「社会起業家とか眠たいこと言ってんじゃねーよ」発言について考える。
私が参加しているAMPゼミでの議論を踏まえ、改めて社会起業について考えたい。
「社会起業」という言葉を聞くたびに、高校時代に読んだ以下の記事のことを思い出す。
堀江貴文氏のかなり昔のブログ記事であり、主張としては「そもそも社会変革を目指して起業するので、しっかり収益を上げて従業員や株主に報いることが社会貢献に繋がる。従って"社会貢献"をことさらに協調するのは逃げである」とのことだ。
私自身精神疾患や精神障害を事業ドメインに据えており、こういった事業が「社会起業」と形容されることが多く、このあたりの論点について一定の持論がある。
あくまで学術的な知見や主観による議論なため、実態に即していない部分や誤ってる部分もあると思うのでご笑覧頂ければと。
結論としては、”社会起業家”は一つの肩書きでありそういった顔や性質を持っていることが場合によっては社会的、経済的に合理的であるということだ。
但しいわゆる社会貢献性を標榜する企業の間での競争環境が緩く、優秀なライバルも少ないので、あくまで課題解決に真摯にコミットし、環境に甘えてはいないということだ。
社会起業家が取り組む「社会課題」とは何か?
私の考えでは、いわゆる社会起業家が向き合う”社会課題”は以下のような特徴を持っているが故に、一般的な起業家、経営者と自らを区別する必要があるのではないかと考える。(もちろん凄く沢山あると思うので、重要だと思う特徴を上げる。)
①短期的な解決策は一時的には効果を上げるが、長期的にはマイナスになることが多い。
>例えば街の犯罪率を下げたいと思ったとき、厳罰化して積極的に検挙し長期間刑務所に入れてしまうことは一時的に犯罪率を低下させる。しかし彼らが出所する頃には厳罰により、社会で生きる能力が減退しているため再犯が多く発生し、犯罪率は上昇していく。
②様々なセクターの、様々なスタンスを持った主体を巻き込んでいく必要がある。
>社会性の高い課題は、ビジネスに疎かったり、弱者から金を巻き上げるものだと嫌悪感を持っていたりする人々が支えているシステムに潜んでいるケースが多い。これは企業や、(一定合理的な)消費者を相手にするビジネスとは異なる点である。
”社会課題”を解決するために求められることは?
上述したような性質を持つ社会課題の解決には、以下のようなスタンスやリソースが必要である。
①手をつけやすい、マネタイズしやすいという観点で、短期的な解決策に安易に手を出さない。本質的な解決を実現するために、必要なリソースを調達し(例えば長期に渡って研究開発投資を行うための資金的な体力である。)持続可能なシステムを構築することで、重層的に織りなす複雑な課題を解決する戦略を描くこと。
②社会貢献としての顔や、株主利益を追求する経営者としての顔を合わせ持ち適度なバランスを保ちながら適切なステークホルダーを巻き込んでいく。
社会起業であることの合理性
基本的には引用したブログの通り、利益を上げられず小さくまとまっていることの”言い訳”として社会起業を名乗ることに意味はないと思う。しかしながら上述した事情を踏まえると、社会起業であることの合理性は幾つかある。
①社会性という新たな評価軸によって、長期的な投資や収益性の低い解決策の選択という財務諸標的な評価ではマイナスとなる事象が言ってみれば「社会性プレミアム」のようなものによって合理化される可能性がある。
>一般的な企業は、高い収益を上げることで研究開発への投資を合理化しているが、社会起業であれば合理化のために要求される水準が低くなるということ。(メルカリの赤字が叩かれているように、一般的な企業でも上場すれば利益を求められるのでなおさらこの点は重要である)
②企業として複数の顔を持つことができる。
>上述したようにパブリックセクターとのコラボレーションに際しては、重要な側面である。
社会起業に対する批判
以上社会課題を解決するという観点において、社会起業というブランディングの経済合理性を見てきたところで、社会起業に対する批判に答えたい。
サイバーエージェント社長 藤田晋 氏「この世代は社会起業家が増えているというが、その前にすべきことがあると思う。ビル・ゲイツのように死ぬほど稼いで社会に貢献するというなら分かるし、自分もいずれそうありたいと考えるが、経営者として事業を大きくすることが今の目標だ。長く経営者として責任とプレッシャーと闘っている私からすれば、社会起業家はそうしたものから逃げているように見えてしまう。」
元マイクロソフト社長 成毛眞 氏「もし仮に景気がよければ、社会起業家にはならず、今も外資金融やベンチャーに在籍しているはず。本人たちは、社会起業家としての社会的意義や使命について何ら疑うところはないし、心の底からそれを信じているのだろうが、私に言わせれば経済で先行きが見えないから、別の方面に関心が向かっているだけなのだ。」
マネックスグループCEO 松本大 氏「厳しいことを言えば、自己の満足という点で、それ(マッキンゼー→ボランティアなキャリアの人)は長続きしないと思う。私は有限なリソースを集中して掘っていくべきだという考えで、自分が決めた仕事や業種に徹底的にこだわって、そこで成果を出そうとする。」(東洋経済でサイバーエージェント社長らに社会起業家がおおいに叩かれている件について より)
要するに社会起業家は、一定の経済的な競争から逃げたぬるい集団で、資本主義的な競争の方が結果的に社会貢献になっているという皮肉な結論ということだ。
概ねその通りであるが、社会課題の解決への真剣さやコミットメントの高さ次第であると考える。また社会貢献性をマクロ的な経済効果の絶対量では測ることはできず、ミクロで本質的に問題を解決できているかが重要である。(途上国への資金援助や物資援助が害悪になるケースが典型例)
結論的には、名だたる経営者の議論は少々乱暴で、議論の解像度を上げると社会起業というものの本質が掴めるはずだということだ。
終わりに
批判に対して「外野の意見」と切り捨てるのは簡単で、なんの進歩もないので真摯に向き合っていくスタンスでいきます。