転勤する度にマンション暮らしをしてきた我が家が、騒音トラブルを解決してきた生き方をお伝えします。
我が家は転勤族で、今までに5回引っ越しをしている。戸建てに1回、マンションに4回、住んだことがある。必ずと言っていいほど騒音トラブルは起こる。なぜなら、子どもが3人いるからだ。しかも、我が家は男児のみ。女児のみのご家庭や男児が一人しかいないご家庭の方には理解されにくいが、男児が2人以上集まれば、室内で暴れないわけがない。まして3人ともなれば・・・。
先にお伝えしておくが、今から紹介することはあくまで一つのやり方である。これらの方法が、必ずしもあなたのお住いの地域に適したやり方かは不明である。その点をご理解の上、お読みいただければと思う。
できるだけ1階を選んで住む
騒音トラブルと言えば、足音や物音である。人が住めば必ず物音はする。これは避けられない。しかし、1階に住めばどうだろう。階下に住人はいないため、トラブルになりようがない。
運よく1階に住めれば良いのだが、なかなか空きがないのも事実。その場合は、必然的に2階以上に住むこととなる。だから、どうしても騒音トラブルが発生してしまう。
階下に子どもがいると、騒音理解を得られるかも
最初の住まいは、木造2階建てのアパートの2階。物音はダイレクトに響くし、声だって駄々洩れだった。しかし、実際にトラブルは発生していない。それはなぜかと考えると、理由は2つ思い浮かぶ。
1つ目は、階下の住人が非常に温和な方々だったこと。30代後半のご夫婦と、長男と同い年の男児が1人という家族構成だった。週末はほぼ毎週、旦那さんのご両親が遊びに来られていた。長男が同い年ということもあり、一緒に遊ばせてもらったことも多々ある。
「男の子は元気が一番だからねぇ。」と言って、我が家の暴れん坊達も受け入れてくださった。非常に温厚で、ありがたい方々だった。
コミュニケーション~岩手編~
2つ目は、コミュニケーション。私は人見知りが激しく、初対面の方々と話すことは、ほぼできなかった。しかし、子どもが生まれ、子どもに幼馴染がいないことが可哀そうだと思うようになった。それからというもの、勇気を持って人と関わるように心がけていったのである。
夫が単身赴任をしていたアパートに、私と長男があとから住み始める形でスタートしたのだが(長男が0歳の時)、階下のご家族とは関りがなかった。駐車場で行き会った時に挨拶を交わす程度で、長男と同い年の赤ちゃんがいることすら知らなかった。
ある時、階下から黄昏泣きをする赤ちゃんの声が聞こえてきた。「何か力になれることはないかな?」と、素直に思ったところから、スタートした。
まずは、実家に帰った時や旅行に出かけた際は、必ず手土産を買った。そのアパートは1階に2世帯、2階に2世帯が住める作りになっていたので、全世帯分購入し、全世帯へ渡した。
「こんにちは~。201号室の○○ですが、お土産を買ってきたのでお渡ししたいのですが~。」
チャイムを鳴らして、こんな感じで声をかけて回った。
この時、私は夫と0歳の長男も一緒に連れて行った。面倒くさがる夫についてきてもらった理由は、私が人見知りだったからではない。
「私達がここに住んでいます」という自己紹介と、「良い関係を築きたいと思っています」という意思表示を全員でするためだった。(本来ならば入居時にするべきこと。)
その甲斐もあって、階下の家族だけでなく、お隣さん(子どもはいないご夫婦)とも交流が深くなった。お互いの部屋に、行き来するまでの仲になった。
長男 9歳、次男7歳、三男4歳になるまでアパート暮らしだった。内心、毎日冷や冷やしていた。なぜなら、戦いごっこは常で、走り回る音も3人ともなれば大きくなるわけで。更には、タンスによじ登っては飛び降りたり、喧嘩をして泣きわめいたり・・・静かな瞬間は、寝ているときくらい。いつクレームが来てもおかしくないほどの騒音を立てていたと思う。しかし、皆、温かく見守ってくれた。
ちなみに、お土産を渡す頻度としては2~3か月に1回くらいだった。お歳暮やお中元で頂いたもののお裾分けなどを含めると、もう1~2か月に1回くらいお渡ししていたかもしれない。
最終的には、階下のご家族とキャンプに出かけるほど仲良くしていただいた。ここを目標としていたわけではないけれど、この出来事は、まさに日ごろの関わり方の結果だったと思う。
コミュニケーション~札幌編~
次の住まいは札幌。管理人さんが駐在してくださるマンション(8階建て)の2階に住んだ。運よく階下には住人がおらず、実質的には我が家が1階のようなものだった。
引っ越しの搬入前に、2階の全世帯(7世帯)に菓子折りを用意した。そして、ご挨拶に伺った。その時は、バタバタしてしまい、私だけのご挨拶となってしまった。
●氏名 ●以前住んでいた地域 ●引っ越してきた理由
●家族構成(子どもについては年齢と性別も必須)
これらの項目は、必ず伝えるようにしている。特に、子どもについては予め多くの情報を提供しておく。そうすることで、多少は理解を得られる可能性があると考えたのだ。
騒音は子どもだけじゃない~私の失敗編~
「ご挨拶もしたし、階下に住人もないし、これで良し!」と思っていたのも束の間。管理会社から1枚のお手紙をいただく。それは、引っ越してまだ1ヶ月も経たない頃のことだった。
内容は簡潔。「話し声や生活音などが騒音にならないように注意してください。」といった感じの内容。全世帯に配布されたらしいが、私はすぐに我が家のことだと分かった。「話し声」のところでピンときたのだ。
我が子達が人に迷惑をかけるような行動をした時や危害を加えた時、私は無言でげんこつをしていた。自分がそうされてきたし、それが悪いことだと認識していなかったからだ。しかし、げんこつをする度に心が痛み、自分が辛くなって封印した。それと引き換えに、大きな声を出すことが増えた。
私の声は、皆さんの声の何倍も通る声質だと思う。ちょっと声を張っるだけで、100メートル先なんて軽々とどく。大声コンテストがあったら、負ける気がしない。そんな声の持ち主が大声を出せば・・・お隣さんだけでなく、フロア全体に響いたことだろう。
念のため、管理人さんに「もしかして、我が家へのクレームですか?声が大きいとか?」と聞いてみた。が、もちろん教えてくれるはずもなく。
「まぁ、集合住宅ですからね。気を付けて過ごせば大丈夫ですよ。」と。
否定も肯定もな返答。いや、これはむしろ肯定だ。管理人さんは、優しく微笑んだが私は泣きたかった。
それ以来、私も気持~ち声を小さくして叱るようにした。クレームはその1回きりだったが、同じフロアの方々とは交流がなかった。完全に失敗したと思った。
8階にはお友達(子ども4人!)ができ、その件について相談もした。「すでに過ぎ去ったことだったし、マンションというところは顔も知らない人がいて当たり前。だから、気にかけて暮らすことは大切だけれど、気にする必要はない。」とアドバイスされて終わった。
コミュニケーション~大阪編~
大阪は、3階建てのマンションの3階に住んだ。事前に、同じ階の全世帯と階下へのご挨拶は済ませた。しっかりと、子どもについてもお伝えした。私と夫の2人で挨拶をした。その際、話をしたのは奥様だった。
1週間後の土曜日、夜8時頃のこと。次男が学校に持って行くものを探して、家じゅうを歩き回った。我が家は子ども達にすり足で歩くことを教えていたので、バタバタとした足音はしていなかった。どちらかと言えば、スーッスーッという感じ。だから、安心していた。
しかし、事件は起きた。
ドン・・・ドン・・・ドン・・・ドン・・・
ドン・・・ドン・・・ドン・・・ドン・・・
5秒おきに8回もの物音。すぐに分かった。階下の誰かが、天井を何かで殴っていると。かなり、焦った。同時にちょっと憤りを感じた。それほど激しい動きをしていたわけではないし、入居時にはお菓子を持ってご挨拶もしていたからだ。なぜ、こんな仕打ちをされなければならないのか。
30分後、夫が帰宅。事情を話し、謝りに行くことにした。時間が遅かったこともあったので、翌朝行くことにした。
日曜日の10時きっかりに、私と夫は挨拶に行った。中から出てきたのは、パンチパーマに金のネックレスをじゃらじゃらさせ、タンクトップからはムキムキの筋肉を覗かせた40代後半くらいのおじさんだった。
「昨夜は足音を立ててご迷惑をおかけしたようで、本当に申し訳ございませんでした。」
と夫が切り出し、私も隣で頭を下げた。すると、そのおじさんはこう言った。
「なんや、子どもでもおるんか!?」
おいおい、1週間前にあなたの奥様にご挨拶をしましたよ・・・。と思いつつ、言い返したい衝動も抑えて答えた。
「はい、小学生2人と幼稚園1人の子どもがおります。全員男の子でして、ドタバタしないようには言い聞かせているのですが。申し訳ございません。」
「あ~ん~、あまり騒がせるなよ。」
と、第一声よりは落ち着いた声で対応してくれた。正直、ほっとした。そして、大阪というところは恐ろしい所という観念を植え付けられたできごとだった。
午後には急いでニトリへ行き、全室分のコルクマットを購入し、子ども達にも手伝わせて、全室敷き詰めた。そして、再度、すり足で歩くように伝えた。
また、子ども達には、とにかくマンションの住人と行き会った時は、大きな声ではきはきと挨拶をするように指導した。何かあったらすぐ報告することも伝えておいた。
1ヶ月くらい経った頃、1階や2階の、ご挨拶にも伺っていないご家庭の方々から、「お宅のお子さんは、挨拶がしっかりしていて気持ちが良いねぇ。」とお褒め頂くことがあった。
その輪は徐々に広がり、3ヶ月くらいたった頃だった。お土産を階下の奥様にお届けに上がった際にも褒められた。そこから、何となくだが階下のご家族とも交流が始まった。
ある日の夕方、私の帰宅が遅くなった時のこと。暗くて階段を上ることが怖くなった三男は、1階の入り口でもじもじしていた。そんな三男を、階下の奥様が自宅へ迎え入れてくれたのだ。私が帰宅するまでの間、お菓子などを出して見守ってくださっていたらしい。「すごく優しかったよ。」と、三男が話してくれた。
また、別の日には、1階のおばあちゃんのお宅でお茶をいただいていた。三男は、可愛がられるのが得意な性格だったのかもしれない。けれど、元気な挨拶を忘れずにすることで、確実にマンションの中で可愛がられる子ども達になっていた。
引っ越しで転出する際、階下へご挨拶に伺ったときは、おじさんが対応してくださった。鹿児島へ引っ越すことを話すと、天文館の美味しいお店や有名なゴルフ場などを教えてくれた。30分以上談笑したことが、今でも忘れられない。きっと、足音や物音が煩い日もあっただろうと思う。しかし、2年間もの間、見守ってくださった。感謝しかない。
コミュニケーション~鹿児島編~
鹿児島では、初めて一軒家を借りた。足音には気を配らなくて済んだので、精神的に楽になった。
しかし、私は札幌の時に大声で失敗しているので、その点は留意して過ごした。と言いつつも、大声を張り上げる日もあったので、ご近所さんはうるさいと感じていたかもしれなかった。しかし、苦情はなかった。
一軒家を借りることは、騒音の面では楽になる。しかし、町内会に入らなければならないことは難点であり、また利点でもある。町内会は義務ではないので入りたくなければ入らなくて良い。しかし、田舎の地域は新参者を排除する傾向にある(偏見かもしれないが、私の経験上感じずにはいられない)ため、入会することをお勧めする。
すると、「若いのに入会して偉いわねぇ」と言って、ご近所さんが可愛がってくれる。また、地域の子ども会役員や町内会役員なども率先して行うことで、ますます可愛がられた。3年半という短い期間だったが、とても楽しい生活だった。
コミュニケーション~福岡編~
福岡へは、コロナ自粛生活真っただ中の時に引っ越した。10階建ての7階に住んでいる。マスクをして7階の全世帯と、階下へご挨拶へ行った。挨拶の時だけマスクをちょっと外し、またすぐつけるような感じで、挨拶も必要最低限にした。皆、コロナのことがありピリピリしていたので仕方がなかった。
引っ越しの1週間前に福岡に用事があったため、挨拶もその時に行った。私だけ伺う形になった。しかし、階下の住人と管理人さんには、夫も合せておこうと思い、引っ越し後に再度伺った。
マンションは、「隣は何をする人ぞ」で、関りが薄い印象がある。自分から関わりに行かなければ、お互いを知らないままに生活することもできてしまう。それでは良くないと感じている。
本当ならば、家族全員でご挨拶に伺うことが望ましい。けれど、それができないのであれば、せめて夫婦でご挨拶に伺ってほしい。また、手土産については言えることは、階下と両サイドのご家庭にだけはちょっと高価なものを用意した方がいい。そして、先に「子どもが迷惑をかけるかもしれない」と伝えて、謝っておくことが大切だ。
我が家のスタンス
我が家は、どの地域に引っ越しても、必ず意識して過ごしていることがある。
それは、地域に根付くこと。
その地域を愛し、そこの人々を愛するということ。
これらを意識して過ごせば、どんなところへ行ってもやっていけると思う。我が家のことを愛してもらえると、実感している。実際にそうだったから。
もしもこれから引っ越す予定がある方やトラブルが起きてしまった方がいらっしゃったら、ぜひ我が家を参考にしてみてほしい。我が家のケースで絶対に上手くいくという保証はないけれど、何もしないよりは試してみた方が良いと思う。やってみて、ダメだったら、また別の方法を試す。トライ&エラーで、トラブルを解決していただければと思う。
頑張って!!