見出し画像

コロナによる自粛期間中に、長男が私に教えてくれたこと。

 どこか似ているところがある。だけど、全然違う。人ってそういうところがあって当たり前だと思うし、そうありたいとも思う。

幼い頃の長男と私

 長男が生まれたのは、私が25歳になってすぐの時だ。まだまだ精神的に子どもだった私にとって、子育ては難解で、日々ストレスフルな状態だった。

 転勤族だった夫との3人暮らし。人見知りだった私には友達もおらず、日中は長男と2人きりだった。友達を作らなきゃと思っては、サークルを探し、見つけては顔を出せずにいる自分に嫌気がさす毎日だった。

 最初は、長男のために友達を作らなくちゃと思っていた。が、よくよく考えてみると、自分が孤独で、自分の友達が欲しかっただけだった。長男の成長を理由に、自分が救われる場所が欲しかっただけ。

 初めての子どもで、何もかもわからなくて、とにかく一生懸命だった。今の私があの時の私のそばにいたならば、「そんなに肩ひじ張らなくても大丈夫だよ」と言ってあげられるのだけど・・・。

 長男は可愛かった。1歳10か月を過ぎたころ、やっと言葉を話し出した。発語が遅くて心配もしたが、「でんち(電気)」と話した時は感動した。そう言えば、「ママ」や「パパ」よりも先に「でんち」と言ったっけ。

 その後は順調に言葉を覚えていった。そして気付ば、口の達者な息子になっている。長男が年長だった時、保育園の園長先生が言った言葉が忘れられない。

「この子は弁が立つから、お母さんもしっかりしないと(口で)負ける日が来るよ。」

 うん、今負けている。それと同時に、感動もしている。

あっという間に高校1年生の春

 長男が高校1年生になった。世界がコロナで滅茶苦茶になっていた時に。鹿児島から福岡に引っ越した矢先に、緊急事態宣言が出されて、外出もままならなくなって・・・休校措置が取られ、友達もできず。毎日顔を突き合わせていれば、お互いにストレスが溜まるのも自然なことだ。

 そうだ、あの時と同じ。不慣れな土地で、母子のみで閉鎖的な生活をしていた赤ちゃんの時と。(違うことと言えば、弟2人と祖母がいることくらいかな。)

 長男はストレスを溜め込みやすい。なぜなら、とても我慢強い子だからだ。この異様な世界は、私だけでなく、もちろん長男にもストレスを与えていたわけで。そして、それがついに爆発した。

 長男は自分の考えをしっかり持っている。これは、幼いころから「大人のように扱ってきた」ことに由来があるかもしれない。何かあるごとに、私たち夫婦は長男に意見を求め、彼の考えていることを聞き出し、それを汲むようにしてきたのだった。

 その日、私は長男に意見を求めなかった。自分が本で学んだこと、自分が良いと思ったことだけを伝え、それを実行すると良いとアドバイスした。

 すると、長男は激怒した。

「それはお前の考えであって、オレの考えじゃねぇんだよ。人にあーだこーだと押し付けんじゃねーよ。お前の言いなりになんかならねぇんだよ。大体、お前のことなんか親だと思ってねぇんだよ。」

 おぉ、母に「お前」とな。「親だと思ってねぇんだよ」とな。いやぁ、これには私も参った。参ったってもんじゃない。我が子の成長を感じたのはほんの1ミリ程度、それを上回る膨大な量の悲しさ。さすがに、トイレで泣いた。

禁断の言葉

 それから数日、長男は暴れた。(後から聞いた話だが、弟の前で暴れるのは良くないと思い、夜な夜な、弟が寝静まってから暴れるように気を付けていたそうだ。)

 ドッタンバッタンとドアを開け閉めしたり、壁を殴ったり、家具を蹴飛ばしたり、大音量で音楽を聴いたり。さすがに数日続くと、こちらも参ってくる。

「お前ら(私達夫婦のこと)なんか、大嫌いなんだよ!死ね!

 ショックだった。幼い頃から、人に対して「死ね」だけは言ってはいけないと伝えてきたのに、あえて長男はその言葉を使った。私は「死ね!」と言われたことに悲しんだのではなく、そう言わせてしまったこと、そしてそこまで追い詰めてしまったことに申し訳なく思い、悲しくなったのだ。

 翌日の夜、鹿児島の知人に電話で相談をした。声を聴いた瞬間、涙が止まらなかった。

「長男さんの話を聞いてあげて。」

その言葉に素直に従ってみようと思った。

長男が求めていたこと

 テーブルの上に脚を投げだし、ゲームをし続ける長男。私は何事もなかったかのように話しかけた。

「買い物に付き合ってくれない?」

「・・・・・・。」

「お菓子、食べたくない?」

「・・・・・・。」

「たまには2人で出かけようよ。自粛疲れも取れるかもよ?」

「・・・あぁ。」

 意外にもOKが出た。思わず夫を見てしまった。もしかしたら、長男も今の状況を好んではいないのかもしれない。

 

 2時間ばかり外出したものの、買いたいものが売っておらず、アイスでも買って帰ろうということになった。もちろん、長男は言葉を発さない。私が「どう思う?」と訊くと「あぁ。」と頷くだけ。埒が明かない。

 私は、勇気を振り絞って問いかけた。

「何が気に入らないかだけ、教えてくれない?」

「・・・・・・あのさ、あんたがトイレで泣こうが何だろうが知ったこっちゃないんだよね。」

「・・・・・・。」

「オレにはオレの考えがあって、オレのやりたいことをやるわけ。分かる?」

「・・・うん。じゃぁ、何がやりたいの?」

「いろいろあるけど、まだまとまってなくて、オレ自身も混乱しているわけ。」

「じゃぁ、それが分かったら教えてよ。お母さんも手伝うから。」

「あぁ。そん時は頼むわ。」


 そう。長男は、私が一方的に与えたアドバイスが気に入らなかったのだ。欲していないのに一方的に「こうした方がいいよ」などとアドバイスされるなんて、これほどお節介で鬱陶しいことはない。今なら、分かる。


とにかく真摯に聴く

 「傾聴」という言葉がある。心と目と耳で、真摯に相手の話を聞くこと。私には、これが欠けていたのだ。と同時に、このスキルが欲しいと思った。

 私は、今回の件で「傾聴」することの大切さを学んだ。昔から子どもに意見を求めて関わってきたはずだった。しかし、きっとそう思っていただけで、実際は自分の意見を押し付けていたのだろうと感じた。そして、反省した。

 何かをしたい、何かをしてほしい等、どんなことにおいても、そこには相手がいて、一人ではどうにもできないことがあると思う。そんな時、「私はこうしたい」「あなたにこうしてほしい」「こうした方がいいと思う」という自分の考えばかりを伝えてはいけないと改めて思った。そこには必ず相手を尊重する姿勢が必要で、「あなたはどう思う?」とか「あなたはどうしたい?」とか、相手の考えを聴くことが大切である。


これから大切になること

 「そんなことはわかっているよ」と、大抵の方は思うかもしれない。けれど、自分を過信してはいけないと思った。コロナがきっかけで、今までの生活とは全く異なった生活様式となっている今、今まで以上に気を付けておかないと人間関係はすぐに壊れると実感した。

 直接的な関りが減り、オンラインでのコミュニケーションが増えている中で、人々は今まで以上にセンシティブになっている。だから、より丁寧な言葉がけや関わり方が大切になっていると思う。

 WITHコロナという時代に突入した今、今一度、自分のコミュニケーションについて見直すことが必要だと思う。ちょっと面倒かもしれないけれど、これも自分を高めるために必要なことだと思って、少しだけ自分を振り返ってみることをお勧めする。ちょっと偉そうなことを書いてしまったけれど、私と同じように家庭内で不和が起きている方が少しでも救われるきっかけとなってくれればと願わずにはいられない。

もしもあなたの琴線に触れることがあれば、ぜひサポートをお願いいたします(*^^*)将来の夢への資金として、大切に使わせていただきます。