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2024/8/23(金)の宿題:愛の夢とか
『今日の宿題』(Rethink Books編、NUMABOOKS)に毎日取り組んでみる34日目。本日はせきしろさんからの出題。今回は全文引用する。
知らない民家から聞こえてきたピアノの音は、
この前より上手くなっているのか、いないのか?
この問題文を読んで、川上未映子の短編「愛の夢とか」が思い浮かんだ。「愛の夢とか」のあらすじは以下の通り。
主婦の「わたし」が隣から聞こえてきたピアノの音にひかれ、隣家に通い始める。ピアノを通じた2人の主婦の不思議でおかしな交流を描く。
「わたし」は家の外でばら及びその他たくさんの植物を育てている。ばらに関する描写で、気になったものがあった。
最初のばらは大きな鉢に植えかえてやると、恥ずかしいくらいに盛り上がって、
梅雨のころには恥ずかしいほどにつぼみをつけて、これからどうなってしまうのだろう、家のまわりがばらぐるいみたいになるんじゃないのと心配までしたばらの花はほとんど枯れて、
どちらも、ばらの花がもりもり咲くことを恥ずかしいと思っている描写だ。「わたし」にはそういうところがあるようだ。物事を外から見て、ロマンチックなこととか必死な人を見ると恥ずかしいと思ってしまう。
ばらの花の一般的なイメージは、「美」とか「愛」とかだろう。そういうものを意味するばらを軒先に咲き乱れさせていることを恥ずかしいと思っている。「愛」を恥ずかしいと思っているのかもしれない。
「わたし」は隣家のテリーが弾くリストの「愛の夢」を、週2回2時間聴きにいくことを引き受ける。
リストの「愛の夢」はテリーにとってつらいメモリーとともにある曲で、だから弾くときに何度も躓いてうまく弾くことができない。
終盤、物語は急な盛り上がりを見せる。テリーは「愛の夢」を完璧に弾きこなす。二人は喜び、拍手をする。そして最後に二人はキスをする。これはいったい何だったんだろうと思った。躓きながら弾いていた「愛の夢」からの解放感によるものか、テリーがつらい思い出の相手としたかったものなのか、または二人が出会ったこと自体が夢で、キスも幻なのだろうか。
隣から聞こえたピアノは最終的に前より上手くなっていた。そうでなければ物語が進んでいかない。
いや、全く上手くならないというのもまた、物語になりそうだが。
川上未映子作品は比喩が独特で、今まで思っていたこと、感じていたこと、それもとても些細なものを、丁寧に掬い上げてくれる感じがする。
この「愛の夢とか」は短編集の表題作だ。他の作品についてもいつか感想をまとめられたらなと思う。
この作品を英訳した方のインタビューがとても素敵だったので、自分のためにここにのせておきます。