神友たち。
昨日は中高の親友2人に久しぶりに会うことができた。
2年ぶりくらいだろうか。
相変わらず会うと心が落ち着くし、どうしようもなく笑いが込み上げる。
私の青春はここで作られたし、私はここで強くなったんだなって、久しぶりに実感した。
ランチを食べ、それぞれが食べたいスイーツのお店を回り、最後にコーヒーを一杯。
面白い。
大学生の友達といる時は、本当に食べたいと思わないお店でも一緒に入ってしまうことがあったり、合わせることもあったけど、昨日は違かった。
私がたい焼きを食べたいと言ったら、友達はアイスを食べたいと言った。
そうしたらもう一人の友達がコーヒーを飲みたいと言った。
私はコーヒーが飲めないから、コーヒーは飲みたくなかったし、アイスはお腹が冷える。
そしたら友達は「じゃあ私、あそこのコンビニに入ってくる。」って。
いやいや、なんて自由人なんだ。
って思ったけど、もう一人の友達は「いってらっしゃい〜」と言い、ゆったりとコンビニの外で待っていた。
そこでハッとさせられた。
人間こんな自由でいいし、その自由さを待ってられるってスッゲェな、って。
協調性が重んじられるこの世界の中で私はその窮屈な社会に閉じ込められそうになっていた。
人が自由にしようとしているのをツッコミを入れて制限していた。
そんな気がした。
一緒に時間を過ごしているから同じことをしなきゃいけないなんてことはない。
用意周到に予約を取っておくとか、事前に店を調べておくとか、時間管理するとか
そんなの考えない時だってあっていいじゃん。
もっと目の前で起こる出来事に対してどしっと構えて、「いってらっしゃい〜」って見送りたい
コンビニに入った友達はコーヒーを買って出てきた。
私はたい焼きを買った。
もう一人の友達はアイスを食べた。
三種三様。
好きなことを尊重し合って街を歩き回る。
成長したなって思った自分を細い針でチクっと刺されたような
膨ら続けていた風船が膨らんでいる途中の風船を見て、いいな〜って羨ましそうに見つめているような、
なんか成長する前の自分の自由さがとても懐かしくなって、いいなって思って
別に友達が成長してないって言ってるんじゃない。
全くそういうことではない。
でも、なんか自由に行動している友達たちが羨ましくなった。
取り繕わないで自然体で、輝いてて
自慢しないでお互いを尊重していて
そんな姿を見て私は言葉が出なくなった。
だからケーターで写真を撮って誤魔化していた。
でも本当は二人が羨ましかった。
楽しそうに夢を語ったり、お互いに今までやってきたことを褒めあったり。
あぁ、文章にしてやっとわかった、
私は羨ましかったんだ。
成長したと思ったのに。
なんだかいつまでも追い越せないような、そんな気分になった。
でも、本当に会えてよかった。
あれが私の青春だって胸張って言える。
だってあんなに美しくて輝かしくて素敵な友達たちなんだもん。
親友を超えて神友。
私ももうちょっと羽を伸ばさなきゃ。
ありがとう。