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2024/9/9(月)の宿題:クズって言う奴がクズ

 『今日の宿題』(Rethink Books編、NUMABOOKS)に毎日取り組んでみる51日目。本日は金原瑞人さんからの出題。

ぼくは骨董が好きです。
妹はモダンアートが好きで、岡山にギャラリーを作りました。
あるとき妹がキュレーターの人に、「骨董なんて、八、九割が勉強代、つまり八、九割が偽物ってよくいうじゃないですか。
その点、いま生きている人がいま作っているアートは100パーセント、本物ですよね」といったところ、こんな答えが返ってきました。
「たしかにそうなんだけど、
いま生きている人がいま作っているアートの八、九割はクズですから」。
物って、なんでしょう。
クズって、なんでしょう。
偽物とクズとどっちがいいんでしょう。

『今日の宿題』Rethink Books編,111頁

 骨董や、芸術作品や、書籍などにおいて、その価値を世間に認められ何十年も先まで残るものは一握りだ。しかしそれ以外のものをクズと呼ぶのは、私は全然好きじゃない。


『ノルウェイの森』(村上春樹,1987)の永沢という登場人物に関する記載を思い出した。

 彼は僕なんかははるかに及ばないくらいの読書家だったが、死後三十年を経ていない作家の本は原則として手にとろうとはしなかった。そういう本しか俺は信用しない、と彼は言った。
「現代文学を信用しないというわけじゃないよ。ただ俺は時の洗礼を受けてないものを読んで貴重な時間を無駄に費したくないんだ。人生は短かい」「永沢さんはどんな作家が好きなんですか?」と僕は訊ねてみた。

『ノルウェイの森』上巻,57頁

 確かに時の洗礼を受けた素晴らしい作品を知ることは大事だと思う。名作と言われるものは必ず素晴らしく、その人が死んでからもずっと残るだけのことはある。

 だけど今この時代に作られたものは、今の生活を、価値観を、今この瞬間の苦しみを反映しているものだ。その出来栄えの良し悪しはあれど、どれも作者の一部を切り出すようにして作られた、痛みを伴う一品のはずだ。そういうものをクズと呼べる権利は誰も持っていない。悪意の塊である偽物と比べるべくもない。

 過去のもので今も残っているものと、今この瞬間生み出されるもの、どちらも知るのが大事だと信じている。
 クズって言う奴がクズ! って言ってやりたいが、そう言ってしまうと私もクズになろうか。

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