田中英寿とその夫人に捧ぐ
田中英寿の奥さんが亡くなったらしい(12日)。彼女はちゃんこ屋の女将で、長年公私ともに田中を支えてきたとのこと。
田中はそもそも、日本大学の創業者一族とは全く関係のない、一学生であった。この辺は創業者一族の世耕参院議員がいまも運営に携わり、偏差値や規模が近い近大とは違う。
田中は、血縁という権力収奪に頻繁に用いられてきた強固な関係を用いずに組織の中で昇りつめた。それには当然、彼のカリスマ性や暴力を背景としたゆすり、たかりもあったであろう。だが、それは田中の本質的部分とは言えまい。私の見方は、田中は時流に、いわば受動的にのることであの地位に着いたというものである。思えば彼は学生時に学生運動が盛んになり、その鎮圧役を率先して引き受けることで理事とのコネクションを築いた。理事になってからも建設業界やヤクザ、角界とのコネクションを背景に大学運営を掌握し、その影響力はスポーツ業界を通して政界にも及んでいたという。彼は権力を手にした。財も手にした。だが、彼は例えばどこかの独裁者のように悪趣味な豪邸を建てたとか、女遊びを派手にしたとか、そういう話は管見にして聞かない。不動産をいくつか所有しているらしいので、家は当然ある程度金をかけているのだろうが、それはおよそ豪邸と呼べるほどではないだろう(それだったらもっと報道されてよい)。女遊びはおろか、彼はその亡くなった夫人に一途であったと聞く。また、その夫人の葬式に関取など角界の要人が多く来たというから、かなり慕われていたのだろう。
また、壮大な野心も無い。例えば日大中興の祖である古田会頭のように、私学全体の改革を行ったわけでない。
印象的な話がある。かれはタックル事件の際も、マスコミに取り囲まれるまでパチンコを打っていたらしい。彼ほど富裕な人間が、豪邸も立てず、女も取らず、やってたのはパチンコという、一般的には平凡なサラリーマンが嗜むような遊戯である。
ここで、私は田中の一連の犯罪が、保身の結果であり、現状維持と彼の理事就任以前からの癒着の踏襲によって偶発的に起きていたのだろうと考える。それがタックル事件をきっかけに、世間の耳目に触れてしまった。
ロラン・バルトは、パチンコについて以下のように語る
「パチンコは、集団的で、しかも一人ぽっちの遊びである。機械は長い列をなして並べられている。自分の絵画の前に立ったお客は、おのおの自分だけで遊び、隣の客など見もしない」
集団的でありながらその行為自体は孤立した状態で行われ、目の前に表示される絵画(モニター)や玉の挙動にみみっちく反応するこの電子的遊戯は、ある体制の中でその地位を受動的に獲得し、それを維持し続けんとする田中のこれまでそのものではないか。
「命令的で、無意識的で、愛情のこもらない言語活動、吸打音(クリック)の連打だ。」
(ロラン・バルト「テキストの快楽」)
田中にとっての日本大学の運営は上述の意識のもとで執り行われたのではないか?
田中の言葉に、こんな名言がある。
「頭では東大に勝てない。だが、数と喧嘩ではうち(日大)は負けない」
学歴コンプを発症させた畜群的言動と笑ってはいけない。これは、きわめて戦後日本的な現場主義、モーレツサラリーマン主義に基づいた言動であると思う。実際、古田以降の日本大学は、「サラリーマン養成所」と一部に揶揄されるほどに、そのカリキュラムを実学的、商業的なものへ変化させた。そして田中もまた、この構造に自身を投影したのだと考えられる。だから彼は大学運営者ではなく、あくまで仕事人間的に目の前に仕事に従事したのだ。その仕事には、犯罪や一見卑怯な自己保身も含まれていた。
田中の大学運営はサラリーマン的であり、その余暇もまたサラリーマン的な遊戯であるパチンコへ向かう。
田中は検事による取り調べで、以下のように受け答えたという。
検事「また事件を起こしたことをどう考える?」
田中「まぁ結果その通りじゃないですか」
検事「脱税に厳刑が科されているのはなぜだと?」
田中「あまり考えていません」
あまりにもあっけないこの受け答えもまた、淡々と受動的にハンドルを回し続けるパチンコを思わせる。
これは決して田中をおちょくって書いているわけではない。
この意識は、日本大学に通う人間に共時的に埋め込まれた感があるからだ。田中もまた日本大学の一員であったのかもしれない。
ところで、そんな田中は夫人には頭が上がらなかったそうである。
「田中前理事長は奥さんに頭が上がらない。特捜部が奥さんの立件を口にしはじめると、あっという間に陥落したそうだ。」
これは田中が逮捕された際、日大相撲部の関係者がメディアに語ったものである。夫人の経営する阿佐ヶ谷のちゃんこ屋では、盛んに日大理事関係者が訪れ、夫人に気に入られた人物から出世していったという。
田中の大学運営は受動的なものであった。
それは、何に基づいて受動的だったのか?夫人に対してである。
日本大学は、近大のような同族経営ではない。だが、夫婦という、一族より内密な種の関係により維持されてきたことが、上のエピソードから伺える。
「相撲取りはごっちゃんですでいい。そういう世界だ」
田中は大学運営についてこのような角界でのルールを優先し、人事や大学施設の建設に徹底して彼のいう「相撲道」の精神を持ち込み、公的な手続きを拒んだ。だが、相撲では土俵に上がることすら許されない夫人の意向は、強烈なまでにそこに反映された。
近大理事長を代々務めてきた世耕一族の関係は、親子や兄弟という血縁の関係である。かれらは生まれつきその関係を結んでおり、その地位は偶有的なものである。一方、田中夫妻の関係は夫婦であり、それは婚姻関係を結ぼうという意思に基づく、能動的なものである。ここに、田中による大学運営における殊勝さがある。能動的に結ばれた関係だからこそ、人は自身の意思を否定することができず、その関係は場合によってはより強固なものとなる。
バルトはパチンコの、意思決定性(彼はこれを「性行為」とよぶ)の薄さに注目している。
「日本の遊び手の場合は、玉の弾き方によってすべてが決定される(中略)パチンコの玉の進路は、弾くときの一瞬の稲妻によって宿命的に決定される」
田中による犯罪は、つまりは宿命的に決まっていたのかもしれない。
古田以降の日大の運営方針、1999年、田中が日大理事に就任する以前から国家により進められていた大学経営の大綱化、いや、それ以前、田中が相撲の能力を認められ、日本大学へ入学した1965年から。
田中はその後、相撲部のあった阿佐ヶ谷にて夫人と出会った。
これらの要素がなければ、田中の逮捕はなかったといえる。
田中はこれまでの過程において、宿命的に、だが能動的に金と権力を得た。
「数十円ほどの元手で遊び手は象徴的にだがお金のしぶきを一瞬にして浴びることとなる。そのとき、人は理解することとなる(中略)一挙に遊び手の手に満ち溢れてくる、お金の玉の欲情の大決潰を」
田中はこの大決潰を、その真ん中で体験しながらも、責任を認めなかった。いや、認めることはできなかった。それは、彼の婚姻という能動的な行為が遠因となって引き起こされたためである。彼は、いや夫妻は自身の選択の愚かさに気づいたかもしれない。だが、それは宿命的でありながらも、自身を形成する意思の結果でもあった。
田中夫妻がちゃんこ屋の密室にて取り仕切っていたのは、権力構造と一時的感情に基づいた、意思決定とも呼べないような談合であった。それは、そこにおいて来客へ向けられる、夫人の感情に基づいていた。
田中による采配は、これに対する受動的な決定であった。バルト的にいえば、この夫妻には「いかなる性行為も存在しない」(事実、夫妻には子供がいなかったという)。
田中は、能動的に結ばれた夫人の意志に対し、受動的に接し続けたといえる。
田中征子さんに哀悼の意を表し、一日本大学OBとして田中夫妻にこの文を捧ぐ