ヨガこれまでのまとめ:小気づき
祝:ヨガ再開4か月目
ヨガを再開してからそろそろ4か月目に突入する。100日近く朝晩欠かさず、は、なかなか立派だ。エライ。
狭い間取りの我が家で、それなりのスペースを使っておっさんが体操するのは家族にとってはメーワクなんだろうな、とは思う。一度始めると10~15分はかかるし、リラックスの時間とか邪魔しないように、と、それなりに気を遣うだろうし。一番下の娘ちゃんは一緒にやりたがるので強い味方だが、それもいつまで続くか分からない。
それはさておき、ヨガを再開するにあたって、意識したのは、まず「体操」として取り組むこと。そして、資格取得を目標にすること。でした。
以前ヨガをやめてしまった理由
ヨガを初めて習ったときは、「瞑想」を中心にとらえていて、よい瞑想をするためのアサナ(体操?ポーズ?)という考えがあった(多分それはそれで正しい考え方だとは思う)。精神>肉体という考え。ヨガをすることで、自己認識が深まり、違う自分になれたり、本当の自分が発見できる、なんてことが起こればいいなあ、という下心丸出しの。だから、毎回瞑想に入る前のアサナは何か余計なものに感じられることもあったし、あまり真剣にやってなかった。元々体も硬いし、運動も得意じゃないし。そして、何も変わらないな、とやめてしまった。
ただの「体操」として。でも、続けて気づいたこと
そこで、今回はそういった大それた目標(精神がどうとか、本当の自分が、とか。もうそんな中2みたいなことも考えなくなったし)は置かずに、健康のための運動、体操というライトなとらえ方で初めて見ようと思った。それが功を奏してここまで長く続けられた訳だが、今朝はちょっとした発見もあった。多分言葉にしてしまうとなんということもないことだが、実際に体験することで納得できることもある。
バランス系のポーズの場合、余計な事、特に不安に思っていることとか、今日やらなければいけない厄介な仕事とか、そういったことが頭に少しでもよぎると、途端にふらふらし始めて、力で無理からポーズを維持しなければならなくなる。要は、心と体は密接に繋がっているという当たり前のことだけど、そのつながり方が、本当に微妙なバランスの上に立っていて、ほんとにちょっとしたことでそれが崩れるんだな、ということ。車の免許を持っている人ならわかってもらえると思うけど、高速で、どちらかに曲がりたい、と思うだけで、意識的にハンドルを切ってないのにそっちに曲がっていく、っていうあの感覚に似てるかも。ふっとよぎっただけの不安、怒りとか、そういった負の感情は多分体の姿勢に現れるんだと思う。精神的に自分をコントロールできるようになれば、きっと背筋が張った美しい佇まいになるんだろう。そして、逆に正しい佇まいを心がければ精神的に自分をコントロールする鍛錬に繋がると思う。それが、今朝バランスを崩して腹筋でなんとかポーズを維持しながら気づいたこと。腑に落ちるとはこのことだ。あんまり上手くない?
資格取得
資格を目指す、に関しても、やっぱり、「精神>肉体」・「精神>物質」的な考えのアンチテーゼとして。粗末な衣をまとって木の下で瞑想するイメージではなく、スポーティな恰好でおばさまたちに教えるイメージ。あわよくば、それで稼げないか、とか。いずれにしても、人に教える方が自分の上達も早いことは間違いないし。
まだそのための軍資金調達のメドは立っていない(奥さんの説得のメドも立っていない)が、タイミングが合えば迷わずやってみたいと思う。通信はなんとなく自分には合ってない気がするので、コロナ後と言わず、適当な教室を探します。とりあえずnoteで記事探してみようかな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?