「主体的な学び」の「主体的」ってドユコト
昨今よく聞く「主体的」
主体的な学び、主体的に取り組む姿勢、生徒が主体的に勉強に励む。。
色々な単語に何かと頻繁に、くっつけられた単語のような気がしてなかなか腑に落ちなかった。
なので、今回は徹底的に「主体性」(主体的とほぼ同義なので…)というものを調べ上げてみてやろうというそんな回です
「主体性」という言葉の意味を調べてみて一番に出てくる結果がこちら
と少し拍子抜けな回答が来てしまった。
その主体的、ってところが知りたいのよ。
しかも意味の説明で ”そういう性質”って…本当に説明する気あるのかい。というようなキモチ。
まぁ、気を取り直してまだまだ何万とある「主体性」についての記事などを漁ってゆくことにした。
次にヒットしたサイトでは、
なるほど、つまり、自分なりに解釈すると、
道なき道を自分の意思によって切り開き、それに対する責任を持つこと。
ということなのかな。
提示されている選択肢の中から進んでいく道を選ぶというよりかは、新たな道を導き出して、その選択にも責任感を持っていくというようなニュアンスを感じる。
なかなかハードルが高そう。
さぁここで文部科学省の出番です。
22年度から実施された新しい学習指導要領にある「主体的な学び」というものをこう説明しています
ここにはあまり、責任感については記載されておらず、どちらかというと、学びへの意欲と諦めない力が強調されているように感じる。
上の説明よりもより低次の課題のようなところに目を向けた話のように感じるが、私的には確かにここがなければ「主体性」というものを説明できない気がする。
では、次に少しベクトルの違う回答を紹介する。
なるほど、主体的な学びというものは、段階を経て構成されるものであり、やはり初歩としては、課題をこなしていくことからその習慣は形成されていくという考え方。
はて、ではこれを成績として点数などで評価できるのかと言われると…
うーん、頭を何週間抱えても答えがでなさそうだ。
次に少し英単語を混ぜて。
わぁ〜いきなり難しくなった。
でも、結局文部科学省の説明していることをよりスリムにした言い方でもあるような気もする。
特に二文目のところがいい。「主体的」という単語の中にある「主体」という部分が行動する本人のことを表しているということを気付かされるそんな説明だ
まだまだたんと記事はあるが、全部かいつまんで行くには時間と尺がもたないので
ここまで5つほどの「主体性」の意味を見てきたが、全部をひっくるめて私自身の思う「主体性」についてまとめたいと思う。
(多少強引だが…)
では、生徒が「主体的」に学ぶことのできる授業をやりましょうとなった時、
どんな授業をしますか?
主体性は数値化できますか?
挙手の回数や発言数だけで測れますか?
いいや、きっともっともっと表に現れない低次元的な、より瞬間的なそんないく数万もの絶妙なタイミングに生徒それぞれの主体性が表れているタイミングがあって
それを伸ばすための余白を私たちは言葉で埋めてしまっているのかもしれない。
そう、つまり「主体的な学び」=「余白のある学び」ってことなんじゃないか?!?!?!
おおおおおおおお
なんか閃いてきた。
ピカッときたよ、なんかいいよいいよこのカンジ!!
生徒に考えさせる時間を作る、瞑想みたいな、なんか自分の今と対話するための空白じゃなくてあくまでも余白。
空白だと問うものがない。
人間には考え続ける必要があってそのためには「問い」が必要。
だから、私たち、特に教員は教室に、クラスに、授業により余白を作る必要がある!!!のではないだろうか!!!
みなさんの思う「主体的な学び」とはなんでしょう。
そして自主性と主体性の意味の違いは?
independent? agency?
名詞?動詞?形容詞?
よかったら、ディスカッションしましょう、私からもどんどんみなさんにアプローチしていきたいと思っておりますし、もしろんオファーも是非是非お待ちしております笑