2024/9/10(火)の宿題:生きることは切実
『今日の宿題』(Rethink Books編、NUMABOOKS)に毎日取り組んでみる52日目。本日は精神科医の春日武彦さんからの出題。
私は、自分は自分という心の形の中に入った水みたいなものだと捉えている。しかも心の形は実は不定形なので、だから常に心の置きどころに困ってしまう。いつも不定形で不安定でいるのは疲れるし辛くなる。うまくいかないたびに傷つき悲しむのは体力がいる。
その点、レッテルを貼られてその形に指定されてしまうことは窮屈であるが、楽でもある。あなたはこういうタイプだ! と型にはめられるのがありがたいので、性格診断とかMBTIなんかで性格を指摘されると安心する部分がある。
それがどんなにネガティブなレッテルであっても、多少なりとも安心するんじゃないだろうか。
だからネガティブな性質にアイデンティティーを見出してしまうのは、心を守るための切実な行いなのではないかと思う。
グロテスクではあるんだけども。
とても陳腐な例えだけれど、自分のことを例にとってみる。
私は、訪れた店が臨時休業であることを頻繁に経験している。だから私は「行こうとした店が閉まっていがちな人」というところにアイデンティティーを見出している。
行った店が閉まっていた、当然ショックだ。そのショックを全身で受け止めるのはしんどい。せっかく来たのにとか、休みを調べて避けてきたはずなのにとか、今日行く気分だったのにとか、一瞬で負の感情に覆われる。誰かと一緒に来た場合、申し訳なくなる。
そんなときに「私、行く店が臨時休業がちなんだよな〜」とおどけるのだ。こうすることでなんとなく楽しい気持ちになるし、友達といる場合には空気が和む。私はこの情けないアイデンティティーをクッションにしているのだ。
これはすごくくだらない例えだったけれど、もっと切実なものもあると思う。そしてネガティブな性質にアイデンティティーを見出していることで本人や周囲に悪影響を与える場合もあるだろう。しかしそれを指摘し、矯正することが良いことなのか、私にはわからない。
私の中のネガティブなアイデンティティーはまだまだたくさんあり、自覚できるものもできないものもありそうで、それらも含めて私なのだと考えたい。
あなたは、ネガティブな性質にアイデンティティーを見出すことはありますか?