見出し画像

「嫌い」という感情を認めるところから、全ては始まるのかもしれない。

 私はいつの頃からか、ずっと「いい人」をやっている。今でも、もちろん抜かりなくやっている。が、それは演技ではなく本心であり、そうすることで周りの人が喜んでくれることが嬉しくてたまらない。それは私にとって、この上ない喜びであることに間違いはないのだ。

 どんなに嫌な目に遭わされたとしても、私はその相手に対して挨拶を欠かさない。その人物がどうあれ、私は私が正しいと思うことをするまでだ。それを見た人々は、私を「いい人」と言う。「いい人」の定義が良く分からないが、私は人や物に対して優しくありたいと思うし、礼儀を尽くしたいと思って生きている。ただそれだけのことなのだ。

人を嫌いになれない

 どんな嫌な目に遭っても、それをした相手もまた同じ人間だと思うと、どうしても嫌いになれない自分がいる。きっと、その人にもそうしなければならなかった事情があるのかもしれないと考えてしまうからだ。また、嫌な一面だけがクローズアップされているが、実は良い所が一杯あるかもしれない(必ずある)とも思ってしまうからだ。

 そして、私は人を嫌いになれないばかりに、「苦手」というカテゴリーでを作り出した。誰かを「嫌い」になるということは無い。ただ、「苦手」と感じるだけ。なぜなら、その人にも良い一面があって、その人にも人を思いやる心があって、誰かを幸せにしたいと思う心があるだろうと思うからだ。そんな人物を嫌いになんてなれない。なれっこない。

認めることが大切

 前回、自分のトラウマから目を背け続けてきた話を書いた。そこで気が付いたこと、それは、自分の感情を「認める」ということ。何がトラウマで、自分がどう思い、これからどうしたいのか・・・それらを認めるという行為が大切なのだと気づいた。

 これを踏まえると、「嫌い」ということも認めることが大切なのではないかと感じた。「苦手」という言葉にすり替えることで、自分の本当の気持ちから目を逸らしてきた。そして、自分の本当の感情に気付かないようにしてきたことで、その人の影から逃げ回っていたのではないかと思ったのだった。

 そこで、私は今日から「嫌い」というカテゴリーを設けることにした。

「苦手」と「嫌い」は違う

 「自尊心」と聞いて、皆さんはどういう印象を持たれるだろうか?私は、個人的に持っていた方が良いものだと思う。これがあれば、自分の軸がぶれることはないからだ。

 けれど、これを人に「私はこうで、ああで、そういう人だから。私って本当に凄いのよ。分かってる?」などと押し付けるようなことは間違っていると思っている。そして、これを気付かないうちにしている方も結構いらっしゃる。それまで尊敬していたのに、この言葉でドン引きしたことも多々ある。本気で、嫌気がさすこともあった。そんな時、私はそういう人物を「苦手」のカテゴリーに分類し、自分の感情に蓋をしてきた。

 けれど、蓋をしたところで、その人の影は消え失せることはない。時々その影がちらつくと、私はとても嫌な気分になる。そして、嫌な気分になった自分を「悪い人間」だと思ってしまう。しかしそれは、「嫌い」を「苦手」にすり替えていたことで起きていた現象であることに、やっと今日気が付いた。「嫌い」と「苦手」は違うのだ。

「嫌い」な気持ちを認める

 「いい人」であるが為に、「嫌い」という感情を悪いものと判断してきた。けれど、今なら分かる。「いい人」にも「嫌い」な感情はあっていいのだ。「嫌い」を認めたところから、全ては始まるのだから。

 私は、自尊心を押し付ける人が苦手だと思い込んでいた。思い込もうと思って生きてきた。けれど、違う。私は、自尊心を押し付ける人が「嫌い」だ。心の底から、「嫌い」だ。きっと、この先も「好き」になることはない。

 けれど、その人にも良い所はある。まずは、そこを認めるところから始めよう。そして、徐々に受け入れよう。絶縁できない環境であるならば、その人を「嫌い」でとどめるのではなく、「尊敬」のカテゴリーに入れることができるように、その人の「長所」をたくさん見つけ出そう。そして、認めよう。そう素直に思えた。

自分の感情に素直に向き合う

 自分だけなのか、皆さんもそうなのかは分からない。けれど、人は時として感情に蓋をすることがあると思う。それは、今回のような「嫌い」=負の感情ととらえた結果であったり、思い出したくないと思っていたトラウマであったり、ケースは様々であるだろう。けれど、その蓋を1つ1つ開けてみて、もう一度あらゆる角度から見つめてみることが大切なのではないだろうか。それをすれば、本当の感情を受け止めることができるようになる。そして、その感情を受け止めた先には、解決策に向かって歩き出す自分の姿があるのも確かだと思う。だから、自分の感情に素直に向き合う作業から逃げない方がいい。

 私は、今までは気づかなかったのだが、思いの外、感情に蓋をして生きてきたのだと思う。その歪みが、今、現れているように感じてならない。(兄に言わせれば「今頃気づいたの?」かもしれない。)

 喜怒哀楽が激しい性格なのに、肝心なところで蓋をする私。全く愚かである。これからは、自分が抱いた感情をそのまま受け止めていく。そして、そこから見えるより良い世界へ進むために、あれやこれやと試行錯誤を重ねていきたい。

 今日は、「嫌い」という言葉が、キラキラと輝きだした日だ。気づきを与えてくれた全ての事象に、乾杯!

 

もしもあなたの琴線に触れることがあれば、ぜひサポートをお願いいたします(*^^*)将来の夢への資金として、大切に使わせていただきます。