。彼女らの別れの瞬間は涙なしで語ることは出来ず、夏海が鼻をすすり毅然とした表情であおいに「ウチの田舎の写真を送る(文通する)」「次までにバドを練習する(絶対に再会する)」としっっっかり別れを告げ車に乗り込むシーンを見たときは思わず滂沱の涙が出たほどでした。
車に乗り込み、後ろ髪引かれる思いで遠くなりゆく宿を見つめつつ鼻水をすする夏海のカット。
注目すべきはその直後のカット。宿の前で御一行を笑顔で見送った彼女は涙を流した夏海と対比するように、表情を変えないまま普通の足取りで宿(家)に帰ったのでした。
(2020年10月のAbemaTV放送時のコメント欄。あおいが夏海をないがしろにしている前提でネタが展開されている)
このカットについてはこの映画の地味に有名なシーンとして「あおいとの出会いを一生の思い出にした夏海・夏海を数多い客の一人としてしか思っていないあおい」の対比シーン・「妙なリアリティ」の象徴として語られてきました。
しかし本当に彼女は夏海たちのことを「ただの宿泊客」としか考えていなかったのでしょうか? 結論から先に言うと、あおいは夏海ほどではないにせよこの短い時間をかけがえのない時間だと思っているはずです。以下の文章でその根拠を(演出上の意図を考察することで)示したいと思います。
①家に帰るシーンをわざわざ映すことによりあおいの「非日常から日常への帰還」が表現されている(=あの時間は非日常だった)
そもそもこの映画は「日常の中の非日常」を謳っていることからも分かるとおり、日常と非日常の区別(切り替え)についてかなり意識して演出されています。この映画はれんげが家を出るところから始まり、「ただいまなのん!」を言って終わるなど、旅の始点と終点(日常と非日常の接続点)を意識させる構図となっています。
さて、この「日常と非日常」の接続点のうち、始点は曖昧ながらも終点だけはしれっと描写されたキャラが新里あおいではないのでしょうか?
終盤、冒頭画像にもあるように彼女はわざわざ宿の前から家の中に入るシーンが描写されます。映画の観客をこの場における主人公の夏海に共感(没入)させたいなら、夏海には知り得ないはずの帰宅(?)シーンなど描かない方がいい(はず)のにも関わらず、です。
(それなのに描かれたということは新里あおいとは劇中における「非日常の演出装置」などではなく、日常と非日常の間を生きる立派な「登場人物」であるということでしょう)
あおいが帰宅(日常に帰る)シーンを入れたということはつまり、あの短い時間が非日常に他ならず、決して単なる接客ではないことを簡潔に示したかった、と解釈してもよいのではないでしょうか。
② ひまわりとハイビスカス〜あおいの髪飾り
劇中において、あおいは髪に花飾りをつけていますが、実はこの花飾りは二種類存在するのです。そのひとつはひまわり、もうひとつはハイビスカスの花飾りでした。(本当にハイビスカスかどうかは正直自信が持てません)
(ひまわりの飾りを付け家の手伝いをするあおい)(ひかねぇすこ)
あおいがひまわりの花飾りをつけていたのは(御一行の沖縄旅行の)一日目、二日目、四日目、そして劇場版ポスターとなります。あおいが御一行と遊んだのが主に三日目なので、基本的に「ひまわりの髪飾りをつけている時のあおいは日常の中にいる」と考えてよいでしょう。それは映画ポスターの中で夏海がひまわりの髪飾りをつけたあおいの手を引っ張っている(=日常から非日常に連れ出そうとしている)ことからも証明できるかと思います。
また、この映画には度々れんげが「ウチの田舎(≒日常)の絵」としてヒマワリの絵を見せている場面があります。
(ぶっちゃけ原作にもアニメ1・2期にもひまわりはあまり出てこないのです。両者とも村の自然や生物多様性を尊重しているのか「村を代表する生物」は登場せず、そのかわりにとにかくいろんな生物が描かれています)
さらに、あおいの日常を過ごす場である旅館の壁掛けとしてもひまわりが登場してくるのです。これはもう「ひまわり=(この映画における)日常性の象徴」と見做してもよいでしょう。
以上の根拠から、あおいにとって御一行との時間は単なる接客の延長ではなく、非日常の楽しい出来事であったと言えるのではないでしょうか。
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