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オリンピック開催の今の時期に観直して欲しい傑作。『炎のランナー』(1982)

佳境を迎える2024パリ・オリンピック

いよいよ2024パリ・オリンピックも佳境を迎えつつあります。
仰天の開会式から始まり、日本選手のメダルラッシュや、本命競技でのまさかの敗退など、今大会も悲喜交々、協議を通じて多くの筋書きのないドラマが展開されています。

そんな選手たちの頑張りは、観客である私たちにも多いな感動をもたらせてくれるのですが、意図ないと思いますが、競技の見せ方に演出的なものを感じてしまう部分があります。

巨大な利権が集まる集まるオリンピックという大会

莫大な放映権料を資本としたIOCの巨大利権。
それに群がるマスコミ各社。高い放映権料を支払っているのだから、放送局側も見てもらわなければ大赤字だ。そけだけは避けようと、各局は、スポーツ番組やニュース番組だけではなく、バラエティ番組までタックを組んでの大騒ぎ。選手の頑張りとは別のところで、一瞬覚めてしまう自分がいるのです。

商業至上主義は1984年ロス五輪から始まった

思い返せば、こういったオリンピックの、エンターテイメント化は、1984年のロサンゼルス・オリンピックから始まりましたね。

開催都市の費用軽減を目指すという建前のもと、この大会から放映権料が高騰し、入場料制が導入され、オフィシャルスポンサーのスポンサー料も値上げされた。商業主義のオリンピックがここから始まりました。

大会開催期間も、テレビの市場が最も大きい米国のゴールデンタイムを中心に行われるようになり、これは、以降の大会にも引き継がれることとなり、この季節に合わせると競技するのに気温が高すぎるという選手に厳しいスケジュールになることもあった。

1964年の東京オリンピックの開催は10月10日で、このころは、まさに本当に選手ファーストの開催が行われていたのだなと思います。

競技する選手たちも、応援する国民も、報道するマスコミも、なんだか長閑だった記憶がある。
もちろん、選手たちの熱い気持ちは伝わってきたのだけれども、変に煽らない、煽られない雰囲気があった。

もちろん、その頃の大会でも、開催都市は国の威信をかけて開催するわけだから、国を挙げて、その大会のドキュメント映画を作ったりしていたのだが、今のように、あからさまに見え感じる商業主義的なものはあまり感じられなかったものだ。

オリンピックは、己の肉体と精神をどこまで高めることができるのかという崇高なもの。
そこに、金の匂いは感じないのが本来の姿であるはず。

オリンピックの本来の姿を描いた傑作『炎のランナー』(1981)


1981年に制作され、日本では1982年夏に公開されたイギリス映画『炎のランナー』に、僕が言いたいことがすべて詰まっている。日本公開時には、『心に希望を、かかとに翼を持った若者たち・・・』というよくできたキャッチコピーをつけて公開された本作。

1924年のパリ・オリンピックを舞台にして、ユダヤ人であることで様々な嫌味や妨害を受けつつも栄光を掴む、ハロルド・エイブラハムと、神に近づくために走るキリスト教伝道師である、エリック・リデルという実在した二人の人物を主人公にした物語。

この二人は、お互いライバルであるのだが、走る目的はそれぞれ違う。

オリンピックの理念とは

その二人が競技に打ち込む姿勢は、俗な部分が垣間見れる現代のオリンピックとは明らかに一線を画し、クーベルタンが唱えたオリンピズム=オリンピックの精神「スポーツを通して心身を向上させ、文化・国籍などさまざまな違いを乗り越え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって、平和でよりよい世界の実現に貢献すること」を見事に体現しており、表現できている。

ライバルであるエリックの手を挙げ祝福するハロルド

この年のアカデミー作品賞の本命は、『レッズ』か『黄昏』かと言われていたのですが、その2作に比べ、比較的地味な作品である本作が最優秀作品賞を受賞したのは、スポーツマンシップとオリンピックに関しての良心の表れであったと、今は思う。


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