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(#イブサツ)「日本共和党」解説記事

日本共和党は1946年から2013年まで日本国に存在した政党。2008年から「国民党」への改称まで大阪に拠点を置くなど、末期には近畿地方を中心とする地域政党となっていた。

政党としての主張は「(右派)反天皇ナショナリズム」であり、敗戦後の天皇戦争責任論に根ざしていた。
敗戦直後の日本では、近衛文麿(1891〜1975)すら昭和天皇の退位論を主張していたほど天皇に対する戦争責任論が流行しており、日本を占領した米国が共和主義の国であったことから、1946年に復員兵を中心に共和党が成立。GHQもある程度好意的に接していたため、勢力を拡大。

共和党が「反天皇制」に転じたのは、転向した元共産党員で、敗戦直後には昭和天皇に反退位論を進講したこともあるCIA協力者の田中清玄が同党の影の指導者となってからのことであった。この動きにはCIAが今後日本が赤化しないために、反天皇制運動を左翼の手から引き千切る狙いがあったとされている。

日本共和党は激化した東西冷戦の中で、浮いた存在となり、そのため既存左翼政党の手を離れつつあった学生運動の取り込みを図った。その中で、函館近傍の(現)七飯市出身の田中が目をつけたのが、函館出身の(国立)札幌大学生で、全学連委員長となった唐牛健太郎(1937〜2004)であった。
当時の新左翼の中では国際化=国際資本主義化であり、民族自決のための反米独立が標榜されていた。

当時の東亜地方で最も「国際化」が進んでいた満洲では民族統合の象徴として、「北清朝」の愛新覚羅一族が君臨していたし、「国民」を創出したフランス革命ではオーストリア出身の王妃が処刑された。
もうお分かりいただけただろう。民主・愛国・民族自決のために不必要なのは天皇である、とされたのだ。

愛国的反天皇論に対する後押しをしたのが、江上波夫の「騎馬民族征服王朝説」であった。天皇家が実は異民族であるとするこの学説は手塚治虫の『火の鳥』などを通じて人口に膾炙した。
何度かの委員長交代を経て、共和党を掌握した唐牛健太郎は、故郷北海道を地盤に国会でも少数政党党首としての存在感を発揮し続けた。

しかし敗戦から時が経つにつれ天皇戦争責任論への賛同者は減少しぼんやり天皇制に好意を抱く国民が増加。

冷戦終結後の左翼衰退を見据え、ある決断を下した。
それは単なる天皇制廃絶から「政皇分離論」への転向。

平成前半期に実質的には世界最大の経済大国となった日本では無軌道な日本礼賛論が横溢しており、左翼が野呂栄太郎らの「日本資本主義発達史講座」以来腐してきた日本特殊論を反転させ、朝廷と幕府(政治)が分離していた江戸時代が賞賛されていた。

そう、共和党は国民的支持、特に西日本からの支持を得るために天皇から儀式以外の国事行為の役割を奪い、単なる(宗教的)「象徴」として京都に押し込めるというソフト路線に転向したのだ。

平成初期の新しくて柔軟(に見えるよう)な言論を持て囃す風潮も相俟って、この路線は成功した。
ただし、憲法改正や与党化までには至らず、唐牛の死後地盤の弱体化した北海道から大阪に拠点を移したものの党勢は弱まり、東日本大震災以降高まった尊皇愛国的風潮に抗いきれず、国会の議席を大きく減らした。

この危機の中で、手を伸ばしたのが同じく保守系地域系政党であった「大阪維新の会」だった
時に排外的な主張をし、東京への対抗心を燃やしながら天皇制には頓着しない維新の会は、代表が被差別部落の出身であったことから共和党との連携を強め、地方政治に特化した維新と、国政・思想に特化した共和党は2013年に分県道州制・特別市制・政皇分離論を掲げた「国民党」として再出発した。


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