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超マチ○ラ函館2021 ①雨の基坂編(博物三館観光記)

15時半に宿泊先のホテルに到着。
ここは函館駅前電停の目の前のホテルなのだが胆振道の頃からずっと降り続く雨はいよいよ傘なしでは出歩けないほどに強まり、窮した私は仕方なく休憩ということで部屋のベッドの上に身を投げ窓の向こうの隣ビルの壁に視線を遣っていた。

昨年の超マチブラで函館に来た際に店員から聞いた(ような気がする)「朝割」なる夜通し借りて朝に電チャリを返すシステム。
私はもはやこれを利用し夜の(雨足の弱まった)人の少ない函館の住宅街を縦横無尽に駆けること意外の楽しみ方があまり思いつかなかった。



しかし16時過ぎにキラリス函館(函館駅向かいの複合施設。ファミマなどが入居している)内の受付へ行くと、あと1時間しか借りられないが大丈夫かと念を押されてしまった。
どうやら営業時間内の17時半を超えて借りることはどんなプランでも不可能であるらしい。確かにそうだ。
(ちなみに朝割とは本来朝から12時半までの割安プランのことを示す。朝から使えるが故に朝割。夜に使える朝割などあるはずもなかった)

仕方ないのですぐホテルに戻り傘を借り信号を渡り市電を待つことにした。もはや自転車が使えない以上は函館西部地区の普通の観光地を巡るしかない。

元来「超マチブラ」とはこれといった意味があるわけではなく、単に札幌から遠く離れた地でのマチブラを記録するという程度のモノでしかないのだが、これでは劣マチブラではないか、そんな思いが頭をよぎった。
何せこの時点で既に「超マチブラⅡ」の執筆を予定していたためだ。
完全に脇道雨中の赤レンガ倉庫も函館山も五稜郭もガン無視した観光とマチブラ山麓横道記録を是非ごらんあれ。そう言えなくっちゃ意味がない。

16:30にようやく来た車両(函館どつく行・8008チャネルヒカリ号)に乗る。車内には人が多く着席率は7割程度だったが、私の前に並んでいた女子高生らしき私服の女3人組がドア付近での立ち話を選んだため楽に座ることが出来た。


函館駅前電停より西のエリアは車両走行音もそれほど喧しくはなく(札幌市電よりはよほど喧しいが)、乗り心地も車内フリーWi-Fiがあることを踏まえると札幌市電の旧型車両に劣っているということもなかった。
(比較対象が札幌市電しかない)

こうして揺られること10分弱、バス停に似たテンポ(感覚)で現れる電停を見送りつつ谷地頭線との分岐点となる十字街電停(分りやすくてよろしい)の次の末広町電停にて降車。
グーグルマップで資料館系施設を確認、17時頃からこれらの施設が閉まり始めると言う事実を踏まえた上で行程を
函館市北方民族資料館(17時閉館)
カール・レイモン歴史展示館(18時閉館)
旧函館区公会堂(19時閉館)

という順で巡るわっっかりやすい行程を立てた。

この3施設はいずれも徒歩圏内に位置し、その閉館時間連鎖の美しさに惚れ惚れとしてしまったほどである。
しかし実際に北方民族博物館に入ると文学館・北方民族資料館・旧イギリス領事館・旧函館区公会堂の共通パス(4館共通・3館共通・2館共通・単館のすべてが揃っている)があり、しかも全て19時閉館というではないか。
これは嬉しい誤解だった。
やはりグーグルマップなど信頼ならないのだ。
どの館も閉館時間が同じである以上は近い順に巡るべきと考え、3館共通パスを購入した。

いざ北方民族資料館の内側へ。
どうやらこの博物館では「開拓使が収集した資料」、「研究者が収集した資料」、「アイヌの人びとを記録した資料」、「その他の資料」から構成された収蔵品群により成り立っているらしく、当世注目を浴びている国立アイヌ民族博物館などと比べるとどうしても古いタイプの、北方民族から「収奪」したような物を基礎にしているタイプの資料館であり、それでいながら「館長談」というフランクというべきか色々なめているというべきか判別しにくいコラムのようなコメントが多くの展示物の横につけられていたので、どうもちぐはぐな博物館という感が拭えなかった。



ただ、この資料館の建物は元が日本銀行函館支店であったため、幹部用の部屋の多かった2階が日本銀行系の展示が多く、壁のヒビひとつから銀行時代の歴史を推測し想像する展示などもあり、これは実に面白かった。



博物館を出て傘をさし基坂(もといざか)を徒歩で登ること3分ほど、函館市元町末広町伝統的建造物群保存地区(長い!が、これでもこの範囲は弥生町・大町・末広町・元町・豊川町の一部の寄せ集めらしく、これら五町のすべての名を冠していないだけまだマシなのだろう)の曲がり角のあたりに位置する旧イギリス領事館に着いた。17:29のことである。


旧イギリス領事館は幕末から函館山麓に存在しているが、この建物自体はあくまで1913年から20年ほど領事館として使用された後に病院等として用いられたものである。

それ以前に領事館であった建物は近代函館に多発した大火により焼失してしまっている。
もしもこの領事館があの1934年春の函館大火(山麓の民家が発生源で2054名が死亡し札幌に北海道第一の都市の座を譲ることとなった)で焼失していたらどうなっていただろうか。
同年に領事館が閉鎖されていたため(閉鎖の理由が大火なのかもしれない)、もう二度と領事館が建設されることもなかったのではないだろうか。

領事館の門は狭く、そこから見えた建物もどちらかと言えば個人の邸宅のようで、すぐ上の坂の突き当たりの公会堂とは対照的であった。あくまで領事館とは大衆に開かれた存在ではないからだろう。

狭い玄関で受付を済ませて目の前のやや急な階段を昇ると領事館に関する展示がある。
その内容は函館における領事館の役割を説明しつつも焦点は函館市民に親しまれたリチャード・ユーステン領事(在職1868~1880。一時離函期含む)とその家族に当てられていた。


当時の領事官の2階は領事とその家族の邸宅も兼ねていたためだ。建物があまり広くないためか領事の執務室と家族の暮らす部屋が隣接していたりといったような「職住近接」ぶりがやや意外であった。

2階の通路をしばらく進むと「開港記念館」らしいエリアに突入した。この領事館のすぐ近くにペリー来訪の記念碑だったかがあるので納得だ。
このあたりはゼロ年代末にリニューアルしたエリアらしい現代的な展示が目立った。あまり展示物は見られず、視覚的な仕掛けと展示文のみでやりくりしている印象を受けたが、総じて見ていて明るい気分になれる内容だった。

ただ、北方民族博物館でも見かけた30代オタク風の男性をここでも見かけたことにより自分のあり得る孤独な未来を彼を鏡に幻視してしまったのが残念だった。
それほど人の姿の見えない(雨天だもの)時間帯に観光地巡りをするというのはこのような行程かぶりが多数発生してしまうことでもあり、この記事内においてもあと2回ほど発生してしまう。

あっさりと全展示を見終えたので敢えて雨中に領事館のガーデンも訪れることにした。
正門から回り込んだ先にあるガーデンはだだっ広いだけで特に何もなかった。コロナ禍下の雨の日だから仕方がないだろう。



17:52に領事館敷地から出て基坂を登る。ほんの一区画先に公会堂がある、かと思えばその一歩手前に謎の階段パークもとい元町公園が立ちはだかる。
この公園は一般的な都市公園とはもちろん異なり、階段ばかりが目につく割に旧函館支庁庁舎に旧開拓使函館支庁書肆庫に箱館奉行所跡、さらには元町観光案内所(私が訪れた時には閉じていたが)と明治天皇行幸記念碑があるのだからただの前座などと侮ってはいけない。



スロープ付き階段をダラダラと昇った先にカップルとカラスがたむろしていた。ここは函館を代表する観光地であってオタクの来る場所ではないのかもしれない。
しかし、だからこそ自分の行くべきではない場所にズカズカと踏み入る悦びがあるのだ。


眼前に雨天であってもきらめく公会堂がそれを肯定してくれているのだと勝手に解釈してみた。何せここは公会堂で、つまり広く公衆に開かれた場所なのだから。

18:07、公会堂に堂々と入る。ここの玄関は広い。堂々と歩まねば公会堂に悪い。私は輝く黄色に弱くて、好いている。玄関で受付に挨拶をして、背筋を伸ばして傘を畳む。時間はそこそこある。長過ぎはしないが短いということもない。社会性のある観覧をしよう。サクサク無駄なくエッセンスを学びつつ、見る。過去を、現在の展示の方法を。

暖かみのある建物の受付はあくまで親切で、返却型コインロッカーと靴入れの場所を教えてくれた。リュックにはタオルなども詰めこんでいたので大きく見えたのだろう。

玄関の前の通路を挟んですぐ大食堂が広がる。これは確かに広い。函館港のように開かれているホールに感激しつつもあくまで順路には順う。
私とは案外情緒不安定な男で、玄関からすぐ大食堂の偉容を受け容れてしまうと心の寒暖差から雨に少し濡れた身体が風邪をひいてしまいそうだし、1階中央を先に堪能してしまうとその先どこを巡ればよいものか迷ってしまう。一度迷えばどこを見るべきか、全て舐め回すように見るべきか、ただの観光客に徹して大ホールだけ見てさっさと余韻のさめないうちに2階に上がってしまうべきか、迷って少しだけ気を病んでしまいそうになる。
だからこそ順路は必要なのかもしれない。単に広義の博物館(museum)の展示にはほとんど必ず展示目的だとか見せるストーリーのようなものが存在するので順路を設定して動線を誘導するべきなのだという話なのかもしれないが、それでも順路には心を救われているのだ。

順路の存在こそが、函館の人間がある目的のために公会堂内の特定の部屋のみを訪れるという現役時代のあり方を否定し、オタクもカップルも同様の順路巡者というべき存在にしているのだとすれば、順路が公会堂前で私に一瞬疎外を感じさせたカップルと自己のある程度の重ね合わせを演出してくれたということになる。
心が温かくなった私はやはり順路に感謝した。


さて、令和の御代になってから改装を終えた公会堂は豪華絢爛煌びやかな上に最新の技術をも用いているらしく、展示文脇のQRコードを専用のCOCOARなるアプリと連携したカメラで読み込むと立体的な展示文と図が「空中」の浮かび上がり、実物と図を重ね合わせて理解出来るというカラクリもあった。
これは解説をよりわかりやすくするというよりAR自体を楽しみたい人向けであろう。何せ読み込みが遅いしマイナーアプリをその場でダウンロードせねばならないからだ。


大食堂の隣にある大食堂の半分程度の面積の球技室は現在は大スクリーンの視聴覚室のような役割を果たしていた。この手の順路の全行程のうち前半に見せられる映像には感謝せねばならない。
何せ時間を無駄にしていると一切感じることなく椅子に座って身体を休めることが出来る。

2階に上がると芥川龍之介と里見某の対談を聞きに押し寄せた群衆が1000人以上入ったと言われている音楽室があった。「あった。」というより2階が音楽室そのものだったのかもしれない。そう感じられた。


どこか網走監獄教誨堂にも似た音楽室から函館港の見える方向に歩くとバルコニーに出ていた。
雨に濡れたバルコニーに向こうに函館港と先ほどまで歩いていたあたりが一望出来る。
なるほど公会堂に相応しい立地だ。

ここは雨に濡れていない。風も強く吹かない。?雨の中でも船は揺れ車は行き交い人は傘をさして歩く。函館という街の「基」がここに見えた。

(この記事書き終える前にもっかい函館行っちゃったよ)

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