ついに第11回だよ、やったね。
北海学園大学新聞第14・15号(1955年9月20日発行)見出し一覧
一面
・(祝讃歌)祝開学五周年記念(和田徹三 現代詩人会々員)
二面
・(論説)道内私学との友好を深め/我々の学園を改善して行こう
・新校舎落成記念あいさつ(学長 上原轍三郎)
→空虚の殿堂ではない
・北海道の開発文化の礎―総合学園への構想―(理事長 佐藤吉蔵)
・「大学由来記」―埋れた話二、三(金巻賢宇)
・浅羽・戸津先生の願いー北海学園大学設立記―(大森初太郎)
・学術講演会
→本学後援で
・就職講座中止
・道経済学会本学で
・二十二日に寮祭
・多彩なプロを展開
→●●●祭日程
・本学●●●す
→●●(国際)学生会議
・二部学生大会開く
→自治会結成か
・学生健康保/険制度
→次期国会に提出
・大学厚生補導研/究集会
・札樽学生記者クラブ/本学で開催
・優秀な納入率上/半期の授業料
・(同窓会欄)第三回総会開催
・晴好雨奇
三面
・学園沿革
・本学教授紹介
・北海度の開発事業を促進する/建設機械の現状と将来について(四年 阿部弘)
・アンケート
→保守合同と両派社会党の統一はどちらが先に決るか
→各地で起っている基地拡張の問題をどう思うか
→マンボブームとM+W時代をどう思うか
四面
・(=学園先輩銘々伝・島木健作の巻=)社会主義運動も病魔に屈す
→文学史上画す偉大な足跡
・(家庭訪問記)社会運動もやったよ/学園きっての古ダヌキ
・あの頃の自分と島木健作―ある男の手記―
・図書館利用状況
・海外メモ
・▼ミツバチは時を知るか
五面
・(第二回北海道地区大学体育大会)柔道など四種目に制覇
→総合得点僅差で北大に惜敗
・ペテガリ登行記
・軟式野球選手権
→24、25日中島で
・弓道優勝す
→全道大学争覇戦
・(寸描)●●●●虫 ●口哲朗(T)
・二部山岳愛好会/発足か
・西南学院大に惜敗
→全日本大学野球
・北大を降し/優勝
・学生歌募集
・学生のたまり場?
→お好焼の店なにわ
六面
・開発三題―広川弘禪氏との対談―(池田善長)
・八宗兼学(三森定男)
・(劇団十日会公演)“ほたるの歌”評(日戸輪孤也)
・(文芸時評)戦後派作家の復活(中江三郎)
・(映画)“俺たちは天使じゃない”
・(映画)遙かなる地平線
①二部学生大会開く
開学と同時になんとなく(?)誕生した一部自治会に比べてなんと美しく模範的な自治会のオリジンであろうか。このような物語が本学に存在したことを後世の学友に是非伝えたい。
②本学教授紹介
上部に並ぶ上原学長・相沢教授・池田教授などが代表的だがとにかく北大農、北海道帝国大学農学部出身者の多いこと。戦前の帝国大学はその頂点たる両京のほかに文系学部を置くことを許さなかったためか、戦後北海道の私学に対する道産“文系”人材の供給源は北大農学部農業経済学科が主となっている面もある。北大経済学部の誕生は北海大経済学部の誕生よりも遅いくらいなのだから仕方がないのだけれども。
もしかすると北海学園大学(特に経済学部と工学部)のオリジンは北大農学部農業経済学科にあり、と言えるのかもしれない。
(文理融合の風潮は北海道によく合っていたのではないだろうか)
あと『おことわり』には「服部品吉教授は過去十数年写真を撮ったことがなくまた、今回も撮らせてくれなかったことを附記しておきます●(編)集部写真班」とあるのが面白い。彼は西郷隆盛かハゲだったのだろうか。
③北海度の開発事業を促進する建設機械の現状と将来について(四年 阿部弘)
全文書き起こし……はキツいので今回は(五)まであるうち(二)までを書き起こすこととする。いつか全文を書き起こすつもりである。全ては自分と検索性のために。
(私は書き起こしでもしないと目が滑る多動マンなのだ!よろしく!)
(彼はもちろん俳優ではない)
④(=学園先輩銘々伝・島木健作の巻=)社会主義運動も病魔に屈す
開学からようやく5年が経った本学においてはまだ北海中学校の出身者を「学園先輩」と扱うことに抵抗はなかったようである。むしろ現在と北海高校と学園大が疎遠なくらいなのかもしれない。おそらく単純にあの戦争に向う時代において(当時はどこか神聖視すらされていた)社会主義運動に取り組んでいた人間と自分たちの繋がりを他の学生に学んでほしかっただけなのだろうが。
彼自身については元々北海中学校出身の作家として、当然その存在を知ってはいたが、正直なところ北海高校同様に割と「どうでもよい」ところのある人であった。しかしこの記事を読むと不思議と人物島木健作が伝わってくるもので、没後せいぜい10年くらいの人の話なためか知人家族はだいたい生きているおかげか、「トルストイのむこうをはって西南戦争を主として屯田兵をつかった『戦争と平和』を書きたいといっていました。札幌の風景が東京の出店みたいであったのを大変残念がっていたけれども、それは札幌について書いたものによく表されている」など彼の書き得なかった作品(是非読めるものなら読んでみたい)についての面白い話を知ることが出来てよかった。
⑤開発三題―広川弘禪氏との対談―(池田善長)
個人的に興味深い分野のことなので(4)の冒頭のみ引用する。おそらく『国土軸の旅』に出る前の私であったなら少なくとも(4)の全て、興が乗れば全文を引用していたであろう。
ちょっと意外。
あとがき
11回目なのに11月中に終らず残念だった。ファイブスリーなのに。国土軸の旅の途中ずっとこれを書き終えたくて仕方なかったくらい。