もう四十九日なんだね・・・まだまだ心が落ち着かいよ。元気にしてる?
親友の死を、すっかり受け入れることができた……と思っていたのに。四十九日を前にして、突然、悲しみが込み上げてきた。
理由は分かっている。なぜか、無性に聴きたくなった2016年のUSJのBGM集を、今、ふと、聴いてしまったからだ。
彼女とは、USJで出会い、一緒に週末を過ごした仲だった。だから、この2016年に流れていた曲の数々には、彼女との思い出が詰まっている。一つ一つの曲に、あの日、あの時の記憶が重なって行く。
何だかんだで、出会ってから5年間の付き合いだった。
今年のクリスマスには、またUSJで会いたいね~と、話していた。
コロナが落ち着いたら、海外旅行に行こうね~と、話していた。
将来の夢に向かって、お互い、一歩一歩、確実に歩んでいた。
でも、彼女はもういない。
あんなにワクワクした曲が、今はとても悲しく聴こえてしまう。思い出自体はカテゴライズして記憶できても、感情は上書きされてしまうのかもしれないと思った。この上書きされた感情は、ずっと続いてしまうのだろうか。それとも、また新たな感情が上書きされるのだろうか。いずれにしても、もう、悲しい思いはしたくない。
娘さんと、年末に会う約束をしていた。彼女の形見を分けて頂くためだ。私が最後に彼女と会った時に、彼女が身に付けていた天然石のブレスレット。写真にも残っていて、私の記憶にも残っている。「年末になったら、ブレスレットを迎えに行くね。」と話していたけれど、第三波が来ているということで、断念せざるを得なくなった。「郵送しましょうか?」とも言われたけれど、私には直接受け取りたい理由がある。それは、彼女の娘さんや息子さんに会うことだ。直接会って、元気でいることを、この目で確認したいのだ。娘さんや息子さんに会ったのは、実を言えば数回しかない。けれど、彼女の忘れ形見が元気にしている姿をこの目できちんと確認できないと、私の心が落ち着かないのだ。わがままな理由かもしれないが、一つ一つの行動に後悔したくないので、直接受け取りに行くことだけは譲れない。
そういえば、父親を亡くした時も同じようなことがあった。父の死後、友人の見舞いなどでその病院へ行くことがあった。その時、ふと、父との思い出がいっぱい詰まった喫煙所に足を運んでみたのだけれど、その場を目にした途端、涙が溢れて止まらなくなった。直視できなくなり、嗚咽を漏らして泣いてしまったことがあったのだ。それだけではない。何もしていないのに、ふとした瞬間に悲しくなることもあり、一人で涙したこともあった。そんな日々は、三回忌を迎えるまで続いた。
これを思うと、彼女を失った悲しみを乗り越えるには2年かかることになる。逆を言えば、2年あれば立ち直れるということだ。
大切な人を失っても、残された人は生きていかなければならない。愛する人を残して先立つ方も辛いかもしれない。けれど、残された方も辛く悲しい日々が待っている。けれど、大丈夫。必ず乗り越えられる。彼女のためにも、自分の人生を最後まで全うしよう。
そんなことを思いながら、一人、私はUSJのBGMを聴くのである。
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