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公聴会が終わったら一息つけるかなと思っていたけど、なんだかんだ忙しい。
奨学金免除申請書の作成とそれに際した書類集めや、勤務先の決定に伴う新居探しとその手続きなどなどなど。後者はわくわくを伴う忙しさ。

4月からについて、期待と同じくらい不安もある。同期との入社前の食事会などを経て思ったことは、年々新しい環境に慣れるのに時間がかかるようになってきたなということ。スッと溶け込める人が羨ましい。


研究だけを考える生活が公聴会を機に終わったわけだけど、なんだか心が軽くなっていて、最近はとってもラクーな気持ちで続きの研究に取り組めている。(博士進学したてのD1の頃の気持ちに似ている。)
ドクターでの年数を重ねるにつれ、常に結果を求められるヒリヒリした気持ちが気づいたら隣にいて、無意識に自分を追い詰めていたのだろうな。

不安や緊張感は必要なものだと私は思っている。無さすぎるとだらけるし、有りすぎると胃が痛くなるもの。ちなみに今は絶賛だらけている。
これらとの上手い付き合い方見つけるのが難しい。でも博士課程のおかげでそこら辺は上手になったはず(…?)

研究をしている今の気持ちが最高で、これを感じちゃうと「ずっとこのままやっていたい」と思う。4月からは仕事(の研究)がメインになるけれど、土日や就業後に今の研究を続けていきたい。どこまで実践できるかわからないけど、できるだけやってみる。

たぶん、どんなに辛くても、D2のあの頃以上に大変な気持ちになることはないはず。
それとも、辛さの更新がされる機会があるのだろうか。あるのかもしれない。


久しぶりに研究集会に参加して、研究者の人たちと交流する機会があって考えたこと。回り道や、余白をたのしめる価値観を持っていたいと思った。

きちんと並ぶ文化であったり、ルールをきっちり守る人が多いのは日本のいいところ。だから比較的安全な国なのだろうし。でもたまに、「こうでなきゃだめ」という空気感を苦しく感じる時もある。きっちりとゆるさのいい塩梅ってどこだろう。

自分が人として好きだな、魅力的だなと思う人って、ちょっと変わった独自の感覚や背景がある人が多い、気がする。一つのコースを堅実に真っ直ぐ進むこともとても素晴らしいけど、同じくらい、じぐざぐに進んだり、回り道だけど新しい道を見つけることも素晴らしい。どっちにも良さがあるよね。

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