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2024/9/3(火)の宿題:心を温める思い出

 『今日の宿題』(Rethink Books編、NUMABOOKS)に毎日取り組んでみる45日目。本日はショートショート作家の田丸雅智さんからの出題で「小さいころの大切な思い出」について書く。

 小さいころの自分は嫌な子供だったと思う。5歳前後のころは、少なくとも子供らしい可愛さみたいなのはあまりなかったんじゃないか。

 早熟で、保育園の先生が言っていることをよくわかっていた。他の園児が皆間違えてしまう指示でも完璧に理解して間違えなかった。他の子がどうして間違えるのか理解できなかった。
 妹に対しても厳しかった。母親のネックレスで遊んで壊した妹を叱った記憶がある。今思えばそんなことは親の仕事であり、私に叱る権利などない。
 いとこに誘われるままに押し入れで遊んで、祖母に叱られたら、いとこに誘われたからと言い訳した。楽しんでいたくせに。

 こうやって小さいころの嫌なガキエピソードちょこっとさらっただけでも、根っこのところではどうしようもない人間であることがよくわかって恥ずかしい。今はなんとか取り繕って生きているので、たまに優しいとかいい人みたいな言われ方をすると、優しぶってるだけなんです……と申し訳ない気持ちになる。ボケてしまったり余裕がなくなったりして、本性が剥き出しになるのがとても怖い。
 だからこそ、生来清らかそうな人を見ると、眩しくてたまらなく、近づきたくなるけれど、飛んで火に入る夏の虫みたいに眩しさに焼き殺されそうになったりするのだ。

 こういう思い出ばかり蘇るから、正直、心を温めてくれるような大切な思い出みたいなものは覚えていない。だから母から何度も教えてもらった話で心を温めている。

 私は母方の家族にとっては初孫だった。出産のときは祖母が立ち会ったようだが、産まれた私はおぎゃあとひと泣きした後は静かになって、周囲の様子を観察するように周りをきょろきょろ見ていたらしい。それを見て祖母は「こんなにきれいな赤ちゃん見たことない」と思ったそうだ。
 初孫で相当嬉しかったんだろうな、と感じられるエピソードであり、生まれることを心待ちにしてもらっていたという事実が嬉しい。たまに思い出しては心を温めている。

 この祖母は歳をとってから鬱になってしまって、最後の方は笑顔を見せなかった。もともとよく笑う人だったから、元気なときとのあまりの差に、見ている周りも辛かった。
 しかし私がお見舞いに行ったとき、赤ちゃんを見るような顔で嬉しそうににっこり笑ったのだ。祖母にとっては私はいつまでも赤ちゃんだったのだろう。あの笑顔もまた心を温める記憶である。
 

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