20230226_0304週報:ナスの焼き浸しはほぼポテチ、優しい断罪としてのガセビアの沼
・「野菜なら毎日食べてる、フライドポテトを欠かさずね」みたいなジョークはよくあると思うんですが、いくらジャガイモでもフライドしちゃったらいくらなんでも太りますぜという話で。あれを食べ続けて健康になるわけがないのだ。
・同じ観点でいくと、ナスの焼き浸しもかなり微妙な気がする。
・なんせナスが油を吸う吸う。あいつら凄い。好きなのでよく作るんですが、ちょっと引いちゃうぐらいに油を吸う。
・日本版の『スーパーサイズミー』があったとしたら、大トロの寿司とか唐揚げとかブリ照りとかを大量に食べるんだろうけど、付け合わせの「野菜のはずなんだけど不健康」枠としてはナスの揚げびたしが筆頭になるだろう。その結果としてしっかり太る。
・ていうか、いくらお出汁で和風な味付けだとは言えあんだけしっかり塩を油が入ったらジャンルとしてはジャンクフードなんだよな。多種多様なポテトが期間限定でコンビニで並んでるんだから、その流れで多種多様な味付けのナスの揚げびたしが流行ってもいいのではないか。
・ナスもジャガイモと同じで素材としては主張しない味なので、たぶんどんな味付けでも美味いと思われる。フライド=オナスがジャンクフードとして流行するのは間違いないだろう。ビジネスチャンスである。
・と思ったけど、ナスはジャガイモと比べて栽培コストが高いという事情があるのだろうと思った。ノービジネスチャンス。
・というか、ジャガイモより栽培が簡単な植物を見つけるのが難しいんだろうな。『オデッセイ』でも生き繋ぐためにとりあえずジャガイモ栽培してたしな……。
・そんなわけで、なるべく油を吸わせない方向性でナスの焼き浸しを作ることを検討しているんですが、その点はフライドポテトの方が油を使わずに温風で作るものがあるらしく、かなり先を行かれている。強めのノービジネスチャンス。
・Fatboy Slimのインタビューが流れてきたので読んだ。
・「新しい技術なんて取り入れてる暇はない、古い技術についてすらまだ全然掘り下げてないんだから」という旨のくだりがかなりよかった。
・なんていうか、ここんとろずっとの傾向として、新しいフレームワークやら新しい技術が出てきて「これはすごい!」「ここが凄い!」なんていう風に盛り上がるんですけど、その中でずっと定着したようなものってあまり多くない気がする。新しい技術を作るために使われた技術を腰据えて把握していく方が長い目で見るとずっと効果的だったりするのだ。
・Adobe CCでたびたび追加される謎機能、ほとんど使ったことなかったりするし……もちろんいい機能もあるんだけど。
・このコラムにおいて、その「古い側の技術」としてあげられてるのは、TB-303というシンセである。調べると40年前に販売されたものらしい。
・40年前に出たものでいまだに現役で人気のものって、無くない?
・かっこよすぎワロタ。303だって革新的な楽器だったし、Fatboy Slimだって革新的なジャンル開拓者なのも鑑みるとかなりカッコいい。
・うーん、シンセ欲しい。欲しさの高まりを感じる。
・今の職業的にはかなり難しいんですが、こういう0→1の仕事をできると本当に格好いい。取り急ぎFatboy Slimを見習うなら、古くて現役の技術を深堀して理解することが重要である。
・今でもトリビアの泉の復活を待っている。あれが一番面白いテレビ番組だったと思う。
・「これってトリビアになりませんか?」の精神でどんなことでも試していきたいし、しょうもない気付きだってトリビアだと思って大事に思っていきたい。
・一方で、番組に取り上げられることだけを目的にした嘘のトリビアは本当にカスである。どこがどうカスなのかはもうあまりに自明なのでわざわざここで説明なんてしない。申し訳ないがカスである。今風に言うとフェイクニュースだろう。
・そのカスが増えすぎた結果が「ガセビアの沼」だった。
・「ガセビアの沼」は番組の後期に出てきたコーナーで、嘘のトリビアを断罪するコーナーであった。そのトリビアが明確に嘘であることのファクトチェックの経緯も併せて、面白おかしくVTRにして紹介し、最後は必ず綺麗なお姉さんが様々なシチュエーションで「うそつき」と言う動画で〆るのがお約束のコーナーであった。人によってはこのお姉さんの「うそつき」目当てで見ていたことだろう。
・当時は何となくで笑って観ていたが、あれには明確に「このネタはさんざん送られてきてるけど、もう嘘だから送ってくんなよ」というメッセ―ジであり、抑止的な意味合いもあったのだろう。実際に効果があったかどうかについては制作側しか知りえないが。
・さて、検索エンジンやAIは、引っかかることだけを目的としたカスみたいなフェイク情報が多い。ここで、ガセビアの沼のような昇華は発生しうるだろうか。
・Twitterで、他人の発言のスクショを貼り批判する行為がままある。あれはまぁ、個人が個人に対してやっていることなので、それぞれ個人の責任の範囲では好きにすればいいのだが、これが仮にTwitterの運営が「本日の凍結対象者はこちらです……」と言ってスクショを貼って投稿していたとしたらどうだろうか。
・あくまで想像するしかないが、かなり反応は厳しいものになりそうだ。きっと「そんな内容で凍結するなんて厳し過ぎる!」だとか「そんな内容で凍結するならこっちはどうなんだ!」とか、そういった問い合わせが殺到してすぐさまパンクするだろう。
・TwitterやGoogleなどのプラットフォームだと、悪意を昇華することが難しいのだ。なぜならTwitterには八嶋さんや高橋さんもタモリも居ないし、「うそつき」と言うおねえさんも居ないから。
・コンテンツではなくプラットフォームだから、何かについて好き嫌いを述べる時に、より高次元な基準(例えば法とか道徳とか倫理とか)によって妥当性が担保されていないと、許されないのだ。
・逆に言うと、コンテンツは違う。より個人の好みに近い基準で「これはあかん」と言うことができる。「もうこんなんおもんないから送ってくんなや」と言うことができるし、そこまで直接的じゃなくても、ガセビアの沼みたいにオモシロ可笑しく編集して示唆することが可能になる。
・しかし、個人の意見を排除した正しさを求めるのがプラットフォームなのだとしたら、完全に究極的に正しいプラットフォームなんて絶対に存在しえないことだってまた理解できるわけである。
・ならばTwitterやGoogleだって、「うそつき」と責めるおねえさんを用意してもいいんじゃないのか。断罪される側も思わず笑ってしまうような優しくて面白い断罪する方法を模索してもいいんじゃないだろうか。誰だって間違いはあるのだから。
・ちなみに僕が一番好きなガセビアは「ペットボトルに水を入れて置いておくとネコよけになる、というのはガセ」である。猫も馬鹿じゃないので全然慣れて問題ない、という身も蓋も無い結末が好き。
・今週は気温差と気圧差で何かと疲れた。また来週よろしくお願いします。
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